心と体

たったの数センチが風格、自信をつける足元の秘密

視点を上げる

顔を上に上げると上が見えます。下を見れば地面が見えます。当たり前ですよね。その当たり前すぎることが時々、あれ?と壊れる時があります。先日もまさに、そうでした。こんな事で自分が変わってしまうんだ・・・と。性格がこんなにも簡単に変わるとわかったら、取るべき行動が変わってきます。自分の性格について考えるチャンスになるかもしれません。

なにをしたかといえば、イスに立ってみました。

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筋肉をバラバラにつかう

前回、筋肉は疲れる、って話をしました。
それ、どうやら、私の見方が狭かっただけだったみたいです。訂正させてください。
 
2月3日、突然、動きが変わりました。気づいた瞬間、動きが変わり、それまで出来なかった事が出来るようになりました。
身体感覚の稽古は自転車に乗るようなもの、と思っていましたが、こんなにも大きな成果が出てくるとは夢にも思いませんでした。
 
 
 
その時気づいた使い方が「疲れない筋肉」です。
あらゆるものには陰と陽、二つの真逆の面がある、といわれますが、まさに、それです。筋肉というものに対して、それまで持っていた認識がガラッと変わってしまいました。筋肉はぎゅっと束ねて、瞬間的に力を発揮する力で持続をさせるには都合がわるい、そう思っていたんです。しかし、それが、筋肉をバラバラなものとして認識し、それらを一つに束ねる事無く、放り投げるように使う事で、疲れず、さらに、一本一本、すべてから力を得られる事がわかりました。
この時、「放り投げる」感覚があると、身体全身が宙に浮いた感じとなり、相手との間合いをつめる事ができます。しかも、なにかをしようと筋肉を緊張させる必要がないので、相手の動きに合わせてすぐに「反応」する事ができます。
 
言葉遊びのようですが、それまでの動きは「反射」であり、コントロールの難しいものでした。でも、バラバラを意識してみると、「反応」、もしくは「対応」できる感じになるんです。まさか、こんな気持ちになれるとは夢にも思っていませんでした。これまで、何とかしよう、と努力を重ねてきた事がまるっきり、逆に働く事でできるようになってしまうんですから、身体の持つポテンシャルの高さはもう、想像もつきません(笑)。
 
 
 
筋肉を「束ねて」使うとき、それは身体の大小、繊維の太さなど、他者との競い合いになります。競争ですね。
でも、筋肉を「バラバラ」にするとき、比較するのは他者とではなく、それまでの自分との比較です。バラバラになればなるほど、より速く、細かい動きにも対応ができるようになります。身体の大小などは関係なくなってしまうわけです。
 
 
 
どんなに筋肉が少ない、小さい、といっても、身体に筋肉がないわけではありません。誰の中にも筋肉があり、骨があります。その筋肉がばらける事で瞬間、身体が浮いてきます。その浮いた身体を相手は認識するのが難しいのかもしれません。普通であれば、ただ立っているだけでも、足に力を入れなくてはいけません。それがなくなっていくんですから、影響がないわけありません。
 
この先、今の軽く、浮いて動いている状態がさらに変化をしていくのは間違いないです。今、ようやく、身体(主に体幹部)を蹴らずに動きを出す事ができるようになりました。スピードゼロだったものが動き出したんです。力を抜くってこういう事だったのかもしれません。
 
 
 
さて、お伝えしたいのはここから。
どんなに頭でわかっていると思っていても、実際に、自分の身体に感覚として得られてないものは使えない、それを痛感しました。
 
筋肉が教えてくれるもの、それは努力と経験です。失敗や成功を重ねる事で大きくなっていくもの、それが筋肉です。努力をして、トレーニングをすれば、大きくなっていくもの、それが筋肉です。日本語には「コツ」という言葉がありますが、この語源は「骨」だそうです。筋肉に頼らず、骨を使う事こそ、日本の武芸、芸術の源だ、そう信じてきました。しかし、現実の世界はまだまだ「努力信仰」が広がっています。つい、なにかをしようとした時、がんばってしまうし、まわりの人たちもがんばってね、と応援してくれます。これ、無意識に筋肉に頼っているからこそ、でてくる言葉なんだなぁ・・・と。
 
 
 
筋肉はしっかりご飯をたべ、トレーニングをし、ちゃんと休めば何歳になってもつけることができるそうです。ただ、どうしたって食べれなくなるし、怪我でもすればトレーニングもできません。そして、いろいろな意味で休む事もできなくなります。なかなか理想と現実は違います。
しかし、頭の中ではがんばって、練習、勉強して、能力を上げて、成果をあげよう、とするパターンが出来ています。なかなか完全な他力本願って難しいです。きっと、本来の他力の意味も身体の感覚の喪失に伴って変わっていったんでしょうね。今回、筋肉をバラバラに使う、という感覚が「自分」という枠を壊していく事でも成果を得る事ができる、と確信させてくれました。1ミリもがんばっちゃ駄目、って事です(笑)。
 
 
 
身体感覚の世界は全く想像もしていなかった世界でした。20年前、大学を卒業したばかりの私は達人技に憧れていろいろな本を読み、なにかヒントになるものはないか、と探していました。幸運にも甲野先生とご縁ができて、実際に身体を通して感覚の存在をしってからはなんとか、自分でもそれを感じたいと思い稽古を続けてきました。
気がつけば今、こうしてその身体感覚を伝える事を仕事にまでするようになりました。
 
新しい身体感覚に出会うほど、現代の常識、価値観とのギャップを感じます。もともと使命感のような強い意思を持たない性格でしたら、のんびり、20年稽古をしてこれたわけですが、さすがに、この先、人間はどうやって生きていくんだろう、と心配になります。
人間のロボット化、人工知能AIの進歩は止まりそうにありません。もうすでに、スマホ、ネット、ロボット無しでは社会は成り立たないのを思えば、ある意味、後には戻れない状況なのかもしれませんね。
 
 
 
それでも、身体感覚の可能性はこういう時代においても「何かができる」んじゃないか、と思い続けていました。ハードルが高くなればなるほど、身体から見つかる感覚も大きなものになってきますし、「がんばれば」何とかなる、そういう気持ちでいました。
私自身は身体感覚の虜ですから、この先、死ぬまで、身体の観察を続けると思います。そして、それはつらい作業ではなく、とても幸せな事だとも理解しています。でも、身体感覚を認識していない人にとっては、非常に面倒で、手がかりのないインチキなものに見えてしまうかもしれないなぁ、と思っていました。最初の一歩のハードルがどうしても高いんです。私に覚悟や使命感があれば強く発信をし続ける事が出来たかもしれませんが、私自身、強制される事が苦手な人間ですから、ちょっと無理なんです(笑)。
 
無意識に「がんばれば」なんとかなる、そんな気持ちしか手段はなかったんですが、筋肉をバラバラにする感覚が全く違った希望を与えてくれました。一人の強いリーダーが世界を変えるのではなく、一人ひとり、小さくとも、無理をせず、やれる事を行っていく事で、緩やかに世界は変わっていく、そんな可能性もある事を確信しました。
 
 
 
私自身は身体感覚の虜です。それが仕事にもなりましたし、自分が気づいた事をシェアするのも大好きです。24時間、いや、夢の中でも稽古をしていたいぐらいです(笑)。でも、そんな変な人、あまりいません。皆普通に、それぞれの人生があります。
 
しかし、大きく変えるだけが選択じゃないんだなぁ、と思ったんです。ちょっとでも、身体に興味を持って、意識をしてくれるようになれば、すこしずつ広がっていってしまう事はあるはずだ、それがわかりました。この時、下駄や箸や着物はとっても役に立ちます。下駄の効用として紹介しましたが「誰でも」下駄を履く事で姿勢が整い、しっかりとした立ち方ができ、地面や重力と喧嘩をせずに動く事が出来るようになります。その変化を自覚したならば、身体に興味が絶対にでてくるはず。日常生活の中で下駄を履いてもいいし、靴を履いていたとしても、なぜ、下駄のような軽やかさがでないんだろう、疑問を必ず持つようになります。そういう小さな身体への興味が少しずつ広がっていけばいい、そう思っています。
 
今、多くの人にとって身体は重荷です。身体を意識する機会がネガティブなものばかりになってしまっています。だからでしょうか、心に向けてかなり過剰な介入をしてきます。テレビや映画、そういう娯楽的な演出も泣かせば勝ち、みたいなものが増えてきました。確かに泣く事で解放、発散となり、身体は緩みます。でも、わざわざ、扱いにくい心からそれをしなくても、身体そのものを動かす術を身につければ、いつでも、身体はリラックスさせておく事が出来るようになり、いらいらする時間をドンドン減らす事ができるようになります。ポジティブに身体を意識する、靴を履くたび、箸を使うたび、その瞬間の身体の感覚を楽しめる人が少しでも増えてくれたらなぁ。
 
 
 
私たちは大人です。私たち大人をお手本にして子供は育ちます。大人である私たちが人間の証である身体を嫌っていたら当然、子供たちも身体に自信を持てなくなってしまいます。特別な事を言わなくもいいんです。自分自身が自分の身体のことをすごいと思って一緒にすごす、それがまた、小さな影響を彼らに残すはず。ちょっとした事で世界は変わる、そう確信しています。だって、ロボットになりたい人はそんなに多くはないと思うんですよね。便利なものが溢れる世界になるのは仕方ありません。でも、そのとき、ちゃんと、人間らしさも楽しめるようにしたいものです。
 
 
 
筋肉の話かと思ってページを開いた方には変な方向へと話が進み、???となってしまったかもしれません。それでもこんな最後まで目を通してくれてありがとうございます。感覚ってなんだろう?そんな疑問を持ってくれるだけでも世界は変わっていくと思います。もう、読んでくれただけで応援になっています。ありがとうございます。
 
もし、実際に身体感覚を味わいたいのであればぜひ、稽古に起こしください。ちょうど、来週の日曜日、2月15日には甲野先生の講習会もあります。私がそうだったように、目から鱗が何枚も落ちるかもしれませんよ(笑)
詳細はカラダラボのホームページからどうぞ。

人間は歳をとる、それを忘れてはいけない

甲野先生とであって20年経ちます。
20代の頃、40代は「大人」だと思っていました。でも、実際に自分が40代になってみると、全然、「大人」になっていません。それでいて「子供」でもないんです。「大人」になりたい、ならなきゃ、というまま、20年経ってしまいました(笑)。
 
 
 
ただし・・・、身体は衰えているのを感じます。徹夜もできなくなってきたし、若い頃と同じように食べて飲んでみると、後が大変です(笑)。
 
しかし、不思議な事に肉体そのものは衰えても、動きは20代の頃よりも比べ物にならないほど速く、軽くなっています。考えもしなかった夢のような技も出来るようになって、本当に不思議です。実は理由はわかっています。「動き方」が変わり続けているからです。
 
 
 
知っていますか?、単純に「歩く」というだけでもものすごく繊細な変化が身体には起きています。一歩足を進めるたびに体重が偏り、バランスを崩します。そのバランスの崩れを気に出来ればいいんですが、たいていは無意識に肉体に任せます。まぁ、無理をするって事です。
その無理が一日一日と積み重なって、30代の頃には肩こりと腰痛が出始めて、それでも仕事に勢いが付き始めて休めなくって、がんばって、そのまま40代になって痛みが慢性化して時々の整体通いなんかでごまかす、そんな人、まわりにいませんか?
 
甲野先生に出会い、「身体感覚」という事を学びました。身体の声を聞く、そんなイメージだと思ってください。大丈夫、とアタマで言い切ってがんばるのではなく、身体に無理な力が掛かっていないか、小さな動きだったとしても、全身で分担して動けないかを追及していきました。
その結果、20年歳をとったにもかかわらず、動きは軽く、速いのです。そして、声を大にして言いたいのは、これからもまだまだその動き方は進化をしていくだろうなぁ、という希望を持てている、という事です。
 
 
 
誰でも絶対に歳をとります。
特に日本人は加齢による負担が大きいです。理由は簡単、骨や筋肉が欧米人と比べて弱いからです。内臓の強さも違うかもしれません。外国人のようにいくつになってもステーキをがっつり食べられる自信ってありますか?私はありません(笑)。
 
 
 
今、多くの人が頼りにしているエネルギーは「筋肉」です。それも、鍛えるだけのトレーニングで。仕事の合間、生活の合間に少しでも筋トレを・・・と、テレビでは良くやっていますが、その努力を筋肉ではなく、動き方に向ければいいのに、と本当に思います。
皆、言われるまま、がんばってトレーニングしています。確かにトレーニングをすれば筋肉は大きくなるでしょう。でも、それは年齢と共に効率が悪くなっていきます。そして筋肉トレーニングは「栄養」「トレーニング」「休息」のサイクルが止まってしまうとせっかくついた筋肉が今度は邪魔なお肉に変身してしまいます(笑)。
 
いいですか、私たちの骨は弱いんです。歳をとった時、不意に転んで骨折をしたらどうなると思います?考えた事がありますか?それまでトレーニングで身体を維持してきた人が一気に動けなくなってしまいます。なぜなら、筋肉でしか動く事を知らないからです。 
 
 
 
筋肉で動けば疲れます。世の中には疲れたい人もいるんです。子供たちはその代表(笑)。無駄に走り回って、汗だくになって、すやすや眠ります。それが身体を大きく強くするのをわかっているんでしょうね。でも、肉体の成長がとまって衰えていく私たちはそれだけでは駄目です。筋肉以外の動き方も知っておいたほうがよくないですか?
 
ちゃんと、知った上で「選択」すればいいんです。全力を出し切って眠りたい人は汗をかけばいいし、そうでなければ他を選べばいいんです。それこそ、病気や怪我で全力を出せないときには筋肉以外の力をエネルギーとして選択しなくてはいけなくなります。
 
 
 
実は今からの時代は本当に危ないです。
なぜなら、ものすごい機械がどんどん出てきそうだから。
筋肉の力は使えなくなる、といいました。でも、その代わりに機械がやってくれるようになります。小型のアシスト装置を身体につければ、自分だけでは動けなくても、機械の力に助けてもらって動く事ができます・・・、身体の動かし方を求める人はもっともっと、減ってしまうかもしれません。
 
実際、仕事の現場は機械だらけです。工場では当たり前のようにロボットが動きます。物流の世界ではフォークリフトは当たり前です。介護の世界も機械だらけ。もう、身体だけではなくなりました。仕事量ははるかに増えましたが、楽しいと思っている人が減っているんです。動けるけど、楽しくない。機械の力は心にまでなかなか届いてきません。
 
理由は簡単、身体が動いていないから。身体がずっと、ぎゅっと、窮屈にされていて、動いているのは機械だからです。身体が動かなければ心にも楽しさは生まれません。どう考えたって、この先機械抜きで生活するのは無理です。だからこそ、機械と暮らしながらも、自分はちゃんと身体を使っているか、身体の声を聞かなくてはならないと思います。 
 
 
 
筋肉以外の力を少し紹介しておきます。「お尻」から生まれる力です。
前に歩く時、膝を上げたり、地面を蹴ったりして歩くと、それは「筋肉エネルギー」です。まぁ、馴染み深い、いつもの、普通の動き方です。
でも、この時、まず、「お尻を振ります」。ぶんぶんすばやくではなく、ゆっくりです。ゆっくり、お尻を左右どちらかに振れば、自然と身体が横に向いていきます。足が自然と浮いてくればそのままお尻の「重さ」を感じながら「踏む」ようにして、前へと出て行きます。たった、これだけの事ですが、肉体に掛かる負担は全然違います。
 
もし、今、あなたが身体のどこかが痛いのなら、その効果に驚くはずです。身体のブレがなくなり、少ないエネルギーで身体を動かす事ができるので、動く事によりバランスの崩れがなくなっているからです。
 
 
 
この歩き方で凍った道を歩いてみました。踏んでいるんですから、滑りにくいです。逆に筋肉エネルギーだとどうしても「蹴って」進むしかありません。踏ん張りの利かない氷道ではどうしたって転びやすくなります。
 
つまり・・・、雪国の人たちは自然とそれを身につけているかもしれないんです。ただ、凍った道がなくなると、筋肉エネルギーに戻ってしまいます。滑らないから気が緩むんでしょうね。筋肉エネルギーとお尻エネルギーとの区別をアタマで出来ていないから、使えません。せっかく動くお尻を持っていても、使わなくてもいい環境にいれば発揮されない。なんてもったいないことでしょう。
 
 
 
もう一つ例を。この例えを思いついた時、昔ってすごいな、と思いました(笑)。
お尻のエネルギーですが、なにげない日常に溢れていたはずだ、と確信しました。
どんな例えかというと、少しの間にクイクイっとお尻を滑らせ座ってこられるおば様の動きです。まさに、あれはお尻エネルギー。お尻からではなく、足から行けばもう、気配の時点でにらまれ入れません。でも、お尻から動いていれば身体全体が滑らかに目的地へと滑り出します(笑)。
 
 
 
冗談のようですが、今ではもう、ほとんど見ませんから、駄目ですね、すっかり、忘れてしまったエネルギーとなりました。そうそう、クレヨンしんちゃんでもお尻をフリフリしてますね。あれも素敵な力です(笑)。
 
 
 
仕事でもコンピューターや機械が増えて、歩いたり、動いたりする事がなくなりました。じっと座ってモニターとにらめっこです。いつのまにか動ける大人が減ってしまい、お手本がなくなってしまったので、今の子供たちはもっと大変かもしれません。身体を使う遊びも危ないから禁止になっていたりしますから。まぁ、なんと言っても、派手なゲームが楽しいですからね、余計に身体を使う機会が減りそうです。
 
 
 
まずは自分が自分の身体が動く事の楽しさを知る事です。40代を過ぎると、いつガクッと体力が落ちるかわかりません。定期健診で身体の中に悪いところが見つかり、自覚した瞬間、気持ちの支えがなくなって、体力が落ちるかもしれません。グローバルな社会になり、一気に環境が変わってしまう事もあるかもしれません。常に仕事のやり方が変わっている時代ですから、新しいことについていけなくなったら、もう、がんばれなくなります。
 
そういう時でも筋肉ではない力は大丈夫です。いつでもどうなっても、この身体は動かせる、とわかっていれば、やってくるアクシデントだって乗り越えられます。
お尻の力は「筋肉」ではなく「お肉」のエネルギー。つまり、重さのエネルギーです。重力の力を借りていますから、楽なんです。坂道を転がっていく車のように身体を使えれば、がんばらなくても生きていけます。どうせ遠くに行くには新幹線だし、飛行機です。自分が全力で走らなくても、目的地へ近づく事ができます。私たちはただ、その目的地で楽しく過ごせればいいわけです。ゆっくり、のんびり、気持ちよく身体を動かす方法を今のうちに身につけておく事をおすすめします。
 
 
 
とにかく、お尻の事を考えて、お尻で歩き、お尻で手を動かすのを意識してみてください。それだけでも全然違ってくるはずです。座っていたって意識をする事が出来ます。今、こうしてキーボードを打っている私のアタマはお尻を動かす事に全力です(笑)。
特に、無意識にできる仕事の中でそれを試してみると、いいと思います。自分が感じた事に自信を持って、どんどん工夫をしていってください。それが遠回りのようで、一番の方法だと思います。
 
質問があれば、遠慮なく。
 
 
 
【お知らせ】
2月15日(日)に武術家、甲野善紀先生を浜松にお招きし講習会を行います。武術、武道、スポーツ、運動の経験は全く問いません。最近は女性の参加者も多いです。ユーチューブなどで見れますが、先生の身のこなしを美しい、と思って生で見たい、と来られる方もいます。強制される事のまったくない講習会ですから、講演会気分で来られるのもいいかもしれません。お申し込みは下記のサイトからどうぞ。お待ちしています。

行動力を稽古で身に付ける

なにかをしたいけど、できない。
 
これは、大変な問題だ。
中学校の時、朝起きれなくって苦労した(笑)。
頭では起きよう、起きなければ、と思っても、身体が動かないのだ。
そして、アドバイスをくれる人は決まって、早く寝ろ、と言う。でもどんなに早く寝たって眠いものは眠いのだ。
 
あらゆる問題はできる人はできるし、できない人はできない。
 
 
 
中学時代起きるのに苦労はしても、気弱な私はそれほど遅刻することなく、いつも、走るようにして校門をくぐっていた。遅刻してしかられること、みんなの注目を浴びる方が嫌だったからだと思う(笑)。
 
ただ、大学生にもなると、遅刻は雰囲気的にも許されるようになってしまい、遅刻を止める力を失ってしまった。やらなくてはいけないことを自分はできない、この頃からそういう観念を作ってしまったのかもしれない(笑)。
 
 
 
 
あれから20数年、自分がやりたいことをやれない理由がわかってしまった!やっぱり、「身体」の問題だったのだ。
自分の頭がなにかを見つけ、答えを出しても、身体がそれに「反応しない」。ものすごく小さな行動にもそれが出ているらしい。
 
 
 
社会人ともなれば自分がしたくないこともしなくてはしなくてはいけないこともあるはず。まぁ、私はそれを我慢してやってきて、ある時、怪我をしてどうしてもできなくなって、どうせやるなら好きなことを全力で、と、身体感覚の楽しさを伝えることを仕事にしたので、今、したくないことはぐっと、減っちゃったけど。まだ、一般的には仕事は我慢だ。
 
ただ人に会うだけ、挨拶をするだけでも嫌なものは嫌だとも思う。テレホンアポインターの時給が良いそうだけど、それは、精神的にキツいからとのこと。
そういえば、家にかかってくる営業電話とか、やっぱり、逃げるように切ってるから、相手からすると、きついだろうなぁ。うん、これからはちょっと、優しく電話を切ろう(笑)。
 
 
 
ちょっと話がずれましたが、電話に手を伸ばすのも、「行動」なんです。身体が拒否をしながらでも、腕を伸ばして取ることはできます。でも、その姿勢ではちょっとしたストレスで心をやられちゃいます。
 
この電話に「手を伸ばす時」、工夫ができることがある、とわかりました。その工夫を使って手を伸ばすと、もう、電話に手を伸ばすことが天職のように見えるはずです(笑)。
電話を気持ちよく取れればその勢いでボタンも押せます。そして、さらに、挨拶にまで勢いは出ていくはずです。
 
きっと、普段は逆なんです。断れる度にこんなことは自分がやる仕事じゃない、って。そりゃ、勢いもなくなりますよね。身体を壊しちゃうはずです。
 
 
 
大切なのは自分で自分の身体に「勢い」を出せるかどうかです。多くの人は自分の身体を動かすのに「筋肉」を使います。筋肉って初動が遅いんですよね。しかも、疲れやすい。まぁ、疲れえ使えなくなったら「替わり」を、というシステムが今の派遣システムだったりしますから、自分のケアをちゃんと自分で考えておかないと大変なことになります。
 
 
話を「行動」に戻します。あらゆる行動がもう少し、元気に、勢いよく動かせる方法があります。その鍵になるのが「丹田」です。武道ではお馴染みです(笑)。
 
ただ、私はあまり、丹田が、丹田を、とは言いたくありません。なぜなら、頭の中だけのなんとなく丹田になってしまうからです。多くの武道家は丹田を大切にして稽古をしています。でも、それは、頭の中だけで。身体を見ると、丹田のことは二の次、三の次です。相手を崩すテクニックだったり、心理操作の方法だったり、ウエイトトレーニングだったりします。
 
丹田にもものすごく「レベル」があると思います。その第一歩として考えてみるには非常に分かりやすいものじゃないかな。なぜなら、もう、具体的に身体が変わるからです。
 
 
 
では、ちょっと、具体的方法を。
行うのは単純。帯でも締めて、お腹の辺りに一キロ、ニキロほどの重りを挟み込むだけです。帯でなくても、ウエストバックに重りを入れてもいいかもしれません。
そうして立ってみると、「重心の位置」が変わります。自分の身体を動かすときにどこに重心があるかで滑らかさがかわるのは当たり前なんですが、大人になって、身体が固くなったせいでしょうか、なかなか重心の位置を自由に変えることができなくなってしまいました。
 
この時の状態を言葉すればどれだけでもできます。実際に自分の身体に起きている変化ですから、見方を変えて言葉にするだけです。でも、そうじゃなく、自分でやってみる、それをおすすめします。
 
 
おそらく、今日の話でいちばん難しいのがここです。
自分が得た知識に対して身体が動くかどうかなんですが、お腹に重りをつけよう、と最初の一歩がまず、でません。それは、重心そのものが今、固く、動きにくい状態だから。そして動かない身体の力は頭に向かいます。色々な「理由」をつけるんです。帯がない、重りがない、バッグがない、正しいやり方がわからない、そんなことをしても変わるわけがない・・・などなど。
 
たぶん、私はそういう色々な理由を作ってしまったので、これまで重心の大切さに気づけなかったんだと思います。昨日、武道の未経験者に重りをつけてもらって試しました。一応、私、武道歴は40年近くになってしまうんですが、それが、ただ重りをお腹に着けただけの人に簡単に間合いに入られてしまうんです。自分が見つけた方法だけに、やはりそうか、と嬉しかったんですが、もし、これを見ず知らずの普通の人にやられたら自分の人生の無駄さ加減に数日、数ヵ月は元気を出せずにいたと思います(笑)。
 
 
 
「姿勢的に」身体が前へと行きたがっていると、小さなきっかけで動き始めることができます。なぜなら、なにかに意識を移すだけで、バランスは崩れるからです。綱渡りをしている、とイメージしてみてください。その時、なにかに気をとられたらどうでしょう、グラグラグラ・・・、とたんに綱から落ちてしまいます。普段、私たちの心と身体のバランスはものすごく繊細な事をしているんでしょうね。
 
それでも、まわりを見ていて転んでいる人はほとんど見かけません。子供ですら転ばない時代になりました(笑)。これ、崩れたバランスをぎゅっと、筋肉に力を入れて踏ん張っているからです。一日二日は我慢ができても、何十年とこんな生活が続いてしまったら肩凝りや腰痛になるのは仕方ありません

 
 
 
私はまだ、この新しい重心の使い方に気がついて1週間ですが、なんとなく、子供の頃を思い出したような気がしてすごく、楽しいです。やはり、勢いを持って動けることは自分の心も楽しくしちゃうみたいです。楽しく過ごすために楽しいことをやる。楽しいところへいく。それは確かにひとつの答えですが、どんなことも「飽き」が来ます。夢の国は楽しいですが、毎日いっていれば、それは、そこが日常になり、勢いがなくなります。みんな大人なんですから。
 
だから、今のまま、自分の身体の動きだけを変えるのをおすすめします。電話をとるのが仕事なら、重心をその電話に向けておく。朝、いきたくない会社があったら重心だけでもまず、そこへと向かわせておく。そして、転ぶ。気がついたら会社です(笑)。勢いが生まれていると、やって来るストレスが気にならなくなります。そういう事を身体に見つけられるようになるのが稽古です。お腹に重り、ぜひぜひ、試してみてください(笑)。
 
 
 
やってわからなければ稽古に体験にどうぞ。しばらくは重りを持って各地の講座に出掛けるつもりでいますから。詳しくはカラダラボのウェブサイトで。
 
カラダラボのWebサイト
 
師匠である甲野善紀先生を名古屋、浜松にお招きします。お申し込みもカラダラボのサイトからどうぞ。これまでとは違った生き方が見つかります。

子供たちが危ない!

最近、ビックリしたことがありました。それは、この三つです。
 
1、ちょうちょ結びができない
2、片足立ちができない
3、体重移動ができない
 
実は、タイトルは嘘です(笑)。本当に危ないのは僕らです。
自分の中にできないものを見つけても、自分でなんとかしようとしなくなってしまったらお終いだなぁ、と思いました。彼らを通して、自分の中のできていない部分、忘れてしまったものを実感しました。今日はそれを書いてみようと思います。
 
 
 
えっ!と、驚いて彼らにそれらを教えながら、思いました。
今、こうしてちょうちょ結びを教えているけど、私自身はそれ以外を知らないぞ・・・と。
日常的に仕事でロープを使っている人は鮮やかにロープを使います。どんなに引っ張っても取れない結び方を、その時に一番適切な結び方で。
魚釣りが趣味な人なら釣り糸を鮮やかにくるくるって。
 
そういう必然性がなくなったので私ができる結び方はちょうちょ結びだけ。
そういう私は子どもたちがちょうちょ結びができないことを笑えないなぁ、って。
 
 
 
最近、あるものを固定する機会があったのですが、その時にはプラスチックで出来たロープにそれ用の固定するものを使いました。簡単にしっかりと間違いなく固定できる優れものです。
下手に縛って事故が起こるよりはよっぽど賢い選択です。
 
 
世の中、こうして、どんどん便利になっているはず。子どもたちにだけ身体を使うことを強いても、大人が身体を持て余してしまってはねぇ・・・。
 
 
 
片足立ちはこんな感じ。
よく、老化チェックで目を閉じての片足立ちしますよね。でも、あれ、自分だけの問題じゃないですか?
武道の状況で必要な片足立ちは自分だけの問題ではなく、相手との衝突でも崩れない片足立ちなんです。
 
例えば左足前で右手で突きをだします。当然、左足に重心が移ります。8対2、9対1で重心を固定します。ちょっとでも崩れようものなら威力はゼロです。むしろ、こっちが崩されます。
 
あぁ、根本的な筋力がないんだなぁ・・・。そう思いました。
今の自分は一応、子供の頃遊んだり、それなりに身体を使うことで出来上がってきた筋力があるけど、それはいずれ、なくなるもの、使えなくなるものです。
今、できるからいいや、ではなく、それに頼りすぎていてしかも、その後の事がありません。
 
この気付きから始めた練習で思わぬ収穫があったのが体重移動です。
 
 
 
体重ってどう考えてますか?
おそらく、今、多くの人にとって体重は嫌うものです。いつの時代もより効率のいいダイエットがブームになります(笑)。もちろん、そういう私もこれまで、様々なものにチャレンジしてきました。
 
とにかく、体重を使うという事がこんなにも大切なものとは夢にも思いませんでした。
なぜなら、当然、大切、と思っていたからです。もう、知っているよ、と。
でも、それは、頭の中で大切、と思っていただけで、身体では全然、実感ができていなかったようです。
 
 
 
愛や相手を思いやる気持ちが大切なんだ、と言われたら誰でも、そうだ、と思うはずです。でも、それって具体的に形のあるものではないので、実は、本当にはわかっていません。甘やかさせる愛もあれば厳しくする愛もあります。人それぞれ、愛は違います。それを追求している人もいるはずですが、多くの人は、知らんぷりです。
 
愛はいいですよね、難しい、とわかっていますから。しかも、なかなか、格が高い!
でも、体重はそうはいきません。もう、みんな、バカにしています(笑)。無くせるものならどんどん捨てたいはずです。
 
 
 
私はこれまで、時間だけはたっぷりとつかって稽古をしてきました。武道歴だけで言うと、もうすぐ40年です(笑)。
体重の凄さに気づいて、これまでの稽古ががらりと変わったんです。
この先、このたった一つの気付きで人生が変わるのを実感しています。いや、もう、すでに、あらゆる行動が体重を基準に始まっていますもん。楽しくなるのは間違いありません。
 
 
 
また、改めて書きますが、こんな風にもいえるかもしれません。
自分にはまだ気づいていない潜在的な能力があるはずだ、脳の力は数%しか使われていないっていうし。でも、その脳を活性化するにはどうしたらいいんだろう?努力で大きく変われるとは思えないし。
 
潜在能力については不思議なことがいろいろなところで目にするようになったので、ある、という事を信じている人は多いはず。でも、手がかりがないんです。その手がかりというか、正体が体重なのかもしれない、そう感じています。
 
 
 
また報告します。お楽しみに!
実際にこの「当たり前の体重」を感じてください。お近くに講座がある人は特に。東海地方は転々としてますので、気楽にどうぞ。
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