稽古報告

【稽古報告】オレオレ詐欺投げ

すこし、精神的なお話が出すぎてしまったみたいですので、この辺りで身体のお話をしていきますね。
ブログを見ていると変な事ばかり考えているように見えるかもしれませんが、基本的に身体で確かめなければダメな人ですので、稽古の時には「動く」という事が欠かせません。
頭ばかり使いすぎてると、ケンカが多くなるんです、知ってました?
身体に任せてすごしてみると楽なんだけどなぁ(笑)。なかなか世の中は動きません。
 
 
 
さて、今日のテーマは「オレオレ詐欺投げ」。
名前はいい加減ですが、中身は本物。活用範囲も広いかと思います。
以前、お手玉で遊んでいる、とブログで報告しました。
一つを投げるのもできませんでしたが、二つ、三つと玉を増やして、遊んでいます。
三つ投げてみたところで、気づく事がありました。
「玉が上がる」という動きは同じですが、その原動力が違うのです。
一つはおなじみの「意識」の力。まぁ、投げようと思って、投げる動きです。普通の動きですね。
そして、もう一つは転ぶ力。身体が転ぶことで、思わず、玉が上がってしまった、そんな感じです。
 
 
 
実際に動きを身体で感じてもらうのが一番ですが、それは無理というものですから、画像だけアップしておきます。
この状態で手を持ち上げようとすると、まず、相手に止められます。
その止められた状態から逃げるためにたくさんの技が存在しているわけです。
子供と大人ほど力が違えば気にせず持ち上げていけばいいのですが、武術では自分と同等、むしろ、自分よりも力の大きな相手を倒せなくては意味がありません。
さて、どう料理しちゃいましょうか(笑)。
 
 
 
前回はコブシを丁寧に握る事で、自分の中の迷いを消す事で、解決しました。
この時、相手側から観察してみると、面白い事が分かります。
自分は迷いがなくなる。つまり、相手がどんな抵抗、対応してこようとも翻弄されなくなるのです。
この時、相手から見ると、自分の動きをまったく気にしない様子は、逆に気になってくるのです。
誰かに声をかけたものの、相手に気づかれなかった時の気まずさって、わかりますよね。あれです(笑)。
 
 
 
しかし、無視をする、という動きはものすごく難しいです。気にしないようにしようと思っても、つい、反応してしまうものです。。
それが指を決めると相手のことを無視し続け、自分の動きだけをただ、行う事ができるのです。
 
 
 
この動きを一つ、先へと進めてみました。
こちらが迷わない、というのは大前提ですが、さらに相手には自分を過剰に気にしてもらうのです。
気にする、という動きはそこに「居つく」という事です。
なにかを気にしている間、それ以外の動きや力には無防備になってしまうのです。
その習性(なのかな?)を利用しました。
 
  
 
この時役に立つのが「転ぶ」という動き。
ユーチューブに置いてあるこの動きです。

転ぶ動きは「意識」を使いません。
あっ、と思った時にはスッテンコロリン、身体がひっくり返ります。
当然、そこには物理的な動きが存在します。
意識して動いた動きも、転ぶことで生まれてきた動きも、抑えている相手からすれば、同じようなものです。
抑えている対象である手が自分へと向かってくるのですからね。
 
 
 
抑えている手が動き出した時、相手にそれを「気にして」もらうのです。
多くの人が自分に向かってきた手を止めるのに、「意識の力」で止めにかかります。
止めなきゃ、と思ってしまうからです。
Img_3047mov
動き出した手に反応し、とめてしまうと、「次」の動きをするまで、時間がかかります。
この瞬間こそ、相手が無防備な状態です。
この時、相手を動かす次の手を打てばいいというわけです。
こんな感じですね。
Img_3047mov_0001
Img_3047mov_0002
とはいえ、この二つの動き(反応させる動きと投げる動き)をタイミングよく行う、というのは難しい、と思う人もいるかも知れません。
この二つの動きを「意識」して行えば、「イチ、ニ」となって、相手にもバレバレです。
だからこそ、それぞれを「転ぶ動き」と「意識する動き」に分けるのです。
もしかしたら器用な人は意識するだけでできるかもしれません。
でも、私は、できなかった人間です。
そのできなかった人間でもできるようになる方法はないだろうか?と探して見つかったのが「転ぶ」という動きです。
転ぶという動きは誰にでもできる動きなのですが、どうしても怖い。
転ぶことが怖い人にとっては意識の力で身体を動かす他に方法はありません。
(あっ、もう一つ、「反射」というのもありますが、この反射を使いこなす「普通の人」はいなくなってしまいました。)
しかし、せっかくの武器ですからね。ぜひとも使いこなしてもらいたいものです。
 
 
 
少しずつ、頭で考えなにかをする、という以外の力がある、という事も言われだしてきましたが、どうしても、感覚的なために、なかなか理解されません。
特に意識の力と機械や他の人の力が組み合わさった時には大きな力を発揮しますから、それこそが大切、と思い込んでしまいます。 
この意識の力は大変有効なんですが、欠点があります。
それは「一つの事しかできない」という事です。
目の前の紅茶を飲む事ができるのは、意識的に手を動かし、持ち上げ、口に運ぶ事ができるからですが、紅茶を意識すれば横のケーキがみえなくなり、机の事も忘れてしまいます。
横に座っている人を気にしてしまえば、緊張し、紅茶の味を楽しむどころではありません(笑)。
 
 
 
しかし、機械の入りきれない状況だってあります。
武術はまさにその状況ですが、皆それぞれがお持ちの悩みも機械やサービスで解決しないからこそ、悩みのはずです。
 
 
 
まず、武術で解決する。それが私のやり方です。
武術で身体と心との関係を確かめる事で安心することで、自分の苦手な場面で自信を持って、試す事ができるようになります。
今日は「意識の力」以外に、もう一つ、「転ぶ」という力を再確認し、活用していただくためにお話しています。
 
 
 
この「転ぶ」という動きの研究を始めて、人間ってやさしいんだな、と思うようになりました。誰でも、どんな人でもですよ(笑)。
目の前にバランスを崩し、転ぶ人がいると、皆「気にしてくれる」のです。
 
反応の良い方は手を差し出してきます。
そうでもない人も、気持ちだけは「あっ」と心配してくれます。
あっ、と思った瞬間、一つしかない、大切な、自分の「意識の力」を使ってしまうのです。
使ってくれた、といっても言い過ぎではありません。
 
 
 
この時の状況を、転ぶ側から見たものを説明しましょう。
要求される動きは「転ぶ」という事ですが、「転ぶ」事を意識の力を使わず、本当に転んでみなくてはいけません。
うまく転べたとすると、相手はそれを心配し、こちらの身体に釘付けになります。
この時、まだ、自分の意識の力は温存されています。
つまり、相手はこちらに目が釘付けになり、動く事ができなく、こちらはまだ、意識の力を温存している、という有利な状況を作り出す事ができます。
そして相手の様子を確認し、動きが止まった時点で、いよいよ、意識の力を発動するのです。
 
 
 
技の画像で見てみましょうか。
相手から見て左に転び、相手の意識を左側に集中させます。
意識されている、というのを感じたら、次に右側へと身体を移します。
タイミングは重要ですが、意識の力と転ぶ力、二つの力を意識して使えれば難しい動きではありません。「二つの動き」ができるかどうかが鍵となります。
Img_3047mov
Img_3047mov_0001
Img_3047mov_0002
 
 
 
 
 
今日のテーマを覚えていますか?
「オレオレ詐欺投げ」でしたよね(笑)。
最近のオレオレ詐欺は巧妙になっていて、気をつけていても、被害に遭う方が続出しているとの事。
時々聞くニュースによれば、その詐欺の手口は「劇場化」して、たくさんの登場人物が現れ、気がつくと、相手を疑うフィルターが取れてしまうとの事です。
 
 
 
仲間がいれば、一人を翻弄するのは簡単でしょう。
武術で言えば、相手を捕まえている間に、仲間にポコンと、叩いてもらえば終わりです。
しかし、稽古の状況は一人で戦わなくてはならないものを設定しています。
自分という人間は一人なのですが、役割として、最低二人分動かなくてはならないのです。
その「二人」というのが「意識の力」であり、「転ぶ力」なのです。
まず、転び
Img_3047mov_0003
 
 
持ち上げます。
Img_3047mov_0004
持ち上げる、という動きを相手は気づいていますが、もう、すでに相手を止めようと動いてしまっているために、動きが間に合わずに、崩されてしまうわけです。
 
 
 
相手をかわす動きも同じです。
意識して左、右とかわそうとしてもまず、相手についてこられます。
Img_3047mov_0012
 
 
まず、相手に意識してもらうために、転びます。
Img_3047mov_0013
 
 
そして相手が気にしてもらったあと、すかさず、かわしていくのです。
Img_3047mov_0014
 
 
これが刀になればこんな感じ。
まず、転びます。
Img_3047mov_0055
 
 
そして、手を出し、かわします。
Img_3047mov_0056
 
 
 
重要なのはそこに複雑な手順があるわけではない、という事です。
私たちはつい、手順を求めてしまいがちです。
「正しい手順」、「正しい方法」があると思っていませんか?
そんなものはありません。
手順で示された道を進むために、気を引く役目、実行する役目があれば、相手に抵抗をすり抜け、手順どおりの技を行う事ができるようになるからです。
 
 
 
普段、こういうこと、当たり前にやっているんですよ。
ただ、気がつかないだけ。
私はお手玉でようやく気がつきました(笑)
いや、知ってはいたんです。
でも、転ぶということが分かっていなかったので、たどり着けませんでした。
今の時代は転ぶことが少なくなりました。
自分が転ばなくても、機械やシステムが仕事をしてくれる時代ですからね。
 
 
 
でも、心に生まれてしまった悩みにはその機械やシステムは役に立ちません。
おそらく、昔の人は大人になる間にたくさん転んで、痛い思いもしたのでしょうが、そこに転ぶ力の威力、働きをしって、使いこなす事を覚えたのでしょうね。
上手に身体を使う大人を見て、子供たちは育つのでしょう。
しかし、現代は真逆。
失敗しないように、転ばないようにと親は教えます。
 
 
 
新しい機械やシステムが出てくるのを待つだけでは人生楽しくありません。
出てきたのならばありがたく使わせてもらうとして、今、自分にできる事をもう一度、確認してみませんか?
この程度の動きであれば、すぐにできますからね。
難しいと思わず、試してみて下さい。
=========================================
講座の予定
1/27 【スピリチュアル部】カラダで不思議を考える会
2/4 名古屋初心者講座  名古屋研究稽古
2/19 名古屋初心者講座  名古屋研究稽古
 

【稽古報告】言葉は二度現れるの法則

ずいぶん、報告したい事がたまってきてしまいました。
スピードアップして、書き残していきますね。
頭の中に「?」が浮かんだ時には遠慮なく、聞いてください。
 
 
 
今日は「言葉の再現性」の話です。
う~ん、うまく説明できないんですが、オカルトチックなんですが、色々考えていくと、こんな事もありうるかもしれない・・・って話です。
今日の話は無理に信じてもらわなくても結構です(笑)。
ただ、日々、当たり前に使っている言葉にこれまで気づかなかった法則があるかもしれない、とワクワクできる人はぜひ、最後まで、お付き合いください。
 
 
 
簡単に言えば、感情を合わせて口にした言葉は近い将来にもう一度、自分の前に現れてくる、という事です。
なんの事だかさっぱりですね(笑)。
これから、自分の身に起こった例でお話します。
読み終わったあと、ご自身の口から出る言葉に気をつけて、生活してみてください。きっと、おもしろい事がおこりますから。
 
 
 
昨年秋ごろ、首の働きを見つけた時のことです。
両足でしっかりと立ち、その2本の脚のバランスをとるように、首をリラックスさせてバランスをとる方法に気づきました。
その際にこれは「張り子の虎」に似てますね・・・と説明したんです。
10月30日の稽古でした。
「張り子の虎」なんて言葉を口にしたのは、何年振りでしょう。
小学生の時以来かもしれません。
それでも、自分の動きを言葉にした時にイメージが上がってきたので、そのまま素直に表現しました。
およそ30年ぶりに発した「張り子の虎」という言葉。
それが11月2日、自分の目の前に「張り子の虎」が現れたんです。
もちろん、突然出現したわけではありません。
ある博物館の展示物の一つとして、飾ってありました。
その時、あれ?って思ったんです。
こんな事あるのかな?ただの偶然だろうか?
いや、偶然にしてはちょっとやりすぎだぞ・・・と。(笑)
30年口にしなかった言葉がたった3日のうちに再び口にしたのですから。
 
 
 
その時、「言葉」について興味が出てきました。
むかし、どこかで「一度口にした言葉は二度口にする」という法則があるんだ、と聞いた事があったからです。
その時の内容はだから「ありがとう」と口にすると幸せな事が起こるよ、というものだったと記憶しています。
まぁ、言いたいことは分かった。でもなぁ・・・、というのが本音でしたが(笑)。
その記憶がよみがえり、もしかしたら、と思ったんです。
 
 
 
自分の言葉に気をつけるようになってみると、その「法則」を裏付けるように、出てくるから不思議です。
メモしてなかったので、どんどん忘れていってますが、覚えているものを挙げてみます。
 
 
 
ある晩、ラジオだったかな?落語を聴いていました。その中で「楊貴妃」という言葉が「気になりました」。
気になる、というのがポイントのようで、そこに「感情」が伴う必要がありそうなんです。
その「楊貴妃」という言葉も何十年も口にしない言葉です。
すると、「翌日」、地元である熱田神宮には楊貴妃の水があるよね、と聞いたのです。
う~ん・・・、でも、まだ、偶然かもしれない。疑り深いのです(笑)。
 
 
 
お正月、久しぶりの友人とお酒を酌み交わしていた時です。
話の話題がこれからの日本は・・・と難しい話になり、このままでは羅生門のような世界になってしまうかもしれないぞ、と意見を交し合っていました。
羅生門って詳しくはなんだっけ、と思っていたら、「ちょうど」テレビで羅生門の話をしだしたり・・・(笑)
 
 
 
講座の問い合わせで古武術は「バッティング」にも使えるのか?と来ると、毎月バッティングセンターに数万円つぎ込むコアなバッティングファンの友人と数年ぶりに再開したり。
 
 
 
極めつけだなぁ、と思ったのは、「京極夏彦・姑獲鳥の夏」です。
普段、ミステリー小説は読まないんです。
昨年末、友人がこの本を貸してくれました。かなり分厚い本で読み応えがありそうです。
せっかく貸してくれたのだから、年末年始にかけてでも読もう、と思っていたんですが、時間が作れず、読めずじまいでした。
そして、昨年からずっと借り続けていた漫画がありました。
その本もなぜか、借りっぱなしで中身を見ずに本棚にしまいこんでいたんです。
「姑獲鳥の夏」ですが、1月中に会う予定があったので、それにあわせて読んでしまおう、と思ったのが1月の12日。飛ばし読みながらもどんどん読み進めて、1月13日にはほとんど読み終わりました。
翌14日は漫画を貸していただいた方とお会いする日だったので、忘れずに返そうと持っていったのですが、読まずに返すのは失礼だなぁ、と思って、道中、パラパラっと読んでいました。
怖くて楽しい漫画なので、ドンドン読めたのですが、その漫画の中になんと「京極夏彦」氏が出てきたんです!
うわっ、また出てきた(笑)。
もちろん、言葉の再現性の話ですよ。
そして、さらにそこからなんと、その漫画のテーマが「姑獲鳥」になっていくではありませんか。そして、当然のように「姑獲鳥の夏」という言葉が目に飛び込んできました。
いやいや・・・こんなピンポイントに「京極夏彦・姑獲鳥の夏」が出てくるんだろうか?
漫画を借りたのは数ヶ月前。ずっと読まずに本棚に入れておいて、「京極夏彦・姑獲鳥の夏」をたまたま読み出したそのすぐあとに、その漫画をたまたま手にとって、読んでいたら現れる・・・。
 
 
 
まぁ、偶然なのはわかるんです。
その「偶然の法則」になにかないのかな?と考えてみたんです。
 
 
 
引き寄せの法則、というのが人気です。
潜在意識を使いこなして幸せになりたい人たちがたくさんいます。
私もそのひとりなんですが、私の場合は基本が「武術」ですから、実際にその「瞬間」使えないものはとりあえず、横に置いているので、なんとか、冷静さを失わずに居られました。
しかし、今回気づいてしまった言葉の力は大変です(笑)。
やばい、人間って、ほんとに引き寄せてるのかもしれない、そう思いましたから。
ただ、このままその「引き寄せる」というのを信じるのは癪なので、その法則が成立する理由はなんだろう?と考えてみたんです。
現時点の解釈はこうです。
 
 
 
言葉が引き寄せるといっても、「感情」が伴っていなければそれほど、現れてきません。
お金持ちになりたいからといって、ただ、単純に「お金持ち」と口にしても、なんにも変わりませんでした(笑)。
驚きや恐怖、楽しさなど、感情が必要みたいです。
「張り子の虎」の時なんかが良い例ですが、「いってみれば○○」というのがいいみたいです。言葉に「意味」を持たせるんですね。
 
その「意味を持った言葉」は心に深く刻み込まれます。
すると、そのあと、無意識にその刻み込まれた言葉がアンテナとなり、普段の生活の中で目にするもの、耳にするものの中から探し当てるような気がしています。
 
 
 
毎日の生活の中で個人が得る情報量は文庫本数十冊といわれているそうです。(中には100冊以上、と言われる人もいるみたいです。)
現代人が1日で得る情報量は江戸に暮らしていた人たちの一生分、とも言われます。
まぁ、「たくさん」って事です(笑)
しかし、そんなたくさんの情報の中にいながら、「覚えている事」はほんのわずかです。
もしかしたら、毎日に生活の中には「あらゆる事」が溢れてるのかもしれません。
それが「張り子の虎」でも「楊貴妃」でも「姑獲鳥の夏」でもです。
「意味を持った言葉」はキーワードとなり、拾ってきてくれるかもしれない。
そう考えるようになりました。
 
 
 
だとすれば、自分が使う言葉には気をつけなくてはいけない・・・。
それが「今の」私の答えです。
自分が心から知りたい事をうまく言葉にすればちゃんと、それにあわせたものを持ってきてくれるわけですから。
 
 
 
ちなみに単純に「ありがとう」と口にしても、その「ありがとう」にどんな「意味」をつけるかで違ってくるはずです。
憎たらしい口で「ありがとう」と言えば、また、「憎たらしい口」で言わなくてはならないかもしれません。注意しなきゃ(笑)。
 
 
 
長くなってしまいました。
しかも、分かりにくかったと思います。
ご容赦ください。
そして、このあと、妄想を膨らませて、「デジャブ」を考える、というところまで行きました(笑)。
また、お付き合いください。
=========================================
講座の予定
1/27 【スピリチュアル部】カラダで不思議を考える会 ←ちょうど、今日の記事のような事ばかり考える会です^^
2/4 名古屋初心者講座  名古屋研究稽古
2/19 名古屋初心者講座  名古屋研究稽古
 

【稽古報告】2012/1/15 完璧な状況を見る

前回、「指先をそれぞれ、持ち場所につけておくと、悩みや迷いが消える」という事についてお話を始めましたが、伝えたい事の最後までたどり着くことなく、終えてしまいました。
実は、もうちょっと、役に立ちそうな考え方につながっているんです。
脳と指との間に関係がありそうだ、という事で、それぞれの指に仕事を与え、アクシデントに遭遇した際に指が動かないようにしておくと、身体に任せることができる、というお話をしました。
これは自分の内側に意識を持っていったときに気づく心の変化をあらわしています。
その心の変化を抑えるために「指」という自分の体そのものを使ったわけです。
どんな状況に遭っても、自分の体を整えたら、なんとかなる。この思いが、武術の場面では助けになります。
誰にも助けてもらえない場面だってありますからね。
逆にいえば、どんなに恵まれているように見える状況であっても、自分の体が迷い、混乱し、悩んでいるような状態では力が出せない、という事です。
 
・・・と、こんなところまでは前回、説明したと思っています。
今日はその次の展開です。
 
 
 
身体が内側としますよね。
では、外側ってなんでしょう?
 
 
それを自分以外のモノやヒトと考えて見ました。
私たちはたくさんのモノやヒトに囲まれて暮らしています。
それら「すべて」を自分の一部と考えてみました。
切り絵みたいな感じだと思ってくれるといいかと思います。
自分を説明するのに、名前、生年月日、慎重、体重・・・というのが内側の情報。
それに対してその内側以外の情報が外側です。
その外側がパズルのようにはまっていけば、ちょうど、内側の情報だけがぽっかりと穴があき、ヒトとナリが見えてくるはずです。
むしろ、外側の情報のほうがその人の事をよくあらわしているかもしれませんね。
 
 
 
さて、外側をどうすれば、コブシを丁寧に握った時に生まれてきた安心感のある状態にいけるのでしょうか?
 
考え方は同じです。
いや、同じ考え方をしてみたら、ふっと、心の中に安心が生まれてきたんです。
もちろん、これも、主観。
しかし、自分自身で出した答えです。
今まで、そうかもしれないなぁ・・・とグレーだったものに、自分の中で白黒はっきりしたわけですから、うれしいです。
 
手を握るという動作。
これを「一つ」として考えるのではなく、「三つ」に分けて、それぞれをちゃんと適材適所、仕事を与える事によって、頭に「やりきってる!」という事を与えました。
結果的に「どうなっても」、頭は出し切っていることで、後悔しなくても済むようになります。
では、外側と照らし合わせながら考えます。
手を握る動作、というのは外側で言えば、その瞬間の「状況」と言えます。
自分の意思で握るのが内側。
自分の意思とは別に色々な偶然が重なり合って、その場を形成するのが外側です。
では小指、人差し指、親指のそれぞれの指はどんな役目を追うか考えて見ましょう。
外側で言えば、その「状況」を構成するモノやヒトでしょうか。
その状況を構成する登場人物がそれぞれの指と同じ役割とすると、その登場人物が適材適所でなんの不満もなくいるとしたらどうでしょう?
その後、どんな結果になっとしても、後悔しなくてもいいんだ、それを確信しました。
 
 
 
ただ、問題は「そう見えない」という事です。
この世は奇蹟、偶然なんかない、と言うのは簡単です。
でも、口先だけでは・・・ねぇ。
そこで、「武術」なんです。
武術はその瞬間の自分の見方がどれだけ愚かなのかを教えてくれます(笑)。
これまでの稽古で分かった事は、どれだけ、「ダメ」「絶望」に見える状況でも、必ず、そこから抜け出せる方法が残されている、という事でした。
昨年、こんな状況から抜け出せるようになりました。
馬乗りから首押さえられたり、片腕を両手で押さえつけられても、逃げ出せるとは夢にも思いませんでした。
K1
K2
K3
U1
U2
甲野先生に出会う前は向かい合って、抑えられた片手を上げる事すらできなかったのに・・・です。
 
 
 
できる事、できない事ってのは、その時の気持ちによって、全く違ってきます。
飛行機が初めて飛んだのが、1903年。もちろん、ライト兄弟です。
当時、ヒトが作ったものは飛ばない、といわれていたそうです。
しかし、どうでしょう。
一度飛んでしまえば、ヒトの意識は変わります。
気がつけば、どんどん飛行機は進化していき、宇宙にまで飛び出せるようになってしまいました。
たった、数十年でです・・・。
 
 
 
長くなってしまって申し訳ないです。
伝えたいのは、自分の今、見ているものがすべてではない、という事です。
今、こうしている間にも、誰かがこれまでの常識を壊そうと、人知れず、努力、研究をしているのでしょう。
その研究が形になって、商品になった時、私たちは驚きを持って、それを受け入れます。
そして、いつのまにか、その世紀の発明も「当たり前」になってしまうのです。
 
 
 
飛行機、自動車、電気、家電、コンピューター、携帯電話、インターネット・・・。
信じられないものが当たり前になっている事をもっと、不思議に思っていいんじゃないかなぁ。
 
 
 
人の見方もそう。
その瞬間、自分にとって、嫌な状況であっても、それが本当に「ダメ」な状況かはわかりません。
どんなに不幸に思える境遇に置かれていても、それがその人に影響を与え、その後の人生を作っているかも知れませんし。
私自身、今、この仕事を始める事ができたのは、ちょっとしたケガで手が挙がらなくなったから。
幸い、1ヶ月ほどで回復しましたが、このまま上がらなければ、この会社で働いていけない、そう考えたりもしました。
そこで、どうせなら、自分のやりたい事をやろう!と、未熟ながらも、身体と心の不思議さと楽しさを伝える事を仕事にしようと決めたんです。
まさに、ケガが背中をポンッと押してくれました。
 
 
 
なにも考えない、という境地があるかもしれません。
しかし、どうせ、つい、考えちゃうんです。
その時の見方が嫌なものであれば、変えてみる力を追ってみてもいいんじゃないかなぁ、と思います。
自分以外のものを否定して、変えていくのも一つの方法です。
これまでの社会は誰でも平和で幸せに暮らしていけるように、機械をつくり、サービスを発展させてきました。
人がやらなくてはいけない縛りもどんどんとって、「自由」を作り出してきました。
しかし、同時にそれは、「自分で見方を変える強さ」を失わせてしまった様な気がします。
 
 
 
まぁ、なんだか、言葉にすると、元気出せよっていう自己啓発系の言葉になってなんだかなぁ、と思いますが、自分が信じたい言葉を身体を通して本物だ、と感じられるようになるのが武術です。
自分が信じたいことがある、という人はもう一歩研究、努力を進めて、確信に育て上げてみてください。
 
 
 
もうちょっと、生活への応用編は続きます。
読んで頂き、ありがとうございます。

【稽古報告】2012/1/15 迷いが消える指の使い方

さて、日曜日の名古屋での研究稽古の続きです。
今日は技の話はしません。
生活の中での生かし方、応用の仕方について、考えている事をお話しますね。
ただし、ここに書く事は全部、主観です。
理論的に証明できるものは何一つ、ありません。
ただ、技を通してでのみ、確かめた事ですので、無理に信じていただかなくても、かまいません。
まぁ、そういうことがあってもいいかな?と自然と入ってくるものだけ、受け取ってください。
主観だけであっても、役に立つ事もあればと思って、勇気を持って、言葉にしました(笑)。
なにか疑問等あれば、遠慮なく、jun@karadalab.comまでメールください。
もし、もっと詳しく聞きたい、というのであれば、公開稽古かネット講座でなら、遠慮なさらなくてもすむかと思います。
 
 
 
さて、日曜日に考えていたのは、
・指先をそれぞれ、持ち場所につけておくと、悩みや迷いが消える
・言葉の再現性
・デジャブ
・意識と心と肉体
と、まぁ、こんな感じです。
中には当日、はっ、と思いついたものもありますが、どういう順番で思いついたのか、定かではなくなってきました。
・・・というのは、少しずつ、それぞれが絡まっているからです。
まぁ、あまり、気になるところではないかと思いますけど。
 
 
 
技を体験していただく事で、身体を通して感覚的に伝えるのは得意なのですが、こうして、言葉に書くのは苦手です。
分かりにくいところもあるかと思いますが、ご容赦ください。
 
 
 
では、一つずつ、説明していきますね。
まず一つ目、指と脳、悩む事との関連です。
指廻し等が脳を活性化させる、といわれていますが、指先が動くと、頭(脳ですね)が働くんでしょうね。
頭が働くのであれば、それは喜ばしいことじゃないか・・・といわれそうですが、その頭の働かし方が問題です。
なにをしようかと、考えている最中ならば、頭をフルに働かす事がプラスになります。
たくさんの選択肢の中からより、効率のいいものを探す事ができます。
たっぷりと時間があり、考えられる環境であれば、それはプラスです。
しかし、いつもいつも、そんな状況ではありませんよね。
私がいつも考えているのは、どうしたら、自分が悩んでしまった時に、そこから脱し、楽しく過ごしていけるようになれるかです。
確かに、悩み、困ってしまった時というのは、解決策が必要です。
しかし、武術の状況では解決策だけでは足りません。
「選択」した方法を「実行」する力が必要になります。
何をすべきかはわかったんだけどなぁ・・・、という状況を乗り越えなくてはいけないのです。
この時、もう、頭は必要ありませんよね。
だって、なにをすべきかは決めたんですから。
しかし、なかなか実行し、完了する事は簡単ではありません。
だって、怖いですもん(笑)
恐怖のような感情が、自分が選択したものを疑わせます。
この時、「実行力」が無いと、また、違う方法を選びなおしてしまうんです。
すると、当然、また、頭で答えを探してしまいます。
堂々巡りですね。
そして、時間切れになってしまいます。
技の手順などは解決策です。
武術に限りませんが、10年も練習すれば、頭ではどうすればいいか、とわかるようになります。それもたくさんの方法を知るようになります。
しかし、できない。
私自身が実行力と解決策との違いが明確でなかったために、今まで気づけなかったんです。
技ができない時、自分を取り戻す事ができない時には、もっと、「別の方法」があるんだ、と思い込んでいたんです。
だからこそ、「実行力」に目を向ける事もなく、「方法」を探してしまったのです。
まぁ、それも必要な事ですし、役に立っています。
が、今の興味は「実行力」です。
 
 
 
実行しきるために必要な身体が「指」です。
いやぁ・・・ここまで話をするだけでも、大変な「量」になってしまいました。
技で行えばすぐに、伝わるのに(笑)。
 
 
 
実は選択には意味がないかもしれないと思っています。
これまでの稽古・研究をポイッと捨ててしまうのか?と自分の内側から声が聞こえてきます。
しかし、甲野先生に出会い、刺激を受ける事で、こういう経験は何度もしてきました。
そして、ずいぶん、捨てる事は上手になったと思っています。
今回も捨てていきます(笑)。
 
 
 
しかし、いくら実行力を高めたとしても、実行をした際に、時には失敗する事もあります。
必ず成功する、という保障はありえませんからね。
失敗したとしても、迷ったり、悩んだりしなくてもいい方法がないだろうか?と探しています。
頭だけで答えを捜し求めても、もう、答えが出ないほど、世の中は複雑になってしまいました。
環境問題と経済的発展。原発事故から露呈してきたエネルギー問題。
科学技術の発展と人間の幸せについて・・・。
つくづく、白黒つけられない時代なんだなぁ、と思います。
だからこそ、時代遅れに思われるような武術がこの時代に注目されてきたのですね。
武術は頭だけではなく、実際にその場に身をおいたときに、緊張して、ドキドキしてしまう身体も受け入れていかなくてはなりません。
言って見れば自分のみたくない部分、普段の生活の中では隠してきた部分を認めたうえで、行動する力を与えてくれるのです。
 
 
 
失敗も成功も、どちらになっても納得し、後悔しない、そんな欲張りな答えなどあるのでしょうか?
そんな答えを身体は教えてくれます。
 
 
 
今回注目しているのは「指」です。
指を使い切る事で、どんな状況にさらされても後悔しない自分への道がつながります。
指はそれぞれ、よく動きますよね。
この指が動くというのはそのまま、頭の中の活動です。
逆に言えば、この指を動かさなければ、頭の中は静かで、混乱しなくてもすみます。
 
 
 
しかし、休んでいろ、と命令してもこの指は「働き者」なんです。
なにか新しい刺激が自分の中に入ってきた時、まず、反応してしまうのが指です。
つまり、頭でそれを考えてしまうんでしょうね。
例えば、なぜ、こんな事になったんだぁ・・・とか(笑)。
しかし、考えるよりも、まず、逃げなくてはいけません。
脚を止めて驚き、ビクついている暇はありません。
子供の頃にはできた事が、頭がよくなりすぎてしまったせいか、大人である私たちはそれが苦手です。
 
 
 
指を動かさないようにする。
結果的に、その状態になればいいのです。
働き者である彼らに「休め」と言っても、隙をみて、絶対、働きにかかります。
だとすれば方法は一つ。もっと、しっかり、働かせてあげたらどうでしょうか?
 
この指がそれぞれ、仕事を分担し、自分がなすべき事をちゃんとしている、と感じてもらうのです。
すると、どんな時にでも、自分が活かされている、という充実感がやってきます。
大きな力が出てくるからうれしいのではなく、自分に与えられた役目をしっかりやれている、と感じられる時こそ、不安のない瞬間を感じられることを身体は教えてくれました。
 
 
 
生活と同じかもしれない・・・。
人を倒す必要のない時代に武術が活かされた瞬間だと思っています。
誰かから教えられたことではなく、自分の中に得られた強い実感。
この確信はこの先、よほどの事がない限り、壊れません。
そういう確信を積み重ねて自分探しをしているのかな?
難しい事はともかく、それが「楽しい」からこそ、その楽しさを伝えようと、こうして、書き続けています。
 
 
 
それぞれの指のなす事ですが、どこかの指が突出してがんばってはいけません。
五本の指が協力して、ゲンコツや開手など、必要な手の形を作るのです。
手がかりになる考え方は「丁寧さ」です。
実は「掃除」と似ているんだと考えてます。
(掃除が苦手だからこそ、どうしたら掃除できるのかな?と考えたものですから、なにか思うところがあれば、遠慮なく、一言ください。)
掃除が苦手な私は掃除をしなさい、と言われると、目に見える、大きなものから始めます。
そして、押入れなどに普段使わないものを放り込むと、よし、終わったと思います(笑)。
今ではこの考えが「ダメ」というのが分かりますが、客観視できなかったからですね。
しかし、こういう自分にとって「できない事」がなにかに気づく「きっかけ」になったりするわけですし、良い悪い、というのはわかりません(笑)。
 
 
 
さて、掃除ですが、大きなものを隠すのは問題外ですが、どうすればより、良い掃除ができるんでしょう?
掃除ができない私は掃除をしようと思うと、きれいにしなきゃ、と思います。
そして、途方にくれて、あきらめるのです(笑)。
諦めてしまえば、何事も「終わり」です。
時間がかかっても、「やりきる」ためになにが必要なのでしょう。
そこで、まずは作戦を立てます。
大きなものを方付け、床を掃除し、窓ガラスを磨き、本棚、書類を整理し、引き出しの中を片つける。最近はパソコンの中のファイルまで、片つけたほうがいいかもしれません。
ひとつひとつ、自分が気になる事をつぶしてやりきれば、結果として、きれいにもなるし、たとえ、掃除の不備を指摘されたとしても、ココが残っていたかぁ、と自分の気づかなかったところに気づく事ができ、むしろ、うれしいかもしれません。
まぁ、想像ですけど(笑)。
 
 
 
手を握る、という動きにその安心感を得られるのでしょうか?
手を握るという動きを行うと、普通、「1回」しか握りません。
しかし、この「1回」で「納得のいく」握り方ができるようになるのに、どれだけ時間が要るでしょう。
「ただ掃除をしよう」と思って隙のない掃除ができるのには「才能」が要ります。私にはできません(笑)。
でも、「丁寧に」手順を分けて行えば、やれそうです。
 
 
 
こんな風に、「3回」に分けて、しっかり、握ってみます。
すると、「1回」でやってしまった時よりも、はるかにしっかりと握る事ができるのです。誰にでも。
 
Image003
Image000
Image001
Image002
 
 
 
 
 
長くなってしまっていますけど、この手の位置が決まって動かなくなってくれれば、頭の中の混乱が納まります。
相手に触れた瞬間も、あれこれ、考えることなく、その手の形を極めたまま、動かさずにすみます。
とはいえ、そこには「衝突」が生まれています。
その「衝突」を何とかしなくてはなりません。
手指が動かないといって、簡単に諦められないのが私たち人間です。
手がちゃんと働いていれば、次に動き出す部分がでてきます。
それが普段意識しない「身体」なんでしょうね。
意識して動かす事ができない、と言ってもいいかもしれません。
身体に任す事で、結果的にその「衝突」が解決されてしまう、そんな解決方法です。
その際の「手順」はなんでもいいんです。
自分の技量と相手の技量の間に「衝突」が生まれます。
そもそも「衝突」自体を消そうと思っても無理なのかもしれません。
いや、この「衝突」をなくそうとしてがんばっているのが、科学技術や社会システムなのかな?
いいところまでは行っているのでしょうが、どこまで、滑らかでスムーズな社会になったように見えても、ちょっとした事で想定外の衝突は生まれます。
その時、もし、衝突を解消する力を失っていたとしたら・・・。
身体に任すために、手指、つまり、頭ができる限りの事をする。
たった、これだけです、伝えたいのは(笑)。
やってみたら、簡単ですからね。
それぐらい、私たちの身体はよくできているんです。
実は、これ、一つ目の「途中」です(笑)。
また、改めて、更新します。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
=========================================
講座の予定
1/21 大垣研究稽古 ←初めての方も参加できます。
1/22 浜松初心者講座  浜松研究稽古
2/4 名古屋初心者講座  名古屋研究稽古
2/19 名古屋初心者講座  名古屋研究稽古
 
 

【稽古報告】2012/1/15 名古屋稽古

1月15日日曜日、名古屋での研究稽古を行いました。
午前中、身分に合わない大役を頂いてしまい、膝と手が震えるという貴重な経験をしてきました(笑)。
何とか無事済ませる事ができましたが、こういう経験は後々になって、生きてくるんです。
 
 
 
さて、今日の研究稽古の予定は
・指先を決めると技が利く
・指と脳とのつながりの話
・言葉は繰り返す話
・デジャブの仕組みの話
などなど、用意をしてきましたが、まぁ、大抵、稽古の流れから、違った方向へと向かいます(笑)
 
 
 
開始から1時間ほど前に道場につくと、当然のことながら、誰もいません。
この1時間をお手玉の練習に使ってみました。
お手玉、やれますか?
私はもう、1個でもダメな人間なんです(笑)。
そもそも、子供の頃にお手玉をした覚えもありません。
年末にお手玉を頂きましたので、ちょっと興味が出て、最近、遊んでいます。
しかし、なかなか上達しません。
 
・・・それどころか、お手玉の投げ方がよほど力んでいたのか、右肩を痛めてしまいました(笑)。
武術の稽古で痛めたのであれば、心配もしてもらえますが、お手玉ですからね。
軽いものでも、普段使わないところを使ったんでしょう・・・缶コーヒーも触れないほどです。
まぁ、そんなケガはどうでもいいんです(笑)
 
 
完璧なものよりも、まずは3つ投げて、ちゃんとキャッチをしてみよう、と目標を小さくしてみました。1時間、ちょっと集中してお手玉をして、気づきました。
あっ、最初の一つを考えて投げてはいけないのだ!と、お手玉を手に大の大人がハイテンションです。誰も居ないのが幸いです。
「投げる」という動作は意識がさせるものです。
意識はどうしても、一つのところへ偏ります。
この一つしかない意識を最初に使ってしまうと、2つ目を投げる時、3つ目を投げる時、お手玉をキャッチする時に動けなくなります。
一つ目を投げる動きを「意識」で投げるのではなく、「転ぶ」ようにただ、ポンと投げてみました。この時、まだ、意識は残っていて、動く事が可能です。
一つ目が空中にいる間に二つ目を「意識」で投げます。
そして三つ目を身体に任せて、取りにかかります。
「1、2、3」と声に出しながらやってみると、できなかった動きに光が見えました^^
 
 
とはいえ、全く次につながる気配がありません(笑)
たまたま稽古に来られた若い男性がなんと、お手玉が上手で、まだまだ先は長いな、楽しいな、と思ったしだいです。
 
——————————————-
 
 
さて、こんなお手玉をしながらも、頭の中ではこれ、武術に使えないかな?と考えています。
研究稽古の参加者がお見えになった事でさっそく、稽古、研究開始です。
 
 
 
まずはなにより、新しい動きを身体で確かめてもらう事が大切です。
今日の新しい動き方は「指」です。
この指の使い方一つで、ウエイトトレーニングで鍛えなくても、強い力が生まれてくるじゃないか、という発見です。
いや、力が生まれてくる、というよりも、もともと持っている力が指の位置が決まらないために、この手に迷いが生まれているんですね。迷っていると、手にやわらかさが隙となって生まれてしまい、自分の力を伝え切れていない、という単純な理屈です。
 
 
こんな感じで力いっぱい、体重を乗せて抑えてもらいます。
これを「崩さず」あげてみたい、と考えました。
T1_3
当然、普通にやれば衝突しますよ。
この時なぜ、衝突するかと調べてみたら、自分の心に迷いが生まれているんですね。
そしてその迷いを取り去るのに有効なのが「指」です。
指をどう動かすかと言えば、「適材適所」。
なぜ、迷いがなくなるかといえば、自分の指先は「ここに居ていい」という、指としての役割をやりきった感を感じられるからです。
ここでは難しい事を考えずに、「丁寧に開く」「丁寧に握る」事を考えました。
そして、「丁寧」という事を「具体的に」考え、身体で再現性を持って表現できるようにするのが稽古なのです。
今日はその丁寧さを単純に開く回数、握る回数を増やしてみました。
普通「手を握る」動きをすると、「1回」握ります。
しかし、これを「3回」に分けて握ってみるのです。
まず、1回。まだ、上げてはダメです。
T21
 
 
 
そして、2回。まだまだガマンです。
T22
 
 
最後の親指、3回目です。この形になった時、それまで、意識することなく、ただ、握っていた時よりも「丁寧に」握れているのです。まぁ、コブシの精度が高まっているんでしょうね。
T23
 
 
さぁ、上げてみます^^
この時、ポイントは相手を「崩さない」という事。
バランスを崩す事はまた、別で考えていきます。
T2s
 
 
 
 
同じように、手を開くのも3回に分けて。
1回目、小指を開きます。
T11
 
 
2回目、人差し指を開きます。
T12
 
3回目、親指を開きます。
T13
 
 
すると、手がしっかり、隙なく開く事ができます。
「この手」が丈夫で強いんです。
自分の持っている「普通の力」を無駄にすることなく、相手に伝えてくれるんですね。
T2
 
 
 
 
 
 
では技を変えて見てみましょうか。
片手の腕をそのまま下に崩します。
これも、普通にやれば衝突です。
同じように、3回に分けて、「丁寧に」手を作って落とします。
 
 
1回目、小指。
Shot0002
2回目、人差し指。
Shot0004
3回目、親指。ちょっと握ってから「ただ、普通に」降ろします。
Shot0005
はい、こんな感じです。
Shot0007
 
——————————————-
とにかく、迷いが出ない、というのがメリットなんですが、「今の時代」、この指のポジションを決めている人はほとんどいません。
「今の時代は」、といったのはまだ、「お作法」が残っていた時代はこの指の先にまでしっかりと意識が届いていたんではないか、と考えられるのです。
だからこそ、腹の据わった、決断力を持って、生きていけたのではないかと想像しています。
そんな強い身体を私たちは受けついているんだ、と感じると、可能性を感じざるをえません。それが「誰でも、等しく」ですからね。もっとみんな自信を持って良いんです。
 
 
 
びっくりする、という練習を受身で試してみました。
後ろからバンッ!と突き飛ばしてもらいます。
それに対して行うのが受身ですが、この時、指をただ、普通にしていると、指先に神経が届いていません。ふにゃふにゃです。
 
すると、突き飛ばされた瞬間、「つい、無意識に」、指先に力が入って、バランスをとろうとしてしまうんですね。
こんな感じで。
 
Shot0071
しかし、こんな風に手をついてしまえば、脱臼などケガして大変です。
だからこそ、受身の稽古を・・・となるのですが、そもそも私たちには受身をとる力が備わっているみたいなんです。
問題はびっくりした瞬間、手を出さなきゃいいわけです。
最初から、指先全部にちゃんと、意識を届かせ、ポジションを決めてみます。
先ほどお話した丁寧に握る、開く、という事です。
丁寧にしっかり握ってみれば、まるで、ドラえもんの手です。
それぞれの指はしっかりと位置についていますから、働く「余地」がありません。
だからこそ、不意に突き飛ばされた驚いた時も、指はなにもできないのです。
 
 
Shot0082
 
 
すると、自然と今度は胸や背中、腰や腹など「体幹部」が働き出すんです。
体幹を動かそう、とがんばっている人も多いですが、動かす努力よりも、でしゃばりな指先、手先を落ちつかせることの方が大切なんですね。
ドラえもんの手状態で突き飛ばされると、こんな感じですね。
 
 
Shot0074
 
 
立っていても同じです。
普通はつい、手がでます。しかし、手を出すというのは受身じゃないですからね・・・。
Shot0119
Shot0122
身体に任せられるように、手指のポジションを決めてみます。
すると、びっくりはしても、その瞬間、手ではなく、体幹の方が働くんですね。
Shot0124
太刀取りに使ってみましょう。
突き飛ばされた時と同じように、目の前に刀が現れると、「怖い」んです。
びっくりするんですね。
つい、反射的に手が出て、守ろうとしてしまうかもしれません。
突きや蹴りはそれで受けられても、触れれば斬れる刃物では大変です(笑)。
 
K1
 
 
手が動いていかないように、手指それぞれを持ち場所に着かせて安心させます。
すると、その反射する手に振り回されなくなるので、作戦を立てられるようになるのです。
今日の太刀取りは「かわさず転ぶ」作戦でやりました。
刀が目の前に現れた時、わざと転ぶのです。
交わしたい!と欲を出した瞬間、地面を蹴ってしまい身体が居ついてしまうのを防げます。
こんな感じですね。
 
 
K2
K3
 
ここで、「お手玉」の原理が役に立ちました。
最初に書いてあるお手玉のところを読み返してみてくださいね。
「転んで」、「意識して」、「身体に任す」という手順が身体をよく動かすんです。
転んでいる最中は身体は無重力、浮いています。
次の瞬間どこへ行きたいか、どうかわしたいかを「意識して」動きます。(この時は地面を蹴ってる感じがありますね。)
落下していたエネルギーに方向が加わりますから、身体はより大きく崩れていくのを今度は「身体に任せて」見ればおしまいです。
うまくいけば、ちゃんと太刀をかわしていけます。
 
K4
K5
  
 
、いろんな技で試しましたが、「転ぶ」という事はやはり、重要、普段私たちは転ばないように意識しているのを感じます。
転ぶというのは日常生活で言えば「失敗」です。アクシデントといってもいいかもしれません。
特に仕事なんかではアクシデントを楽しむ余裕はなくなってきましたよね。
しかし、アクシデントや失敗を通して学び、成長していくものだとおもうんです。
それでも、まだまだ予想外のアクシデントは出現します。
問題はそのアクシデントに遭遇した時、パニックを起こさないようにする事だと思うんです。
アクシデントに対して、転びたくない!と考えてしまうのは受身の実験と同じです。
自分の頭を働かせすぎると、どうしても、身体が緊張し、もっている力を使いこなせません。
武術思考が役に立つってこういうことです。
稽古を通して、自分が大切だと思っている事が180度変わるんですよ。
価値観の転換がもう、めまぐるしい(笑)。
 
 
今日の新しい自分への入り口は「指」でした。
この指が落ち着かないんです。だからこそ、でしゃばって、つい、動いてしまうんです。
脳という字と悩むという字は似てますね。
そもそも脳というものは悩むものなんでしょう。
色々な可能性を考える働きはあっていいです。
だからこそ、これだけの文明を作ってきました。
選択肢をたくさん持つ、というのは武器をたくさん持っている事と同じです。
しかし、いくらたくさんの選択肢、武器を持っていても、実際にその武器に対して信頼をして、決断し、行動する事ができなければ、無意味です。
頭の中にはたくさんの悩みがあるかもしれません。
特に現代はこれだけ価値観が多様化した時代です。経済、政治、原発、あらゆる問題で、たくさんのゴールがあり、立ち位置、見方でたくさんの正解が生まれてきます。
だからこそ、多数決というシステムが生まれたのかもしれませんが、多数決して決まったら協力一致して行動しなくてはうまく動けません。
しかし、頭の中の悩みはやっぱりケンカですよ。
その頭の問題を頭で解決しようとしたらいつまでたっても、終わりません。
考えている間に終わりです(笑)
武術的思考は身体にその悩みを解決させるのです。
どんなたくさんの悩みがあっても、指がどうなっているかをしっかり感じ、その場所を決めると結果的に迷いがなくなるんです。
お化けのように手をぶら~んとさせて、「僕決断しました!僕に任せてください!」という人はいませんよね(笑)
仮にいたとしても絶対、任せません(笑)
「やります!やらせてください!」という時の手はしっかり、力強く、手を握りこんでいるはずです。
身体と頭の関係は面白いです。
つり橋効果ってありますよね。
ドキドキするつり橋で好きな人に告白すると、成功率が高い、というものです。
楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのだ、というのも同じかもしれません。
怖いからといって、指をそわそわさせるのではなく、まず、どんな状況でも、指を決める、という事をしてみれば、結果として、迷わない自分を見つけることができます。
まずは、ここで一区切り。
言葉とデジャブの思考実験はまた、今度。
稽古って考える事ではなく、体験する事です。
なんとか、言葉にしましたが、ぜひ、体験してくださいませ。
=========================================
講座の予定
1/21 大垣研究稽古 ←初めての方も参加できます。
1/22 浜松初心者講座  浜松研究稽古
2/4 名古屋初心者講座  名古屋研究稽古
2/19 名古屋初心者講座  名古屋研究稽古