稽古日誌

裏の発見までの道のり その二

新しいものに気づくときにちっちゃな法則がある。

それは、硬い動きなら柔らかく、速い動きなら遅く、全体を見ていたのなら、今度は細かく。

とにかく、それまでの興味とは真逆なものに興味が移るのだ。

 

甲野先生から教わった稽古の仕方は独特。どこにも似たようなものはない。そもそも、私は勝手に師匠だと思って背中を追ってはいるが、甲野先生からみたら、弟子ではないはず。

こんな師弟関係、いや、その関係がないのが甲野先生が教えてくれた稽古法。

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裏の発見までの道のり その一

とにかく、本当に、動きの変化が激しい。

ツイッターでなんとか、細々と書き残しているが、しっかり、伝えようとすると長くなる。連続ツイートをしていると、なんだか、申し訳なくなり、最後はいつと、端折る(笑)

 

 

久しぶりにこちらでも、この数ヶ月の動きの変化を残しておこうと思う。もう、ほぼ、稽古の度に新しい感覚に気がつくのだから、月に一度や二度稽古をする方も聞いたことがない話もあるかもしれない。

一応、私の動きは全て、つながりがある。前の何かをヒントにして、新しい何かを生み出す。ずっとそうだ。

もしかしたら、このあたりを丁寧に、伝えたほうが役に立つかもしれない。動きは変わり続けるが、伝え方はなかなか、見つからない(笑)。

もしかしたらずっと、みつからないのかも。ただ、それは、人それぞれ、1番の伝え方が違うからなのかも。

とにかく私にやれるのは、私達のすべてか持っている「身体」に対して、興味を持ってもらうことだけ。

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神経の発見への覚書

標題の通り、「神経の発見」までの経過を忘れないうちに書いておこうと思う。

これまで、筋肉、骨、皮膚、重力に内観、少しずつ、自覚できる世界を拡げてきた。新しい世界が見つかるたびに、それまで苦労していた技がいとも簡単にできるようになったりするのだから、本当に不思議。

そして、もっと不思議なのはその新しい世界観はすぐに普通になる、という事。なぜ、これまで、それを知らずに生きてきたんだろう、と思う。わかってみれば、その新しい世界観はこれまでの自分の時間の中でゼロではなく、ぽつぽつ、と現れていた事に気付く。ただ、その瞬間を見逃していただけだ。

今日、書き残す「神経」についても全く同じことが言える。

神経がない人なんていない。しかし、大人になればなるほど、神経に従うよりも、考えて行動しているらしい。

一応、私は、あれこれ、「変な経験」のプロセスを経て神経の自覚へとたどり着いたけど、それが「ある」のは確かなのだから、「ある」と思って生活をちょっと丁寧に見直してみるとすぐに気づく事ができるんじゃないかなぁ、と思う。

 

では、手帳を見ながら、思いだしてみよう。

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爪の効用はバージョンがあがりました

日曜日の稽古のおかげでずいぶんと、「爪の間」の事がわかってきた。

 

今年の初め、「爪」をつかう事の意義を見つけ、動きの「精度」が段違いになった。

普通の人はそんなことぐらいで、というかもしれない。しかし、爪という「確かな」ものを意識できるのだから、使わない手はない。

特に、目的のはっきりしている人は。 その爪が今、バージョンアップしたのだ(笑)。

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