上達のための足跡

【身体感覚の足跡】脚の並列処理

手の中に2本、違うルートで力が流れる事を並列処理と呼んで稽古をしました。手のひらを動かさずに、肘をクルクル廻すような動きがそれに気づくきっかけになったかと思います。
 
手にあるのであれば脚にも・・・、と試し始めました。ちょうど、その頃だったでしょうか?ちょっと定かではないですが、歌舞伎の世界で女性を表現する動きの稽古に膝で手ぬぐいを挟んで歩く、というのもヒントになったような気がします。
 
膝を動かさず、下半身を左右へ振りながら歩いてみると、脚の左右、内股側、外側に「軸」の感覚が見えてきました。軸と言えば、正中線。脚の軸と言えば左右の脚、一つ一つしかありませんでしたから、片足の中に二つ軸が出来るとは驚きました。
 
この動きが具体的な技に展開したかといえば、それほど、変わりませんでした。ただ、動きが2倍複雑になれば、相手もそれを感知して押さえるのに、2倍苦労しますかね。効果はあったんです。ただ、脚という事もあって、意識しづらかったんでしょう。興奮は一時のもので、すぐ、また次へと向かいました。
 
今、ふと、思い出してこれを書いています。そうだ、脚にも並列処理があったぞ・・・と。
 
ただ、印象に残る技がありました。
「走る」という事です。
走る事が苦手だったのですが、この両足の左右を交互に使いながら走る方法をためすと、疲労が減るんです。理屈としてはわかります。別々のところを使いますからね。なんだかクネクネ走っていました(笑)。
 
まさか、これが、また下地となって、技が展開していくようになるとは・・・。
期待感をなくす姿勢として書いた使い方とリンクをしていきます。

【身体感覚の足跡】両手の役割を変えて持ち上げる

武術の稽古は戦いの稽古が多いです。刀を振ったり、抑えてくる相手を振り払ったり。でも、それは日常の生活の中ではほとんど出てきません。稽古で得た身体感覚を使いやすい場面はなんと言っても、重いものを持ち上げる動きです。(それすらも、機械やシステムのおかげでなくなりつつありますけど)
 
どうやって持ち上げるのか?試して頂きたい動きがあります。
 
両手にそれぞれ「役目」を与えるのです。どうですか?一生懸命、両手でぐいっとやっちゃいませんか?
 
まずは、「そのモノとつながる役目」と「動きを作り出す役目」と分けてみます。言葉だけでは難しいかもしれません。でも続けます(笑)。
 
そのモノとつながる役目の方ですが、指先にかかる圧力を一定にしておく、ぐらいでOKです。今(2011/05)ならもっと丁寧にしますが、役割を与えるだけでも違いますから、感度は気にしなくても大丈夫です。
 
つなげておいて、あげる。実際にあげる実感があるのは片手だけです。もうひとつはバランスを取っているだけ。でも、なぜか両手でやるよりも軽いんです。面白いです。こんな小さな事も常識を壊すきっかけになります。

【身体感覚の足跡】分離から生まれる自由感

自分の中に反射神経が「ある」というのを身体で感じてから、なんとか、この動きを「落ち着いて」使いこなせないかと工夫をし始めました。反射神経は思わずする動きに近く、どうしても制御が難しく感じたのです。
 
いつも、次の工夫はこうして始まります。出来なかった技が出来るようになって、嬉しいんですが、どんな技もそのうち当たり前になり、最初の感動がなくなります。飽きてくるんですね。その気持ちがあって、今度は冷静にその動きを観察し、足りないところ、次に繋がりそうな部分を見つけられます。今回もやはり、そうでした。
 
ゆっくり、落ち着いて、自分を観察してみると、反射神経に気づく前では感じられなかった感情がわいてきます。以前は、掴まれた瞬間、危ない・・・と警戒モードに移るわけですが、実際にその状況は反射神経を活用するとクリアできる、つまり、困らない、というのを知っている自分がいます。じっと、内観してみると、手首を境に困っていた身体と困っていない手に分かれている事がわかりました。
 
それまでの自分は腕にいたようです。でも、手首から先の手に意識を持っていってみると、どれだけ抑えられていても、実は全然、困っていない、という事に気づきました。手首の関節はものすごく細かく、精妙に出来ています。単純な力ではその動きを止める事はできません。
 
にも関らず、これまでは頭のほうが、まず、思考停止になってしまっていたようです。それまで、漠然と「腕」と思っていた部分を手首で「分離」して考えてみたら、どんな事があっても自由な手がそこにありました。邪魔をしていたのは、自分は自由ではない、という先入観でした。
 
自由になるには、それを担保するものが必要みたいです。どうも、これは「親子関係」に似ています。子である手を自由に働かすために、親である腕がどっしりと見守る事が大切・・・そんな感じです。
 
一旦、自由を感じた手はそれほど意識しなくても、楽に動かす事が出来ます。自分は大丈夫、という事が経験できればいいんでしょう。お説教じみた術理ですが、「浮き」に繋がっていくものですから、ぜひ、受け取ってもらいたいと思います。

【身体感覚の足跡】連鎖する身体感覚

友達の友達は友達、と言われます。でも、実際には目の前の人にイライラしたり、好きになったり感情はめまぐるしく動きます。好きになるのはいいでしょう。ラブが拡がれば世界は平和です。でも、イライラが連鎖しているとしたらどうですか?
 
例えば目の前の人にイライラしてしまった。そのイライラに任せてその目の前の人を攻撃してしまったとします。その攻撃を受けて、目の前の人は負け、自分は勝ったとしても、ここで終わらないよ、という話です。

負けた相手はそのイライラ、不平不満を家や学校、会社へともって帰ります。そしてそのイライラをそこでぶつけるかもしれません。きっと、そのぶつける相手はその人よりも弱い人です。
 
この時、イライラの種として考えると、3番目にイライラを受け取った人は自分のイライラも関係している事になったりしないだろうか?という事です。
 
まぁ、世界は繋がっている、って話ですね。これをそんなことまで考えてられるか、と一蹴する事は簡単です。でも、イライラを積み重ねても自分が楽しく過ごせないかもしれない、と考えてみる時間を作ってもおもしろいと思います。
 
やっぱり私はこれを武術の中で試しました。「ありがとうの術理」で少し書きましたが、相手の事を思い、相手を否定するのではなく、力が欲しいのならどうぞ、という気持ちで向き合うとなぜか、身体に力がわいてきます。
 
力には流れがあります。その流れの向きを内向きではなく、相手に渡します。すると、また、どこからか力が戻ってくるんですね。なんていうのかなぁ、元気になるというか・・・。
 
情けは人のためならず、という言葉がありますが、まさにそんな感じです。

【身体感覚の足跡】指先から動く

反射神経を使う気づきにきっかけになった動きがあります。ある時、ふと、指先から動いてみようかな?と思ったんです。なぜ、そう思ったのかは覚えていません(笑)。いつも、気づきは突然ですからね。
 
そのなにげないヒラメキが、まさか、こんなにも大きな楽しみを生んでくれるとは夢にも思いませんでした。
 
片手を片手でぎゅっと力いっぱい掴まれていた時だっとおもいますが、しっかりと手首を握られて動けなかったんだと思います。その力に対抗してなにかをしようというよりも、なにが出来るか、なにが楽しいかを考えたのかなぁ・・・、手首を巻き込むように、指先だけでも逃がそうと、動いてみました。
 
結果、その固いガードからでも、するりと逃げ出す事が出来たんです。この一つの体験、経験が元となり、いったいどんな仕組みでその現象がおきたのかを探りました。
 
すると、手首はどんなに押さえても、アソビがある事が分かりました。ぎゅっと握られ、動かない、と思い込んでいただけであり、まだまだスキのある部分はたくさんあったのです。思い込みは良い風に働く事もあれば、そうでないときもあります。今、ここで、手首はどんなに逃げ道が無いように思えても、まだまだたくさんある、と伝えましたけど、それを確かめるのはそれぞれの経験です。
 
動く部分がある、と気づいたならば、少しずつでも、そこから逃がしてあげると、結果的に身体全体が動いていきます。逃げるには一斉にではなく、まずは先発隊が道を作るのです、そうしないとパニックで全滅してしまいます。なるほど・・・(笑)