上達のための足跡

【身体感覚の足跡】反射神経の速さを使いこなすスイッチ

熱いものを触ったとき、私達の指先はビュッとものすごい速さで、考える間もなく動きます。はい、異論がある人はいませんね。
 
速く動かそうと考えてもなかなか動かないのに、この身体の中にはもう、すでに速く動くための仕組みがあるんです。でも、その動きを自分の力として認めることなく、自分は速く動けない、と諦めてしまっている人がいます。
 
私もそうでした。なぜなら、なにをやってもうまく行かなかったから。
結果が伴わない中で、自分の事をすごい、と考えるのが難しかったんです。
 
でも、間違いなく、あの、反射神経のスピードは私達の中にはあるんです。
こう、断言できるのは、そのスイッチの一つを見つけたから。
 
手首をブラブラっと振ってみて下さい。
下に行ききれば、上がってきますし、上に行ききれば下がってきます。意識をしなくても、上下もしくは左右を行き来しています。
あまりにも、当たり前すぎて、気にしていませんが、これはコントロールをして動かしているわけではありませんよね。
 
手首の中で反射的に動きが始まっているんです。
意識の中では後ろへ引いても実際の動きは前へいく、という事が起こります。自分の中で生まれる驚きを言葉にするのは時間がかかり、変な感じですが、動いてみると、一瞬です。こういう速さ、働きがあるし、出来ると経験する事。出来ないと思って、一生懸命練習するのとでは楽しさ百倍違います(笑)

【身体感覚の足跡】肩甲骨の思い出

ものすごく古い事を思い出しました。
当時、肩甲骨ってなんだったっけ?そんな知識レベルだったかと思います。
 
初めて甲野先生にお目にかかった1995年、その日、見せてくれる技に驚き、どんな質問をすればいいのかもわからない時間を過ごしました。
その中で背中を見せてくれたのですが、その背中がすごかったんです。「肩甲骨」がグルグル別の生き物のように動き回っていまして。目の前にいる人は同じ人間なのか・・・と驚かされました。
 
当然、動かそうと思っても動きません。
心臓などの筋肉は意識では動かせませんが、動き続けています。でも、心臓はもう、身体の奥にありますから、気になりません。でも、こんな身近に、そして、見ることができる筋肉が動かせないなんて・・・。ショックでした。
 
思い通りでなくてもいいんです。あぁ、動いている、と思えれば。でも、それすら叶いませんでした。こういう小さな(大きい?)ショックが、今まで稽古を続けられるモチベーションになっているのかな?
 
 
 
ただ、数年後、友人にその話をしたら、こうか?と見せてくれました。甲野先生と同じように良く動くんです。寄せては、開き、立たせて翼のようにしてみたり・・・これにも驚かされました。
 
どうして?と聞くと、ボディービルでは当たり前のようです。ただ、その良く動く背中をもっている彼でも、ただ、手を上げるという単純な技も出来ませんでしたから、もったいない話です。きっと、その背中は人に見せるためのもので、緊急時に自分を委ねるためのものでなかったのでしょう。仕事で出来上がるのではなく、トレーニングで作るとそういう傾向があるのかもしれません。
 
ふと、思い出した、肩甲骨の話です。動きますか?

【身体感覚の足跡】ありがとうの術理

武術は単純に相手を憎らしい敵と思わず、その出会いを高めていく事で、作り上げられてきたものと言われています。
しかし、実際にその高まった出会いを見ること、体験する事はなかなか難しいです。柔道や相撲など、日頃良く目にする「戦い」もどうしても、結果重視になってしまいます。逆に勝敗を求めて行くべきスポーツでなぜか、感動を・・・という言葉が多いのですが、その感動という喜びは本物なのでしょうか?
 
ありがとうの教えが大好きです。争わずにすめばいいのに、と思いつつ、戦いの状況でそれを行う事の難しい事・・・。
それが「間合い」を通して具体的にありがとうの思いを身体で表現できるような気がしたのです。最初、足という身体を動かさねば感じられなかった「友達の間合い」も徐々に慣れてくると、思いだけを近づける事もできそうな気がするんですね。
 
形として、動きとして目には見えませんが、相手の事を思う事によって、この身体が強くなる(具体的には姿勢が強くなります)事が分かります。
 
生きていくうえで、人がなにを基本にしていくかは自由です。強制するものでも、されるものでもありません。ただ、私はありがとう、と感謝をしながら生きたいなぁ、と思っているだけです。頭でそれを願っても、身体がどうしても拒否してしまう事がどうしようもなく、苦痛でした。人に対してではなく、そんな自分がです。派手な技でも術理でもありませんが、今、楽しくすごせるのはこの気づきがあったからだと思っています。

【身体感覚の足跡】友達の間合い

「ありがとう」という教えがありますね。
なにがおきても「ありがとう」と、まず、口に出していってみるところから始めるそうです。ただ、これがなかなか難しいです。お分かりだと思いますけど(笑)。
 
それでも、やっぱり「ありがとう」だろう、と私は考えています。身体が変わると気持ちが変わり、お互いに変化が現れるというのを技で確かめましたから、強いです。
 
こんな実験をしました。
前に歩こうとする自分がいます。そしてそれを止める相手がいます。まぁ、敵ですね。
歩いていこうとすると、相手はこちらの両手を押さえて邪魔をします。
この時、相手との間の間合い、距離が決まるんですね。
 
偶然決まってしまったような相手との距離感ですが、ものすごく正確に相手との距離が決まります。つまり、お互いが敵と考えていると、かなり、前から相手を拒絶し、自分の中へと入れる事を拒むようになるんです。これは何回試しても、ぴたっと同じような間合いが決まります。
 
このぶつかり、止まってしまった時、あせらず、間合いを変える事を考えます。友達の間合いまでです。いきなり、恋人のように抱きつこうとすると、さすがにばれてしまいます。まずは友達から(笑)。その友達の基準を間合い、距離として考えました。まず、半歩、相手に近づくんです。
 
後ろ足を前足にぶつけるようにして、ポンッと出てください。
半歩だけですから、全体のバランスは壊れる事はありません。むしろ、新しい間合いでバランスが自然と生まれてきます。
 
この時、相手は敵として頑張ろう、という気が少し抜けるんでしょうね。
ちょっとこちらを受け入れやすくなっているはずです。
こういうところから、コミュニケーションの身体を使っての研究が始まりました。

【身体感覚の足跡】壁と見るのか穴と見るのか

外側の意識をどう伝えるかで当時色々と工夫をしました。
目に見えるものとは違うものを見るわけだからなかなか伝わらないんですよね。
 
こういう実験(遊び?)をしました。
手のひらを前に出してもらい、それをゲンコツで押すという実験です。
目の前にあるのは手のひらという壁です。そのカベに対して、ゲンコツという塊をぶつけるのですから、当然衝突します。圧力が高まるという事ですね。
 
こういう「常識」が私達にはあります。
そこで、この手のひらに穴が開いていると思って、押してみましょう。
イメージの力です。どうですか?なにか変わりますか?
 
 
 
もしかしたら、イメージをするだけでそれまでカベとして見ていた時に生まれていた衝突がなくなってしまった人もいるかも知れません。そんなイメージ力豊かな人を私は憧れ、尊敬します。私は出来ないですから。
 
イメージ力は無くってももう一つ、方法があります。
それは「経験」です。
 
とはいえ、目の前の手のひらに穴は開いていません。
ですから、穴を作ります。
両手でワッカを作り、穴を作ります。
その穴めがけてゆっくりゲンコツを通してみてください。
 
穴を通すとき、そこでドキドキする人はいないと思います。そこに壁は無いのですから。壁が無いからこそ、身体は緊張せずに、そのまま自然な状態で、そのワッカをくぐります。
この「なにも変わらない」という体験が欲しかったのです。
この変化しないという状態をしっかり覚えておきながら、もう一度、手のひらのカベにゲンコツを進めてみてください。きっと、「違う」感覚に気づくかと思います。