上達のための足跡

【身体感覚の足跡】目の前の事を忘れる方法

武術の状況を考えてみてください。
目の前に敵が現れました。敵ですから、嫌な相手です。なぜ、嫌かというと自分の力が目の前の相手には足らないと思えるからですね。アリンコを敵と考える人はいないでしょう。でもそのアリンコも軍隊を作って脅威となると、立派な敵になってしまいます。
客観的にどれだけの力を持っているかというよりも、自分との能力の差なんです。
 
 
さて、実は目の前の相手を敵だと思うと身体が緊張します。
緊張すると能力がうまく発揮できません。もちろん、火事場のバカ力的に出てくる場合もありますが、使いこなせない力はギャンブルですからまずいですよね。
だから「リラックス」という教えがあります。
でも、簡単にリラックスできるわけではないですよね。「敵」なんですから。
 
今日は簡単にリラックスをする方法を教えます。簡単です、ものすごく。
どうすれば敵を目の前にしてリラックスできるのか?
それは「その場でくるりと回る」事です。
 
そんなまさか?と思うかもしれません。
でも、くるりと回る事で、実は意識も回ってしまい、相手に「集中する事ができなく」なります。
敵を見てしまい、考えてしまうから緊張します。
じゃあ敵を見なきゃ良いじゃないか、となりますが、目をつむっても逸らしても意識の中では嫌な相手にフォーカスしちゃってますから、余計怖いですよね。
 
でもくるりとまわる動きは意識までいっしょに連れて行ってくれるので、結果として次に相手が目に入ったときには「初めて見た」時と同じになります。
その初めて出会った次に選択する行動が大事なんですよ。
 
さっきは敵として、怖いと思い、緊張してしまった。でも、くるりと回ってリセットできたから今度は緊張する前に全力で逃げてやろう、とするわけです(笑)。
 
 
冗談みたいに聞こえる人もいるかもしれません。
一生懸命立ち向かっている人ほど。
でも、ものすごくパワフルです。
子供達はストレスを溜め込まず、明るく毎日を生きています。
子供達を観察してみてください。彼らはくるくる回ったり、ピョンピョン跳ねたりするのが大好きです。
身体が居着かないからこそ、心に明るさを保っているとおもいます。
 
元気がない人、欲しい人、まぁ、ちょっとその場でクルッと回っちゃいましょうよ。何かが減るわけでもないですし。

【身体感覚の足跡】指先は力の出口

武術の稽古を始めて初期の頃に見つかった「力は流れる」という事。意識できる身体の部分が二つあれば繋がりますから、わかりやすいかと思います。その力の流れが、手首までやってきた時、「くそ握り」という方法で手首の山を越えて、「手のひら」まで力を流していける事に気づきました。手のひらが動く、動かせる事に気づき、これまで以上に微妙な動きが出来るようになりましたが、まだまだ終わりじゃないんです。
 
手のひらの先には指があります。「指アーチ」として、指に力を入れる方法を紹介しましたが、手首から徐々に指先へ力が向かったときには全く逆の動きになります。力をためるのではなく、流すように使います。
 
指先へ流すとそこは行き止まりに見えます。でも、この指先が力の「出口」の役割も果たすみたいなんですね。
 
親指をぐっとつき伸ばしてください。どうですか?よ~く見ると、アーチが出来ていますよね。そのカーブを壊さないように力を入れていると、カーブに沿って力が流れていくんです。
 
この親指はスプーンみたいです。固いアイスクリームにスプーンを入れる所を想像してみてください。丸く、表面を薄く削いでいくようにしますよね。この動きがいいんです。相手にぶつかることなく、力を相手に渡す事ができます。
 
この丸い動きは直線的な力では抑えにくいものです。
重さに対しても力をぶつけさせずに常に角度を変えるように、入っていけるようになります。重いものを持つときなど、この指の使い方をしっているだけでも十分役に立つかと思います。
 
ここでもやはり大切なのは、この指が出口になる、という実感です。
指先まで意識を通して・・・とはよく言われますが、ただ、頭の意識を指先に飛ばすのと、身体の実感を伴って意識を飛ばすのとでは大違いです。見ているだけでは傍観者です。いざ、そこに力が必要なときに助けて上げられません。しっかりと、身体で指を感じる。そのための稽古が力をながし、手首を越えて、手のひらを動かし、指から流していく稽古です。
 
この指先の運転法は力が身体から外へでていく、という事に気づかせてもらった大切な動きです。

【身体感覚の足跡】手のひらの発見

手首で止まっていた力がいったん流れ出すと、それまでとは全く違った動きが次から次へと出てきます。手のひらが動く、という事を見つけたのも手首が動き出して、すぐでした。
 
とにかく力任せに握る動きから一転して、柔らかさを求めました。講座に来ている人はこの急展開を楽しめなきゃ、続きません(笑)。決まりきった基本なんて、無いんですから!!
 
まぁ、その瞬間、自分が一番情熱をもって稽古できる事を伝える事がなによりの指導になる、というのは甲野先生が教えてくれた事です。基本どおりになにかやりたい人は山ほどありますからね。自分が出会ったものを心底信じられる、と思えれば、基本どおりにガンガンやると楽しいと思います。ただ、私には自分の身体を信じきる能力が無かったのか、それが出来なかったんです。基本が正しくても、それを自分ではできない、って思い込んでいました。だから、こうして、一つ一つ、自分の身体のすごいところ、素晴らしいところを確認しながら、稽古しているんです。本当はやらなくても良いことなんですよ、きっと(笑)。
 
ただ、これがものすごく、楽しい。自分で自分を褒める稽古です。楽しくないはずがありません(笑)。自分で疑い、問いを作り、答えを出していく。すると、どんどん自分の中が拓けていくんです。
 
手のひらもそんな感じでした。未開の地というか、自分の身体の中の新天地です。
 
手のひらを開いたまま、もぞもぞ動かしてみてください。
動きますよね?
指はなるべく動かさないように・・・。
もぞもぞ、どう動いているのかわからないぐらい、微妙に動きます。
コントロールはなかなか出来ないかもしれません。
でも、それがいいんです!
自分でもわからない動きは相手にも全然わからないんですから(笑)。
 
 
こういう実験をします。
お互い向かい合って、手のひらを合わせます。そこで押し合うんです。
普通、力が同じような場合、合掌造りのように、力が止まります。
でも、この時、手のひらをもぞもぞっと動かしてみると、相手はすぅ~っと崩れていくんです。
手のひらを動かすからね、の一言がないと、相手は自分がなぜ、崩れたのかわからないみたいです。いや、動かしてるんだよ、と言ってもわからない、と言われる人もいるぐらいです。
 
手のひらは「掌」、「たなごころ」、「手の心」です。
昔の人はこの手のひらに心を見たんじゃないかなぁ、そう考えています。
正解はいらないですよ(笑)。自分の身体でそれを感じた事が嬉しいんです。
もし、自分の心を誰かに伝えたい、と思ったとき、それを伝える身体を持っている、とわかったんですから、嬉しくないはずありません。
 
 
そうそう、大丈夫。手のひらに才能ってありません(笑)。
皆微妙に動くようになっています。
それどころか、機械的に動かせる人、見たことありません。
ただ、動かないと思って、固まっている人がいます。たくさん。
後は、試すだけです。ぜひ、試してみてください。

【身体感覚の足跡】手首の発見

身体を「動かす」という稽古をはじめて、気になるのはこの自分の身体がとことん、動いていなかったという事です。もともと、何をさせても自分はうまく出来ない、と思っていたので、その事で元気を失うというよりも、もし、この身体を動かす事ができたら・・・と逆に希望が見えることが多かったです。
 
今から話をする「手首」に関してもそんな気づきでした。
動かす、という事を考えると、動きは柔らかい方が良いように思えます。現に、自分の理想としては柔らかくて速い動きを作って稽古をしていました。
 
指アーチから出る力を生かしたまま剣を握れないだろうか?と工夫をしていた頃だったと思うけど、ある人から、昔、「剣はくそ握りで」とどこかで見た、と聞きました。柔らかくなくては・・・と思っていたところだったので、非常に驚きましたが、こういう「まさか」の理論は大好きです(笑)。
さっそく、おしゃべりをしながら、くそ握りってなんだろう?と工夫を始めました。
 
とにかく、その言葉のイメージから、思いっきり、自分がやれるだけの力を出して、握る、事だろうと試していたときです。ふっと、手首が軽くなって、剣がものすごく速くなったんです。それ以前の自分と比べてですが・・・。
 
なぜ、こんなにも力んで、この剣を握っているのに、こんなにも速く剣が振れるんだろう・・・って。驚きながらも、そこは研究モードですから、疑いもかけつつ、なにが自分の身体に起こっているのかを探ります。
 
他人がやれば魔法のような動きも、自分の身体に生まれたものはちゃんと答えはあるものです。なるほど・・・これまで、気づけなかった自分の中のブレーキ、障害がそこにありました。
 
 
手首です。
 
 
手首を柔らかく・・・と考えていたのは、抜けば抜くほど、速くなると信じていたから。でも、実際には手首にはまだまだ余分はゴミが溜まっていたようです。そのゴミを「くそ握り」が手先に押し出してくれたようで、結果として、剣と腕が一体化したみたいです。まぁ、確かに、これだけ握りこんだら、一体化です(笑)。でも、ここまでは普通、やりません。それぐらい、力一杯でした。
 
工夫というほど、工夫はありません。あただ、握るだけ。
これは拳でも良いみたいです。
ぐっと手首を握られれ、押されたときに、指アーチを作ると、指先に強さが生まれます。その手のひら版といいましょうか、ぐっと、くそ握りをすると、腕に溜まりそうになった力が手首を通って、手のひらの中心へと押し出されます。
結果として、ものすごく、硬い拳が作れます。
 
 
こうして、昔を思い出しながら、書いていますが、このくそ握りがやがて、手の三角の工夫へと繋がるんですよね。今では力まなくても、手の内の三点にバランスよく力をいれると、くそ握りに負けない強さが作れます。
でも、手のひらを使う、という点で、まず、使ってみる、握ってみる、開いてみる、というのは大切だと思います。
だって、この手を使うことなんてどんどん減っているんですよ。身体を使わずに、使い切らずに、健康的に死ぬ事なんて、できませんから。選ぶのは私達、自分自身です。

【身体感覚の足跡】息を合わせる「経験」

息を隠し、盗むのが戦い。そして相手を恐れ、憎んで戦っているのに、実は相手との息を合わすことが、その戦いを良い形で終わらせる事が出来るってのが武術、すごい!

 

 

今の時代は殴り合いのような、わかりやすい戦いはない。でも、やっぱり同じ人間だから、戦いは「ある」。みんな仲良く、と出来るのは幼稚園ぐらいなもんだろう。

だから、ダメだ。という話ではない。その争いがあるからこそ、そこに自分が見つけられ、相手も見つけられる。そして、争っている者どおしがまた、息が合うようになればそれはまた、すごい喜びがあるはず。

 

大切なのは「息は合う」という事を身をもって体験する、という事。

そんな当たり前の事を?と思うかもしれない。

でも、私にとっては息を合わせる事はとっても難しい事だった気がする。

自分に息は合わせられない、ってぐらい思っていたかも。

 

でも、武術を通して、動きを通して、息って合うんだ、という事に気づかせてもらえた。息の合わない人はいない、それがわかっただけでもものすごい発見だった。

 

考えてみると、息の合わせられなかった私でもずっと、楽しく生きてこれた。だって、楽しいものはたくさんあったんだもの。テレビ、ゲーム、マンガ、パソコン、映画・・・20世紀はそんな時代だった気がする。楽しかったけど、それは周りが頑張ってくれたおかげ。

でも、さすがに歳を重ねると、単純にゲームやテレビでは喜べなくなる。そんなときにやっぱり戻るのが、コミュニケーションなんだろうなぁ。キレイ事だけで諦めちゃった人は武術を試してみるといい、ホントに!!