上達のための足跡

【身体感覚の足跡】発想の転換の実際

発想の転換についてですが、小冊子もありました。
改めて読み直してみると、ちょっとおかしいな、というところもありましたが、「その当時」の熱さがあって、まぁ、懐かしいです(笑)
基本的に、私は正しさよりも、楽しさですからね。

画像もありますので、参考になればと思います。
カラダラボのダウンロードページ2008年7-12月分の2008年7月号 発想の転換 です。

PDFファイルですので、直リンクはやめました。ほしい人だけ落としてください。

【身体感覚の足跡】発想の転換

頭を柔らかく・・・とは言ってもなかなかこの頭は柔らかくなりません。きっと常識、先入観があるからです。だからこそ、身体から受け取る情報を変えていくのです。身体で感じたものは信じる事ができます。逆に頭で聞いた事はどんな良いことであっても、疑問がわきます。自分の信じたい事を信じる事ができれば無敵、ですからね。
 
発想の転換こそ大事だ、と気づいた技があります。
介護の技でしたが、座っている人を90度横のイスに移動する状況です。
この時、どうしたらいいですか?と聞かれまくっていたんですが、上げなくてはいけない、という先入観があったんですね。上げるための工夫をいくつも作ってきました。
しかし、ある時、上げなくてもいいんじゃないか?と閃いたんです。
 
 
そこで、試してみました。
座っている人の前に、相手よりも小さくなるように、座ります。自分の肩に相手を覆い被らせるようにし、そこで、自分の身体を空気の漏れた風船のようにしぼませるのです。すると、相手の重心が前へとゆっくり進んでいき、結果として、お尻がふわっと浮き上がります。浮き上がれば摩擦はありませんから、余裕で、横への移動が完了します。
 
 
と、まぁ、書いてみればややこしいですが、あぁ、この程度の事は上手な人ならやってるな、と思ったんです。原理がわかれば、立ち上がった姿勢であっても、ひょいと浮かせられます。浮かせるときに、上げる気持ちで行うのか、降りていく気持ちで行うのかです。
 
専門家であればあるほど、そこに意識の枠が生まれてきます。だからこそ、頭をシャッフルさせながらの稽古が必要なんでしょうね。

【身体感覚の足跡】「流れ」を感じて「それ」をみる

人間がなにから出来ているのか、「正しい答え」は科学者にでも任せておけばいい。でも、自分の中ではぼんやりとでもいいから、考えておいた方が良いと思う。ちょっと嫌な事に出会ったとき、それだけで、自分のすべてが壊れてしまった、と考えるのと、自分の中の様子を探り、なぜ、今自分は嫌な気持ちになっているんだろう、と考えられた方がきっと楽しい。
 
武術とはそういう困ったときにどう対応すればいいのかを教えてくれるものだ。安全対策を完全に出来たとき、危ない事には出会えなくなるだろう。危ないって事がどういうことかもわからなくなるかも知れない。でも、今の段階ではそんな状況はありえない。あえて、危ない場面を作って、困った時にどんな事をすればいいのか、自分に問いかけるのだ。
 
精神的に不安定になるという経験をすると、自分がなにに囚われているのか気づく事ができるようになる、貴重な経験なのだ。前向きに考えると、自分が自分以外のなにかと精神的に繋がる、という事ができる気づきになる。
 
今から話をするのは言葉にしにくい。それでも、こういう気づきを経て、今の自分があるので、避けては通れない。詳しくは稽古のときに聞いて下さい。
 
稽古の中で名前の付けれないものを見た事がある。変な話ではあるんだけど、当時「それ」と言って解説をしていた。目の前の相手の首の後ろぐらいに「それ」を見つけて、それの動きにあわせてこちらの動きを変えていくと、楽々相手に入っていけるのだ。精神的な技に惹かれていてはいても、実際にどうすれば良いのかわからないレベルだったから、妙に興奮したのを覚えている。あんなに興奮して稽古したものも今では懐かしい思い出になっているし、もっとややこしい気づきもあったりするのだから、人間ってのは奥が深い(笑)。
 
あると思った人には見える、そんな程度のものかもしれない。でも、頭ではわからなくっても、身体にはそれがわかっているんだと思う。その身体がわかっている事を救い上げるだけの「余裕」が欲しい。だからこそ、危険を味わい、研究する稽古が必要なんだと思う。
 
車でも、自転車でも、自分に向かってきているものはわかる。ドキッとするからね。剣先を向けられればやはり、怖い。でも、ほんの数センチずれていれば気にしないで済む。授業中、自分が怒られているのか、後ろの席の奴が怒られているのかはわかるはずだ。そのときも具体的な動きではわからないレベルのものを受け取って、判断しているんだと思う。思考停止にならなければ、絶対に感じ取る事ができる程度のものだと覚えて置いてください。

 

 

ちなみに、その当時の様子を講座の資料として配ったものがあります。

参考にどうぞ。

カラダラボのダウンロードページの5月号、「流れ」を感じて「それ」を見るです。

【身体感覚の足跡】精神的操作

古武術の稽古は気がつかない間に、稽古を通して、感性やセンスが磨かれていく、という側面があります。「側面」と書きましたが、コンピューターなどにまかせる事で、センスを磨く事が出来なくってしまった現代においても、センスを磨けるものですがから、今を生きる誰にとっても、一番必要なものかもしれません。
 
身体を使っていく方法をこれまでいくつか紹介しました。
指アーチ流れ丹田・・・それぞれ働きがあって、強い力を生み出す事が出来ます。身体を動かす事によって生まれてくる力です。しかし、この時、精神的な面でも働きが生まれている、という事に気づきました。
 
技が効くときというのは、こちらの身体操法(指アーチ流れ丹田など)から生まれてくる力が抑える側に驚きを与え、こちらに対して、気を使うようになるのです。相手がこちらを気にしてしまえば、当然、自然な振る舞いはできません。予測を常に超えていくような動きをする事で、結果的に、技を効かせることができるようになります。
 
暗示のようなもの、と言っても良いかもしれません。
この精神的な働きを主にしてみると、それほど大きな力を作り出さなくてもうまく行く場合があります。相手の気をそらして、そのスキに入っていくのですから、簡単です。
ただ、この精神的な技法だけで済ましてしまうと、「イザ」という時には役に立たなくなってしまいます。
 
型稽古で技を練習していく時に間違いが起こりやすいのはこの時です。普通、師匠は弟子からすると、気にしてしまう存在です。その結果、師匠を前にした瞬間、身体が固まり技がかかりやすくなるということも考えられます。でも、そんな技、なんの意味もありません。
 
実際に、生活の中で必要とするのは、使える技です。使えるのであれば精神的な力であっても構いません。でも、使えないとき、それを精神的な力のせいに転化しても全く意味がありません。
 
構造として、人は反応するように出来ている、と理解しておき、その上で探していけば、スキのない技を作れます。そもそも心と身体は一つのものです。当然、どちらからでも「本当の自分」に近づいていく事ができるでしょう。しかし、精神論を説く人は実践が苦手、実践にこだわる人は、精神が苦手だったりします。武術はその両面から入っていけます。迷いを払う方法としてはなかなかなんですよ。
 
 
試し方を紹介しておきましょう。
片手を抑えてもらいます。その手を相手の力に負けないように上げていくわけですが、そのまま上げると、相手はしっかり、こちらの手の動きを読み、対応してきます。
この時、普通ではない使い方として、指アーチ流れ丹田などを使ってきました。でも、精神的な操作だけで考えると、もっとシンプルでもいけるのです。
片手が空いていますね、その片手で「ばれないように」相手のお腹を触ってみます。相手はその感触にふっと驚き、押さえている手の集中が途切れます。その瞬間であれば、「普通の」上げ方でなんの問題もありません。
 
相手の気を引く方法として、なにができるか、と探してみるのも良いかと思います。

【身体感覚の足跡】身体を包む構造「殻」

2本の線が見えてくると、その間に「面」が現れてきます。
その「面」を拡げて行くと、この身体を包み込む「殻」のようなものが見えてきます。
自分の身体に「構造」があるのを感じました。
 
なぜ、私達の身体はこの形を保っているんでしょうか?
頑張っているわけではありません。力を抜いても、この身体は身体のままです。
つまり、何らかのシステムがあるんでしょうね。しかし、それに気づく事はこれまでありませんでした。自分の身体の「殻」を信じたのではありません。まず、「殻」があったので、それを使ったのです。
 
今、こうして言葉を残しています。私がこれまで気づいてきたものを一つ一つ。でも、それを信じる必要はありません。もしかしたら、仕事や生活、練習をする中で、「あっ」と思う瞬間があるかもしれません。その時に活用してくれれば結構です。