上達のための足跡

【身体感覚の足跡】1次元の技、指アーチ

技の中に次元の違いがある、という事が分かったとして、より高次元の技が高級で、低次元の技はたいしたことがない・・・かというと、全然そうではない。

1次元の技、というのをちょっと紹介しておこう。

私達の身体にはたくさんの「パーツ」がある。

でもその「パーツ」をよく知っているか?というと、以外に知らない。

ずっと昔は身体を使う事でしか生活をする方法がないのだから、大人になるにつれ、身体で動きを学ぶ事になる。頭では「パーツ」を知らなくっても、身体は動くのだ。

 

 

でも、今の時代は大変「便利」だ。この身体の変わりに機械や別の人、つまり、サービスが行き届いている。頭でもしらない、身体もわかっていない、というのが現代なのだ。

 

そこで、改めて、この身体を見直してみよう。

まずは、指。指の力を考えてみる。どうしたら、より効率的に、より大きな力を指に集める事ができるのだろうか?

 

実はこの「気づき」、古武術を仕事としてはじめよう、と決意してから初めてもらった文化センターの仕事の直前に見つかったものだ。

だからこそ、この術理は良く覚えているし、今でも、「イザ」となると使うことも多い。

そう、未だに現役として通用するのだ。

より高次元の術理が見つかっても、この身体があってこそである。この身体をしっかりと使う、という事を忘れてはいけない。

 

 

みんなにも「指」はあるだろう。パソコンやケータイでも指は使う。でも、使いこなさなくっても仕事になってしまう。・・・それがいけない。

出来てしまうからこそ、まぁ、いいや、ってなってしまうんだな。

武術では「出来ない状況」から練習がスタートするのだ。

その「できない」を「できる」に変える「おまじない」が「指」なのだ。

 

 

最後に指に使い方。

手のひらを力強く合わせる。そして、指をあわせたまま、手のひらをはがすだけ。指に「アーチ」ができるとそこに構造的な強さが生まれている。

 

「指」という一次元といいながら、指を連動して動かす2次元のような技でもあり、結果的に出来上がる立体的な構造を効かせた3次元の技なのかもしれない。

 

床でやるとこんな感じ。これ、強いんです。

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【身体感覚の足跡】1次元、2次元、3次元

丹田のようなものであっても、自分の身体の中に知らないものがある、とわかりだすと、大人であってもワクワクします。それは子供達が感じている「成長」と似ているかもしれません。

この感覚が加速していくと、歳をとる事が全然怖くないどころか、あと、30年、稽古を続けていくと自分がどこまでいけるんだろう・・・と楽しめようになるみたいです。お金で買えないものの一つかもしれません。

 

 

さて、筋肉に流れがみつかり、丹田が見つかった事で、考えた事があります。普通に力を入れるのが1次元、流れが線のように思えて、それが2次元、丹田に力が溜まっていき、身体の中に立体感が生まれた事が3次元みたいだな・・・と。

 

 

知識としては知っていた「次元」という言葉。1次元、2次元、3次元。最近では3Dテレビや映画が出てきて、いろいろと考える事はあってもなかなかその知識を「実感」をもって、感じる事ってありません。

動きの中で、その次元があって、技の優劣を考えていく時に、「次元を上げていく」という考え方は単なる努力とは違った見方をする事ができるようになりました。

同じ次元の中で・・・とは例えば、ウエイトトレーニングのように、ただ、筋力をつけていこう、というものです。また、走り込みをして、スタミナをつけよう、というのも同じかもしれません。

それに対し、技を盗む、コツをつかむ、というのは単なるトレーニングでは得られません。そこには微妙な感覚をつかむ事が必要です。その能力を武術の稽古は教えてくれました。

 

 

こういってもいいでしょう。

センスが無い人間にセンスとはなにかを教えてくれるもの、それが稽古です(笑)

 

 

10年前のこの気づき、それが今、4次元ってなんだろう、5次元ってあるのかな?と「真剣に」考え、工夫し、稽古しています。子供みたいでしょうか?でも、楽しいから、いいんです。そして、この楽しさを伝えられれば・・・と思っています。

【身体感覚の足跡】自分の言葉に気づける稽古

【身体感覚の足跡】というタイトルでいくつか書いてみたものの、本当にこの仕事(カラダラボ)を始める前のコツはあやふやでいい加減。でも、それはきっと「モノマネ」の時期だったからだと思う。

 

 

自分の身体に生まれてきた感覚を自分の言葉で表すにはまだ、感性が足らなかったのだ。なんとなく、生まれたものをそれまでに聞いたことのある術理(これが主に、甲野先生が残してくれたもの)に当てはめていたのだと思う。自らの言葉になるのは「ウー」とか、「アー」とか、「ググッ」とか・・・文章ではありえませんでした。

 

 

でも、今だから言えることがあります。

この「ウー」とか「アー」が無ければ、今、この瞬間も私は「自分の言葉」を持っていなかったかもしれない、と。

 

 

なにが「自分の言葉」なんだろう?と考えてみてください。

今、頭に浮かんで、言葉にしようとしたものは「本当に」自分のオリジナルなものでしょうか?どこかで、影響を受けてしまったものではないでしょうか?

 

 

もともと「自分の言葉」にはコンプレックスがあって、だからこそ、人と話すのも、会うのも苦手でした。でも、甲野先生に学んだ武術の中では「自分の言葉」なしでは稽古になりません。

 

 

自然と「自分の言葉」を持つ事ができるのが私が目指している稽古の「場」です。セミナーのように私が先生になってずっと話をする事はいたしません。もしかすると、それを人は手抜きというかもしれません(笑)。・・・でも、一生懸命、なにかを「押し付けられる」のと、「自分の言葉」に気づく事ができるのとどちらがいいでしょうか?

 

 

・・・ご参加お待ちしています(笑)

【身体感覚の足跡】力をつなげる

なにかをしよう、と考えたとき、つい、使いやすいカラダのパーツがある。頭では身体全体で、と考えてみても、なかなか全体を使いこなす事って難しいです。いや、俺はできるぞ!っていう人もいます。でも、武術はそれをちゃんと、出来ているのか、口だけなのかを明確に教えてくれます。口先が通用しなくなるのが武術です(笑)。

 

丹田風なものに気づいてから、そこに力が集まると、姿勢がしっかりする事がわかりました。それまでは、強い力に対抗しようとすると、肩や足先に力がたまってしまいましたから。

 

 

当たり前ですが、肩や足は二つあります。二つあるという事は、その二つのバランスをとらなくてはいけない、という事です。これが難しい、私には出来ませんでした。だからこそ、大きな力に姿勢を崩されてしまっていたのです。

 

 

でも、お腹は一つです。そこに「ためる」事さえ気をつけていれば、自然とバランスは整います。後はそこに、どう導くかだけです。

手を握られ、押されたとき、肘を通って、肩に行き、そこから首に入って背骨を下りて、腰をなんとか乗り越えると踵にまで力が下りていきます。膝を締めるようにすると、手から入った「相手の力」が自分の身体を通って、丹田風なところへと入ってきます。

 

 

大雨と一緒です。

ためるところがはっきりしているからこそ、そこへと導く道が見えてきます。道が見えれば、後はそれをするだけ。つまり、迷わなくてもいいんです。

 

 

私達人間にとって「迷う」というのは大変な事です。覚悟が決まれば大抵の事はうまく行く、という人もいます。身体をとおして、「迷い」を感じられるって楽しかったです。

【身体感覚の足跡】はじめての丹田

あまり、セミナーや講座にでかけない私ですが、数年前、甲野先生に誘われて八卦掌の講座に参加したことがありました。その講座の中で教えてもらった「姿勢」があります。背中を丸め、腰を落とした構えです。
 
 
 
この姿勢で三時間ほどでしょうか?その日の感想はとにかく、わからないし、体が痛い…そんなものでした。
 
 
それが、翌日、お腹が痛いんです(笑)。筋肉痛なのかどうかもわかりません。でも、それまで感じた事のない「感覚」です。不思議なことに、このお腹の痛みを感じていると、どれだけ押されてもフラフラしないんです。びっくりしました。
 
 
当時、若かったんですね、これこそ丹田に違いない!と大喜びして稽古してましたし、仲間にもそれを伝えました。言葉は稚拙でも、動きで試してみると、全然違いますから、説得力がありました(笑)。まぁ、今では、よくあれで…という程度の発見ですけどね。
  
 
それでも、その一歩があったからこそ、今の自分がいます。こうして、恥ずかしい思い出を紹介しているのも、何かの役に立つ事もあるかもしれない、と思っているからです。
 
 
ちなみに、このお腹の感想が、ゴールの役目になり、筋肉から生まれる力感を「つなげる」事に気づけたりしました。つなげる術理は理解しやすいので、今でも時々話をします。バランスを取りやすいお腹に力をためる事が出来ると姿勢はすぐ、変わります。
 
 
腰痛の人は腹筋、背筋を鍛えて…とよく言われますが、表面だけではなく、内面も意識すると、いいと思います。腹筋は表、丹田は内面、そんな感じかもしれません。