私の稽古では「普通に歩く」というのを大事にしてします。
武術として相手を崩す技、投げる技は山ほどあります。
もちろん、その条件の中でどうするか・・・というの大事ですし、スキルとして武術を身につけようとしたとき、「技」はとっても魅力的です。
これまで、ずっとその形としての武を稽古してきたせいでしょうか、相手を投げるための技にはほとんど興味がありません。普段の生活の中で自分というのを失わず、自信をもって、気張ることなく、「普通」に過ごすにはどうしたら良いんだろう?そう考えるようになりました。
そこで、「歩く」稽古です。
今では一人で歩くときにも感性を高めて、チェックしながら稽古する事もできますが、最初の頃には自分の動きが良いのか悪いのかすらわからなかったんです。
でも、相手に押さえられた場合であれば、自分が普通でなくなった瞬間というのはすぐわかります。
どんなときでも「普通」に歩く研究が進んだは押さえてくれる相手がいたからですね。
昔、撮った動画がyoutubeにあります。
両手を押さえられても歩けるか?という技です。
力ずくで崩すのも一つの技です。でも、それはキライなんです(笑)。
押さえられた事を怖いとか、イヤだな、困ったな、と思うと、身体が緊張します。その緊張に負けずに、リラックスをし続けられるか、という事かもしれません。
簡単な状況設定ですから、誰かと試してみてください。
上達のための足跡
【身体感覚の足跡】足のアーチ、手のアーチ。
合掌をつくり、指でアーチを作ると、そこに強さが生まれ、肩に力を送らないですむ事で、身体の崩れを止める事ができる事がわかりました。
手にあるとするならば、足にもあるだろう?とは簡単に想像がつきます。
いや、むしろ、アーチといえば、足の方が有名です(笑)。
しかし、足のアーチがあることは知っていても、それを使いこなしている、という話はあまり聞かない。最近は偏平足が増えてきて・・・なんて話は私が子供の頃からずっと、言われ続けてきている。専門家は、これではいけない!と警鐘をならすが、その専門家はどれだけ、この足のアーチを使いこなしているんだろうか?
ひとつひとつの発見をするたびに不思議に思う事がある。
それらは全部、これまで、たくさんの人たちが語ってきた事ばかりだからだ。でも、その事で、ぶわっ、と視界が広がり、困っていた事が解消された、という話はあまり聞かない。もちろん、専門の中ではちゃんと、生かされているんだろう。しかし、そうじゃないんだ。専門という枠の中だけではなく、生きる、という全体の中での生かし方を語ってほしい。
足のアーチですが、作り方は手の場合とはもちろん違います。合掌ができませんからね。でも、足裏はいつも、地面と接しています。この接点圧力を意識してみると、手のときと同じような感覚が足裏に生まれます。つまり、足裏に力がたまり、自信がでてくるのです。
考えてみると、不安なとき、そわそわしているとき、この足は締りがありません。ゴソゴソ動いてしまっているかもしれません。こういう気持ちを「身体操作」で解決していく事が武術の得意技です。理由は後付け、身体をつかい、動いていけば、ついて来る感情があるんです。
足のアーチを生かしてみると、単純に踏ん張ったときとは全然違った安定感が生まれてきます。この2本の脚でしっかりと立つ、立てる、という喜びは大きいです。
ちなみに、先日、このアーチからの繋がりではないか?という気づきがありました。2本の脚を6本にできるかも?なんてヒラメキです。研究は止まりません。楽しいですから。
【身体感覚の足跡】経絡ってこれか?
1冊の本がある。
その本の裏表紙に落書きが書いてある。経絡・・・なんたら、かんたら・・・と。
よっぽど興奮していたんだな、きっと。
手元にあったのが本しかなかったんだと思う。その本に経絡について、その時、気づいたであろう事が書き記してある。
その時は興奮していても、改めて、読み返すと、そんなことで・・・と思える。
そうなのだ、全ての気づきはもうすでに、自分の中にあったものだから。
身体というのはそういうものだ。
その経絡だけで、詳しくは中医学の本などを見てもらうとして、身体の中に規則性のある「ルート」がある事があるのだ。
問題はそれを知ってはいても、活用できない、という事。
もちろん、鍼灸師や漢方などを専門にする人は使っているだろう。
でも、僕らに、そんな専門性はいらない。ただ、もっと、自分の身体の事をしり、感じたいだけだ。
力が流れる事を知って、その流れに規則性を見つける事ができた。そして、それが経絡に似ている、と気づいた瞬間だった。手、足、そして、背骨にそって、あるらしい。技は形として残っている。それに中身が入った瞬間でも合ったと思う。
残っている知識は恐ろしいほど膨大。
このそれぞれの経絡。それぞれに内臓が対応し、感情も説明されている。陰陽五行説というものだ。陰陽の法則はそのまま宇宙の法則とも言われている。やはり、武術は宇宙を表現するものなのか・・・その一端を感じられたのかな、この時の興奮は(笑)。
【身体感覚の足跡】目も身体の一部
目に見える「パーツ」はまだ、意識もしやすいかと思います。
でも、身体にあるパーツはまだまだあるんです。
今日は「目」について、お話しましょう。
ちょうど、先月、眼力の存在、目の使い方に気づき、20年来の技が現実のものとなりました。
実は、これまでにも時々、この目について、気づく事がありました。
もうどれぐらい前になるでしょうか。
「手に引っ張られるように動く」という発見がありました。
動きの初動を脚で蹴るのではなく、指先に引かれる様に、すると気配を消す事ができると気づきました。
この「手」に引かれて動くというのを「目」に引いてもらったらどうだろう?と試したわけです。
目の玉があります。顔を動かさずに、目を左や右に動かしてみてください。おそらく、普段気にする事はないでしょうが、意外に強い力が生まれているんです。
動きの初動をこの目玉に変えてみると、相手のスキをつく事ができるんです。
・・・ただ、長続きはしませんでした。
なぜなら、普段使わないだけに、疲れちゃうんです。
でも、もし、この「目玉」専門で研究をしていけば、その時、すぐに夢のような技が出来ていたかもしれません。わかりませんけど。
さて、この気づきは成功だったんでしょうか?失敗だったんでしょうか?
それを決めるのは稽古をやめたときでしょう。
稽古を続けていく限りは、この失敗のような気づきも大切な材料となるんです。
【身体感覚の足跡】1次元の技、肩を使う
指以外にも他にも使える身体はたくさんある。
同時に使うというのも有効だけど、その一つでもしっかりと使えれば、安心できる。
肩も普段良く使う割には、使いこなしていない部分の一つだ。肩こりの人って多いからね。
今の時代、戦うための武を必要としている人は多くない。でも、武術を通して肩こりや腰痛を改善する事ができるとしたらどうだろう?それは十分、魅力的な動機になるだろう。
でも、スポーツ化した武でそれはかなえられないと思う。多くのスポーツマンが身体を壊し、引退していく事を考えてみて欲しい。誰かと競って、それが楽しい時期というのは長くないのだ。
武術であれば、この先、ずっと生きていく間楽しむ事ができます。なぜなら、武術に必要なのは、この身体を感じる、という能力だから。
さて、肩の使い方。
肩を上げない、というのは武術、武道、踊り、スポーツ、どんなところでもよく言われることだ。知っている人も多いかと思う。
やっちゃいけないのに、やってしまうのだ。
では、逆にやっちゃいけないことを極めてみよう(笑)。そんなひらめきからだった。
肩を上げてしまうと、動きが硬くなり、止まってしまう。その肩から力が外へ出て、崩れてしまうのです。つまり、上げる事がだめなのではなく、腕と胴体が肩で切れているからダメだったのです。
・・・というわけで、肩をつなげる事を考えて、あげてみようと思います。
腕立て伏せの形で実験してみてください。
一つは普通に腕立て伏せの形。これは肩に力が溜まって、痛くなります。
もう一つは大きく「バンザイ」をするようにして、上から肩を前へと持って行きます。すると、胴体と腕が繋がるんです。
才能があるって言われる人はこういう事を「子供の頃から」、「勝手に」気づいちゃう人なんでしょうね。
才能って有ると思います。でも、もっとそれ以上に知らないから、って事も多いんでしょうね。