上達のための足跡

【身体感覚の足跡】具体的見方

視覚の話をもう少し具体的にしてみよう。
いったいどうやってすれば見る事ができるのか?
実は方法は簡単、目の前のものが動いていないのではなく、動いていた、と驚けば良いのだ。
 
例えば、相手が押してくるとき、完全に身体の気配を消して、動いてくる人はいない。今の僕の動きもそうだ。自分でも、「つい」動いてしまう部分がある。でも僕らは、「つい」目の前の状況を動いていない、と見てしまっているらしい。
 
運動場のど真ん中で立っている人がいるとする。
彼が10cm動いても、きっと気にならないだろう。具体的な姿勢が変わらない限り。
動いていない、というフィルターが動いていないように見せているのだ。
 
稽古とは大抵、その瞬間の自分には出来ないことで試す。
結果的に、どうしても不安と共にいる事になる。
不安を一緒に連れていると、考える事はマイナス傾向になり、時に、思考も止まってしまう。パニックって奴だ。その状況では、諦めて、降参するか、やけっぱちでえいっ、といつもの失敗をするかが多い。
 
だから、頭に働いてもらう。
今、自分がしたい事はなんだろうと、ちゃんと考えておくのだ。
稽古は研究。自分がなにを研究しているのか、はっきりさせて欲しい。
今は「見る」という事。具体的には相手の胸辺りを見ていると良いと思う。その見ている先が相手の肉体でも服でもいい。意外と呼吸と共に、身体が動いているのがわかると思う。
そして、イザ、なにかをしようとすると、肩にも力が入ってくる。その瞬間を見逃してはいけない。
 
相手の力を真正面から抑えるのは難しいかもしれない。
でも、相手の動きの気配として、動きを見つける事が出来れば、「流す」事は簡単なのだ。
これも、「できない」と思っている自分がいるからかもしれない。
でも、どんなことでも、やればやるだけ下手くそになっていく事ってない。
ちゃんと「研究モード」になっていれば、失敗もそれは立派なデータなのだ。
そうエジソンが言っていた(笑)。

【身体感覚の足跡】触覚から視覚へ

古武術の稽古を始めた時、一番頼りにしたのが「触覚」。それまで、手順に追われて、相手との間に生まれる「圧力」に対しては考える事もなく、ただ、なにかをしようと思っても「できない」と諦めていた。
 
それが、できないには出来ない理由がある、という今考えると当たり前の事に気づき、以来接点に生まれている圧力を制御しようと工夫を重ねてきた。
 
しかし、「それ」を見るようになり、改めて、「視覚」に対して考える機会を得て、人間の奥深さを知る事になる。自分が見ているものが全てではなく、良く見れば、自分が見落としてきたものが山ほどある事に気づいたのだ。
 
眼光紙背、という言葉がある。まさに、それ。自分が「見えている」と思ってしまったからこそ、より多くの情報を取ることが出来なくなっていたのだ。
 
興味を持って自分が今、見ているものをもっと見てみようとできれば良いだろう。でも、実際は自分の目の前に広がる日常は退屈に見えてしまう。だからこそ、日常なのだ。でも、身体の感覚が変わると、世界は一変する。価値観を変えるために外国へと旅をする人がいるが、自分の内側を旅しても、十分、価値観は変わるのだ。

【身体感覚の足跡】浮きその3、重力

今、これを書いている2011年4月。久しぶりに「浮き」を身体で感じています。
これまでも腰裏キャスターで「浮く」という経験をしてきましたが、それ以上にずっと、軽く持続できる「浮き」です。
 
きっかけは手先を反射的に使うと速く動ける、という気づきからでした。
手首をはさんで手の部分と腕の部分に分けてみると、その手は小さいからこそ、素早く動け、小回りが効く事がわかったんです。
その速く動いている手をそれまでの意識は不思議そうに見ています。俺はこんなにも速く動けるんだなぁ、と。今までは動けない、と思っていたんです(笑)。
その速さにも慣れてきた頃、逆にその速い手は、しっかりとした腕に繋がっているからこそ、速く動けるのだ、と感じました。ちょうど、手首を境に腕から手が浮いているように思えました。
 
この手を速く動かすには土台が必要だった。そういう気づきです。
では、この身体を速く動かすための土台となるものはどこだろう?と探し出したところ、地面というアイデアが出てきたんです。かっこよく言えば地球です。
地球には重力があり、この私達の身体を縛っています。
でも、その力があるからこそ、自分は自由なのだ、と「考えました」。
そのアイデアを思いつき、身体で試してみると、一瞬で、この身体にかかる負荷が消えてしまった感覚がありました。
 
あれから1ヶ月、今では軽くなった状態が普通になりましたから、あの感動は消えましたが、相変わらず、この身体は軽いままです。
 
セルフイメージって大切です。
自分が自分をどう思うか。
教えは「こう考えると良いよ」と教えてくれています。
でも、実際にはそう「思えません」。
その間を埋めるのが稽古なんでしょう。あせらず、ゆっくりでも大丈夫です。この身体はなくなりませんから。

【身体感覚の足跡】浮きその2、キャスター

浮くと感覚が「ゼロ」の頃には想像もつかなかった世界が、ほんの少しでも以前よりは浮いている、という事が分かると、後は少しでも軽やかに出来ないかを探す事が出来ます。
ゼロとイチの差は大きいですね。
でも、そのゼロは自分にはなかったというゼロではなく、すでにそういう動きをしているにも関らず、知らなかった、気づかなかったというゼロです。気づかせてくれる機会さえあれば埋められる部分です。才能があるなし、という話ではありません。
 
 
 
腰裏を持ち上げて浮きを感じました。
その後、再び浮きが気になったのはなんと2010年です。この間、ずっと無意識は探し続けていたんでしょうね。
足裏をしっかりと固める事で、そこにキャスターのように動く、自由な状態を作れそうだ、と気づきました。キャスターを作るにはその土台となる部分がしっかりしていなければならない、当たり前ですが、感覚が生まれるまでなかなか気づけません。自由を得るためにそれまで自由に使っていた部分を手放すんですから。
 
当時の映像が残っています。
ちょうどそれを見つけた日の映像です。
ご参考になれば。

足裏の使い方で変わった動きと技

【身体感覚の足跡】初めての浮き

初めて「浮く」という感覚を得たのは2008年の夏。
甲野先生から浮く事の大切さと必要性をずっと聞いてましたから浮ければいいなぁ、と考えてはいたと思います。
ある時、脚を後ろへと飛ばしてみた時にほんの僅かでしたがふわっとした感覚がありました。
その感覚をヒントにもっと、簡単に、そして、消えない浮きを探していったのです。
 
そこで、見つけたのは腰の裏です。
腰の裏を手の甲でくいっと引き上げるようにすると、下半身に浮きの感覚が生まれました。
横について、手を腰に当て、くいっと持ち上げて歩きましたね、覚えていますか?
 
それまでは主に、力を入れる事に注意をして稽古を進めていましたが、浮きを経験した事で、軽い動きも感じられるようになりました。
 
ここでもやはり、大切なのは経験。
そして、その経験を引き出すのは教え、言葉です。
「ウキウキ」という言葉があります。最後に「ウキウキ」感じられたのはいつだろう?
「ウキウキ」した事を思い出して、歩いてみてください。考えるんじゃなくって、思い出すんです。それだけで、身体はふわっと浮いてくるはずです。
 
 
 
・・・ただし、こういうイメージトレーニングは私は出来ませんでした。自分に対して疑い深いんです(笑)。だからこそ、武術がよかったんです。実際に、腰を浮かし、その状態を観察すると、浮く前よりは気持ちが軽くなっています。身体で経験した事は疑えませんから。