上達のための足跡

【身体感覚の足跡】呼吸は動き

呼吸の事を書いては見たけれども、実は稽古では呼吸の事を取り上げる事は多くない。実際、呼吸を意識して言葉にして伝えたのはこの10年でもほんの1、2ヶ月。なぜなら甲野先生が呼吸の指導についてはものすごい注意を払われているから。

 

深層心理系の本を読んだりすると、呼吸は簡単に自分の無意識へと入り込めるチャンネルだと書いてあったりする。自分の無意識・・・なんて魅力的な響きなんでしょう(笑)。まだ知らない自分を探すために呼吸からだと「入りやすい」という事です。

 

でも、入りやすいからといって安易に入ってしまうと、これが大変、と聞いていたからこそ、あえて、意識をしなかったのです。実際に、催眠を誘導するときにはこの呼吸はものすごく重要みたいです。この呼吸がそろうとそれだけで、気持ちまでそろってくるそうです。確かに、協力してなにかをしようとするときには「息」を合わせます。本当にぴたっとそろうんでしょうね。

 

でも、武術は目の前に敵がいるんです。その敵が息をあわせてくれれば良いですが、合わして協力してくれるどころか、呼吸自体を取られないように隠したりします。

そして、人生の中で起こる嫌な事も、嫌だからこそ、呼吸が乱れるわけで、その呼吸をどう、抑えるかはまさに、自分自身の問題なはず。それを「この呼吸」として画一的にするのはあまりにも「もったいない」。きっと、誰にでもつい、陥ってしまう呼吸のリズムがあるはず。その呼吸といかに速く、リスク無くあえるかが成長への鍵のような気がします。

 

 

意識をするまい、と思っていてもつい、意識をしてしまいました。湧き出る研究心を抑えきれずに、動いて、試して、言葉にしました(笑)。

すばらしい呼吸法が見つかった、というよりも、呼吸は身体そのものの、「動き」だった、という事。当たり前といえば当たり前の事です。

でも、つい、忘れてしまっていた。呼吸で動くよりも、この筋肉を働かせてなにかをやろうとしていた事に気づいてしまった。

膨張収縮のリズムに合わせて身体を動かしてみると、なんでこれまでこんな大きな力を使わなかったんだろう?って不思議になる。ぜひ、試してみてください。どんな呼吸法でも良いですから。

 

呼吸をしてみると、身体が膨張し、収縮する。息が入り、出て行くから。深く、ゆっくり呼吸をすると、かなり大きな動きがそこに生まれていた事に気づいた。

【身体感覚の足跡】自分をいじめる側に立ってみる

自分は「間」の存在である、というのを確かめるために面白い実験がある。文字通り、間に入ってみるのだ。

 

足を肩幅ぐらいに開いて立ってみる。

横から真っ直ぐ押してもらおう。

きっと、横から来る力に対して、足でぐっと踏ん張るのがわかるはずだ。

これは「間」ではなく、自分の身体で踏ん張っている形。

 

  

次に、試してもらうのも相手に押してもらうのだが、相手の手と自分の身体との「間」に自分の手をはさんでみるのだ。

この時注意するのは、ただ挟むのではなく、自分の手でもで身体を押していくようにする。つまり、相手が押してくる力+自分が押す力だから、さっきよりも大変になるのが普通だろう。

でも、実際にはものすごく、安定感が出て、立ち続ける事ができる。

 

自分の手でぎゅ~っと押し付けてみると(実際には締め付けるような感じだけど)、その力に対して身体がぎゅっと締まってくる。ちゃんと身体が外からの力に対して反応できるようになる。

そのちゃんと反応できる状態だと、頭が心配しなくても良かったことがわかる。

あっ、押された!とびっくりしてしまった事が、大変だと思い込んでしまった原因なんだと思う。

身体に任せてさえいれば・・・とはいってもこの頭の自分を手放す事はなかなか難しい。だから、手を入れて、確かめるのだ。大丈夫だよ・・・って。

 

 

気を引き締める、身が引き締まる、というよね。逆ってあるのかな?気が引き締まる。身を引き締めるって。

便利になって、身体の事を見くびってしまっている人がものすごく多い。頭だけでは解決しないものも、身体に任せればうまく行く事がある、と知っていれば、工夫の余地は拡がるだろう。特に、良いアイデアが浮かばない僕はそれでものすごく助かっている。

【身体感覚の足跡】客観的に自分を見る方法

自分の事は自分がよく分かっている、と言われながら、なかなか冷静に見えないのがやっぱり自分。言葉遊びで楽しめるうちはいいんだけど、じゃあ、本当に自分を客観的に観てみたい、と思った時にできないと、底なし沼のような辛さがやってくる。

 

「冷静に」見るのに一番有効なのは「研究者」になるという事。

研究のためなら、良いことも悪いことも興味の対象に出来る。その入り口として呼吸ストレスをわざと作るという稽古法はかなり有効だと思う。

 

自分の脳が外の世界を認識するのに、五感を使っているとすると、その五感を身体の内側から感じるのではなく、「身体に伝えている」役目を自分がやっている、と考えるのだ。

 

例えば、押されたときに、内側にいると、その圧力に対して、過剰に反応してしまう。でも、その圧力を頭の中で、この身体に伝えているという意識で見守ってみるのだ。自分の身体の内側にいるときには、つい、力を入れすぎてしまう事がある。でも、外側から、情報伝達する役目、として振舞うと、身体はぴったり、間違いなく反応してくれるのがわかる。

 

「人間」という文字は見ての通り、「人の間」と書く。

正確な意味は知らない。でも、実感として、自分の身体と外側の世界の間に立ち、情報を伝える存在が本当の自分なのかもしれない、そんなロマンチックな事を考えられたりするから面白いのだ。

【身体感覚の足跡】呼吸の事。

役に立つストレスの作り方を更新したけど、その元になったアイデアは「呼吸」だった。GW、山の中でゆっくりしていた時に、ゆっくり大きく呼吸を味わったのがきっかけ。

 

のどの奥を開くように、大きく息を入れて、ゆっくり吐いていると、身体に呼吸の音が響いていく感じがものすごく気持ちがいい。身体に響かせるように呼吸を続けていると、不思議な気持ちになった。

 

呼吸が吸って吐くのではなく、全部、吐いている感覚になる感じ。

もっと丁寧にいうと、それまで「吸う」息が、この身体に空気を送り込んでいく感じなり、「吐く」息が身体の外から、吹き出していく感じになった。

まぁ、「感覚」なのでこれ以上のことは書かないけど、この時、はっとした。

 

この息を自分の身体に送り出しているときに自分と身体が分けて考えられるようになった。息だけでなく、触覚も「自分」が「身体」に教えているのではないか・・・という事。それまで、身体の中に自分がいて、その身体を敏感にする事で、情報を得ている、と考えていたのが、その情報を自分が身体に教えている立場になれるかもしれない、と考えられるようになったのだ。

 

こういう気づきは微妙なんだけど、これが実に、役に立ってしまったのだ(笑)。

自分は気づいて楽しい、そして、身体は強くなった。ただ、「伝えるのが難しい」だけ。講座の中ではビューっと解説は過ぎてしまったので、覚えている人は少ないかもしれない。でも、大切なというか、世界の見方を変えるにはいい方法だと思う。

【身体感覚の足跡】役に立つストレスの作り方

武術的に見て、目の前の相手は普通、嫌なものだ。武術は目の前の敵に対して、出来る事がないかと色々と工夫をする。そういう考え方で行くと、パニック、いわゆる思考停止にはならなくて済む。嫌なものを目の前にした時にこれを覚えておくと、実は自分は強かった、とわかる。ぜひ、覚えておいて欲しいことの一つ。

 

それは、ストレスを自分が作る、という事。

目の前にいる相手は「敵」、嫌なものだ。その嫌なものを目にしていると、他の全てが嫌になる。

ここで、逆に考えてみる。その目の前のものよりも「もっと嫌なもの」が現れたらどうだろう?

その瞬間、一番嫌なものに僕らの気はとらわれるようになっているらしい。

 

この時、どうしようとか、考える必要は無い。というよりもそんな事はできない。

きっと、周りの無責任な人たちは「そんなことぐらいで負けてどうする」、なんて応援?するかもしれない。でも、今その瞬間、目の前のものを嫌だと思えてしまうのをやめるなんてできない。

 

実はいい方法がある。まさに、身体の使い方。使い方一つで、気持ちが変わる。

それは親指で、人差し指をぎゅっと押さえる、ただ、それだけ。

試してもらうとわかるけど、痛い。でも、この痛さが自分に意識を向けてくれるのだ。

目の前の嫌なものから、自分の中に生まれた痛みの方が嫌なものに変わる。

 

痛みというのは不思議なもので、人からそれをされると心が折れてしまうのに、自分で痛みを作り出したときには、それほどでもない。どちらかというと、その痛みに負けないように、「勝手に」身体が反応し、強くなる。

 

 

そう、自分は意外と強かった事を教えてくれるのだ。

この時強くなるのは身体の自分。頭の自分は弱いとおもっている。だからこそ、わかりやすい加害者がいる時には、その加害者を責め、攻撃をする。頭脳をつかってだ。

でも、今試しているこの身体の使い方は自分が加害者であり、被害者だ。自分の頭次第で強さも加減が出来る。その冷静な頭でよく、見て欲しい、その自分の強い身体を。

 

 

でも、こういう事は無意識にみんなやっているのかもしれない。

辛い事、悔しい事があったとき、ぎゅっとコブシを握っている。歯を食いしばっているかもしれない。これはものすごく、有効な方法。

でも、身体に力を入れられなくなってしまっていると、その方法を放棄して、誰かに助けを求めなくては成らない。もちろん、助けてもらってもいい。ただ誰もいない時もあるんだよね。そんな時に、自分の身体が助けてくれる、と覚えて欲しいなぁ。

 

そんな事をちょうど去年のGWに考え、工夫をした。