稽古日誌

【稽古日誌】暇と退屈の時間には気をつけろ

毎月第一、第三金曜日は稽古尽くしの日。
今日は午前中、栄中日文化センター、午後から名鉄熱田の森文化センター、夕方から9時までが少林寺拳法、そして9時から12時過ぎまでが大人の武道塾、と一体何時間、稽古しているんだろう・・・。
 
 
 
そんな私は昔から練習嫌いの怠け者でした。
とにかく反復練習が苦手。
繰り返し練習をする事で身につく事もあるはずでしょうが、どうも、それが続けられなかったんです。
 
それが朝から深夜まで動き続けても苦にならないどころか、楽しくてしかたないようになってしまいました。
昔の私は知っている人なら絶対に信じられないはず。
こういう不思議さも武術の魅力の一つです。
 
 
 
甲野先生は指導者の役割は興味を生ませる事、と言われます。
強制で練習をしたとしても、それが結果に結びつくとは考えていないらしいです。
そんな師匠の下で稽古をした私です。当然、楽しく稽古する以外に方法をしりません(笑)。
 
 
しかし、練習はきつく、苦しいもの、と考えている人も多いはず。
でも、そうではない事もあるのだ、とぜひ、覚えておいてください。
 
苦しい練習をやり遂げる事ができるのは才能です。
しかし、苦しいだけではつらくなる時もあります。
そんな時、ただ、興味のまま、楽しさを追求してみる練習法もあるのだ、と覚えておくだけでも、つぶれなくってすみますから。
 
 
さて、この楽しい練習ですが、結果的に、いつも前向き、発展的な進歩を求めていく事ができます。
これが何よりのメリットであり、この前向きさがドンドンと新しいひらめきを与えてくれるのです。
 
 
好きこそモノの上手なれ、という言葉がありますが、まさにそれです。
四六時中、情熱を傾けられるわけですから上達しないはずがありません。
今日の金曜日はたまたま講座、稽古、が重なり、実質的な稽古時間が目立ちますが、稽古の無い時にも私の意識はずっと、身体、心に向くようになりました。
 
暇な時ってのがずいぶんと減りました。
退屈な時間がなくなったのです。
 
 
 
この退屈な時間が無くなった、という事はものすごい事かもしれません。
今、なにげなく、この言葉を選び、文字にしましたが、どんな技ができるようになること以上に、貴重なものかもしれないのです。
 
今、この瞬間、思いついた事を書きます。
まとまらない文章になるかと思いますが、なにかのヒントになるかもしれません。
興味が無ければ、聞き流してください。
 
 
 
私たちはついつい、目に見えるものを大切にします。
それは時間に対してもそうです。
今日はあれをやって、これをやって、明日はこういう事をしようかなぁ・・・と。
そして、昔を思い出しては、自分はこんな事をやり遂げてきたぞ、と。
 
 
 
しかし、その時間は目に見える、考えやすい時間です。
もしかしたら、その何かをしている時間よりも、なにもしていない時間の方が多いかもしれません。
 
サラリーマンの方であれば、朝から夕方まで一生懸命働きます。
定時になり、終わった~と家に帰った後、果たしてなにを考え、行動しているでしょうか?
テレビを見ているかもしれません。ネットをしているかもしれません。
本を読んでいるかもしれません。
その何かをしている時間と時間の間はなにを考え、行動しているんでしょうね。
 
 
人にはなにか一仕事が終わると、ふぅ~と一息ついて、頭の中が空っぽになる瞬間があります。
その瞬間こそ、ひらめきが生まれる瞬間とも言われますが、ついつい、そこに、退屈、暇を入れてしまう場合があります。
どうですか?大丈夫ですか?
 
暇な時間をつぶすように、ダラダラとネットやテレビを眺めてしまう事ってありますよね。
 
そのぽっかり空いた空っぽの時間に自分への身体の興味が入れられると、時間と共にどんどんと成長していく事が出来るようになります。
 
 
 
人はいつまでも、どんどん成長をし続けていく事ができる。
そんな言葉に憧れてはいましたが、自分の事とはなると、まず、無理だろうと、諦めていました。
しかし、武術を通して体の感覚を掘り下げてきた事で、成長し続ける自分というのを信じざるを得なくなってきました。
少なくとも、この17年、一度も後戻りをした事がないのです。
身体はどんどんと動くようになり、軽やかになりました。
そして、それと同時に心にも軽やかさが生まれてきています。
 
 
 
ココまでがそうなのですから、おそらく、この先もたくさんの気づきで、成長が止まらないと考えてます。
 
iPS細胞が話題になりました。万能細胞により、医療の世界の進歩は間違いないでしょう。
そうなると、私たちは安易に「死ねなくなります」。
生きることができるのだから、幸せだろうと考えてもいいのでしょうか?
楽しみもなく、ただ、生きているだけで幸せはつかめるのでしょうか?
 
 
この世界には毎日新しい話題が溢れています。
退屈から逃げるように、ニュースを探しているし、作り上げてさえいます(笑)。
誰かが自分を楽しませてくれるはず、と思っていませんか?
本当に、この先、何十年もそれで幸せに暮らしていけるんでしょうか?
 
私はここに不安を感じます。
誰しも、いつか、気づいてしまうんではないか、と。
本当の幸せってなんだろう?と考え始めた時、今、目の前にあるエンターテイメントがそのまま幸せになるとは到底思えません。
だって、自分の心が幸せを求めてしまったのですから、オリジナルを得なければ、幸せにはなれなさそうです。 
 
 
 
今、こうして身体には感覚があり、それを掘り下げていく事でたくさんの楽しさが見つかることがわかりました。
「なにが」大切、という事ではないんです。
自分の身体に興味をもち、その気持ちと共に一生いられるんだ、というワクワク感もカラダラボでは渡して行きたいなぁ、と思いました。
 
 
 
今日の気づきは、この日記のおかげです。
日記が続くのも、読んでくれている人がいると分かるから。
ありがとうございます。

【稽古日誌】頭でわかる事、体でわかる事

台風が近づき雨の一日。
久しぶりに大須へと買い物へ。
 
頭の中にある大須のイメージは、秋葉原のような電気街です。家電好き、パソコン好きにはたまらない街です。
 
ところが久しぶりに出かけた大須はなんだか様子が、雰囲気が、空気が違いました!
街を歩いている人たちも、みんなおしゃれで、目が点々となるばかり(笑)。
 
 
 
街も変わるんだなぁ、と思ってぶらぶらしましたが、ふと立ち寄った着物屋さんでお値打ち、ワゴンセールがやってました。
なにかないかなぁと、漁ってみると、なんと、愛用の福助の雲才足袋が!
確か2500円ぐらいのものだったと思いますが、それが1000円で購入でき、ラッキーな思いをして帰ってきました。 
 
 
 
稽古をしない日なんかはこんな感じです。
なんら、ふつうの暮らしと変わりません。
食事にも気を使わないし、古武術をしているからといって、感性を試されるところばかりにはいきません(笑)
 
 
本当に古武術に出会ってよかったなぁ、と思うのは、普通に街を歩いていても、ふとした瞬間、自分の感覚に気が行くようになり、そこでそれまで気がつくことのなかった新しい自分に出会えたりするんです。
 
 
 
たとえば、何気なく歩いていて、つまづいたりします。今日みたいな雨の日には、思いがけず、水がかかったりします。
そんな瞬間、体がぱっ、と反射的に動きますよね。
そういう気にしない自分と出会うのがなんとも楽しいんです。
 
 
 
おそらく、感性豊かな人はすてきな絵画や音楽に出会ったときに、それを体全体でなにかを感じるんでしょう。おもわず、涙が出てきてしまうこともあるはずです。
 
私もそんな感性豊かな自分になれれば・・・と、望んではいますが、なかなか、そこまではできません。
せいぜい、つまづいた体のバランスを整わせるぐらいです(笑)。
 
 
 
甲野先生は普通の人と比べると、仙人のような暮らしをしているように見えます。
食事も1人でされるときには野菜をさっと茹でて簡単にすまされることもしばしば、と聞きます。(まぁ、その理由は忙しすぎる、ということだそうですけど・・・)
 
禁糖の話をご存知でしょうか?
甲野先生は春先の頃、意識をして、砂糖をとらないように気をつけられます。
それは甘いお菓子を食べない、というわかりやすいものではなく、いっさいの砂糖をとらないように気をつけるのだそうです。
 
現代のように、砂糖が中心になってしまっている社会でよく、そんなことができるなぁ!と、もう、感心も通り過ぎてまさに、仙人ですが、この禁糖も先生はこれまで無理をして行ってこなかった、と聞きました。
 
 
 
頭の中では砂糖から離れて生活したい、と思われていたそうですが、現実には砂糖とは切っても切れない社会です。
しかし、その思いを持ち続けていく事で、体の方が砂糖を必要としないというか、拒絶するようになったのだそうです。
 
これ、ものすごく重要な事だと考えています。
 
 
 
私たちの中には二つの意識があります。
一つは、頭で考えること。もう一つは体が求めることです。
 
砂糖をとると健康に良くない!なんて事が、最近の健康雑誌ではよく、取り上げられています。
みんな砂糖の害の部分もよく、わかっているのです。
しかし、わかっていたとしても、体に納得させないまま、頭の命令だけで砂糖から遠ざかっても、やがて、体の欲求に負けてしまうことになってしまいます。
体が必要とすることに、頭で抵抗するのって、難しいんです。
 
 
 
ダイエットも同じでしょうね。
食べたら太る事がわかっていても、食べちゃうんです。
わかります、その気持ち(笑)。
 
 
 
なにかがうまく行かないとき、私たちは学ぼうとします。
なぜ、頭は体の欲求にかなわないのだろう・・・と。
そして、答えを探していくと、その理由が見つかります。
なるほど・・・と。しかし、その頭と体の関係を頭で知っても、やっぱり、頭は体に負け続けるんですよね。
 
 
 
知識ばかりをいれても、絶対に、体にはかないません。
 
 
 
だからこそ、武術なのです。
武術はまさに、体を意識させ、わからせてくれるものです。
術理を聞き、頭でそれがわかっても体が動かないという経験こそ、大切なのです。
 
 
畑を耕す鍬の使い方を知っても、実際に鍬を持って耕してみなければ、いつまでたっても、畑は耕せません。
「正しい」鍬の使い方を知っていても、いざ鍬を持ち、振り上げてみると、うまく使えない自分がいることがわかります。
 
 
 
頭だけが全てではない。
そんな当たり前の事を私たちは忘れちゃっているかもしれません。
 
体の事を少しだけでも見直してみると、そこに、頭以上に高性能で不思議な存在があることに感動します。
 
ついでに言わせていただくと、体と心は一つのものです。
しかし、心は形のないもの、目にも見えないし、触る事もできないものです。
それなのに、みんな自分の心、大切な人の心を感じたいと願っています。
 
 
 
頭で心を求めても、その間になにもなければ、なかなかたどり着くことはできません。
しかし、体なら感じることができます。
感性を掘り下げ、広げていくことができるんです。
 
子供の頃から、ずっと、心ってなんだろう、と考えてきました。
武術と出会い、体の感覚を意識できるようになって、どんどんと心の世界も感じられるようになってきました。
 
 
 
自分の心って気になりませんか?
目の前にいる大切な人の心を感じてみたいと思いませんか?
その為の方法が稽古です。
体を使って動き、自分には体がある、という経験こそ、心を感じる唯一の方法だと私は思っています。
 
 
心の問題だからこそ、パターン化された練習はできません。
わかりにくい稽古ですが、だからこそ、いいんです。
心と体についてもっともっと、伝えさせてください。ぜひ、講座、稽古会にご参加ください。
 

【稽古日誌】肘から先は子供みたいだ・・・

今日は豊橋中日文化センターでの講座と浜松での大人の武道塾。
豊橋の文化センターも自由に講座をさせてもらっています。ありがたいです。
10月という事で初めての方もお見えになり、どこから始めようかと思いましたが、やはり、伝えることは研究の最先端の術理になりました(笑)。
 
 
 
体験会や単発講座であれば興味を持ってもらう事や実際に抱えている悩みをそこで解決する事が一番になりますが、3ヶ月、もしくは6ヶ月と言う連続講座であれば、その複数回を使って、自分の持っている身体に対する先入観を変えていくお手伝いをしたいと思っています。
 
 
 
多くの人が年齢と共に動けなくなる、と思っています。
でも、それ、嘘かもしれないんです。いや、嘘ですね。
身体には色々なレベルがあります。それを次元と言っていいかもしれません。
私が感じているのは、もし、明日身体が動けなくなっても、心の世界にも豊かな感性を持っていけるかもしれない、と言う事です。
 
 
 
人間ですからいつかは死にます。
死ぬ直前まで、元気にぴょんぴょんと飛び跳ねていられれば楽しいですが、人生、なにがあるかわかりません。
健康でなくてはいけない、と条件をつけた瞬間、ケガや病気が恐ろしくなるし、今、怪我や病気と共にしている人たちにはその時点で身体の楽しさを伝える事ができなくなります。
 
 
 
動いている、という事が条件ではないんです。
自分の中に自由が感じられるかどうかが大切です。
 
 
自由なんだから動き回っているのではないか、と思うかもしれません。
でも、動いていなくても自由な時には心に自由があるはずです。
 
先日、世界的冒険家が宇宙からスカイダイビングをした、とニュースになりました。
冒険家は自由です。
自分の気の向くまま、様々なチャレンジをして行く事で多くの人に夢と希望を与えてくれます。
きっと、次はなにをやってみせようか・・・と自由な気持ちが広がっているはずです。
 
 
しかし、誰もが冒険家になれるわけではありません。
この社会は多くの人たちがそれぞれの役割を与えられて出来上がっています。
その与えられた役割を否定して、いやいや生きてしまう事が不幸を呼びます。
今、この瞬間、自分の中に自由があるだろうか・・・?
その問いに応えてくれるのが身体です。
身体から生まれる感覚が自分にそれが確かだ、と感じさせてくれます。
 
 
 
自分の中の自由を広げていくのに、身体は頼りになる存在です。
頭で作ったものは一面的で、ある条件が崩れた瞬間、不安がやってきます。
しかし、身体で感じているものは別の面から自分を見ることになった時、これでも大丈夫だったか・・・安心を感じさせてくれるのです。
 
 
常に自分と向き合うことができるのが感覚です。
この感覚が広がった時の気持ちをうまく言葉にできればいいのですが、もう、それは諦めました(笑)。
むしろ、変に上手に伝えなければ・・・と思いすぎてしまったからこそ、この半年の間、感覚を文字に起こす事ができなくなってしまったのです。
 
 
それが、道具の術理に気がついたことで、このブログを今、自分が感じている事をその時感じたままの言葉で伝える事だけを目的にしたところ、また、たくさんの言葉になってきました。
 
今、稽古で研究しているのは肘の術理と道具の術理ですが、違った側面から何度も伝える事によって、適当なところでいい部分だけを受け取ってもらえそうな気がしています。
大切なのは、正しい考え方を受け入れることではなく、信じたい事を身体で確かめ、感じる事です。
頭主導の生き方から身体の感覚主導で生きていく事ができると、いつでもどこでも、なにがあっても、楽しく、幸せに生きていけるようになります。
 
 
 
それにしても、よく、毎回違う説明がでてくるなぁ、と我ながら不思議になります。
今でこそ、このスタイルが楽しく、自分でもどんな講座になるんだろう、とワクワク出来るようになりましたが、以前は与えられた時間をどう使おうかと考えて計画し、びくびくしながら、仕事をしていました。
 
 
思いつく言葉はその時間を共有している仲間がいるからこそ、出てくる言葉です。
一人でじっと考えていても出てこない言葉がふと、出てくる事があります。
今日の武道塾ではこの腕が自分の子供のようなもの、という解説がピタリとはまりました。
 
私も親ですから、自分の子供に対して、どう接し、育てていけばいいのかが不安です。
頭で考えても実際にはうまくいかないこともたくさんありますので、知識は知識として入れていますが、最後に頼るのはいつも身体です。
 
この腕は道具であり、自分ではありません。
これが道具の術理です。
とはいえ、目に見える腕はどう見ても、自分の腕です。
でも、自分ではないんです。
この変な感覚を使いこなす事が、自分と子供との関係と似ているんですよね。
 
 
 
我を使って腕を使う感覚と、腕を切り離し、腕に任せて動く感覚との違いに気がつくと、もう、我を使って動く事ができません。
だって、まったくレベルの違う動きになるんですから。
我で使う動きはまさに過保護な自分です。
自分の腕を信頼できないからこそ、我がでます。力むんです。
 
しかし、うまく切り離す事ができると、今度はとたんに自由に動き出していきます。
この時、前腕と上腕との間、つまり肘の部分に隙間が感じられるのです。
この隙間を感じてもらう事が稽古のキモだと思いますので、手をとって、それを意識してもらっています。
意識する事ができれば、それを自分で再現できるようになりますからね。
後は時間だけの問題です。
それを行う材料は全て、揃っているんですから。
 
 
 
今日も、まとまらない文章になってしまいました(笑)。
それでも、親子関係に気づくきっかけが身体にある、という事を伝えられただけで十分です。
また、言葉にする機会があるかもしれません。
気になるようでしたら、メールでも、講座の際でも聞いてください。
 
 
 
おやすみなさい。

【稽古日誌】普通の人のための武術

月に一度の大垣稽古が続いています。
世話をしてくださる方が根気よく付き合ってくれるので、毎月、伺うのがとっても、楽しみです。
ココに集まる人たちはとにかく「普通」。
普通に仕事をし、暮らしている人たちです。
スーパーマンのような人たちにも武術は新しい見方を与えてくれます。
記録や勝負が伸び悩んでいる人はほんの一瞬、武術の感覚に出会うことで壁を破るきっかけを掴む事もあるみたいです。
甲野先生がスポーツ界から引っ張りだこなのも、その力があるからでしょう。
 
 
 
しかし、私が伝えたいのは「普通の人たち」にです。
武術を通して、新しい自分を知って、大きく人生を変える事が必要とは思っていません。
(私自身は変えてしまいましたけど(笑))
 
誰にでも、身体はあります。
この身体を頭で考えるのではなく、感覚を掘り下げ、広げていく事で、ものすごいものを与えてもらっている、ことに気づくはずです。
その気づきに触れる事で、身体からの喜びが感じられると思うんです。
 
 
 
身体の感覚が広がっても、その瞬間、目に見える世界はなにも変わりません。
その気づきでデモンストレーションの技はできる様になっても、生活の中でなにかが変わるわけではありません。
しかし、なんとなく、うれしいんです。
 
 
目に見える世界は分かりやすい世界です。
あそこになにがあって、こういう事が起こって、私はこんなものを持っています、と言葉にして、相手に伝える事ができます。
しかし、感覚的な世界はなかなか伝わりません。
 
目に見えるものを変えていっても、喜びは生まれるでしょう。
金メダルをいただければ、うれしいはずです。
 
しかし、一番をとってもうれしくない時もあります。
人の心って複雑です(笑)。 
 
 
 
今の時代ってものすごく、たくさんの豊かさに包まれています。
様々な便利な機械やサービスで生活は楽になり、時間もたくさん作れるようになりました。
おいしいご飯もたくさんあります。
コミュニケーションの手段もいろいろと生まれ、好きな人とずっと、つながっていられる時代です。 
 
 
 
にもかかわらず、心の底から喜べない時代でもあります。
私がそうだったのですが、心の底から、全身で、喜びを感じた事のない生き方をしてきました。
うれしい事はありましたが、これが本当に、自分の喜びなんだろうか・・・なんて、思っていたようです。無意識的にですけど。
 
 
 
カラダラボを立ち上げて、たくさんの人と出会い、いい稽古をたくさん、積み重ねていく事ができました。
結果的にですが、予想以上に多くの気づきを得て、身体というもの、心というもの、思考というものはなにか、と分かってきました。
自分という存在がとっても、大きく、深く、広いものだと知ったのです。
 
 
 
身体の感性が広がってみると、ふと、何気ない瞬間にものすごい幸せがあることを教えてもらいました。
それまでは頭でばかり、求めていましたら。目に見える幸せってやつです。
 
気の合う友達と食事をしている瞬間、目の前の人と出会えた幸運が身体を震わせる事もあります。
超有名人で、肩書きもすごくて、なかなか友達にはなれないような人と食事をしているから幸せ、ではないんです。
これまで、普通に付き合ってきた友達との出会いを身体全身で喜べたりします。
 
 
 
武術は役に立ちますよ、って言葉は人を動かす力があると思います。
たくさんのメリットを言葉にすれば、その言葉から生まれる期待感に人は動かされ、武術との縁ができるでしょう。
でも、わかりやすいメリットって飽きるんです。(と、僕は思ってます。)
 
たくさんの人に身体のご自身の身体のすごさに気づいてもらいたいので、なんとかお誘いしたいのですが、私が本当に伝えたい事って、あまり、すごいものとは認識されていません。
 
 
 
私が伝えたい事って、なにも変わらなくても良かった、目の前に楽しい事、うれしい事、幸せな事が山ほどあった、っていう事を感じられる体の感覚なんです。
もちろん、その気づきの結果、護身術的な動きが可能になる事はあります。
でも、その護身術ができなくたって、世界一の幸せを感じる事もできるんです。
むしろ、身体は動き始めているのに、技として形になっていないから自信がもてない、と、形ある結果が脚を引っ張る事さえあると思っているぐらいです。
 
 
 
これからも、普通の人たちに世界一の幸せを感じてもらうために、同じペースで進んでいくつもりです。
武術、武道に縁の無かった人、運動オンチな人、不器用な人、とにかく、自分に自信の無い人、その身体がすごいって事をしっかり教えてあげます。
ぜひ、ご自身を身体から見直してみてください。
 
 
 
お近くにもカラダラボの教室、稽古会があるかもしれません。
興味があればのぞいてみてください。

【稽古日誌】時間と空間に答えを出す

久しぶりに一人の時間が取れたので、ここぞとばかりにじっくり、今、身体で感じている事を言葉にしてみました。
この作業がとっても楽しい。
なぜなら、これまでどこでも答えの聞けなかった事が、突然、頭の中でバチッとつながったりするからです。
 
 
 
例えば、時間、空間なんてのもそう。そして運命も。
そんな大きなテーマはノーベル賞をとるような天才だけの仕事と思っていました。
でも、身体が変わり、変化するにつれて、自然と、自分の中にも時間ってなんだろう?空間ってなんだろう?運命ってなんだろう?と疑問がわいてくるようになりました。
子供みたいになっていく自分が不思議です(笑)。
 
 
 
今年の初めに肘から力が生まれる事に気づいて、それまで内へ内へと掘り下げていたものを外へと出すようにしました。
どんな時にも身体に力を戻さず外へと出していく動きがヨットの帆のようにハリを持たす役割があることに気づきました。そして、そのおかげで外にある力に身を任せることを学びました。
 
 
その後、そのハリの意識を保ち続けるのに膝が有効だと気づき、その膝に身をゆだねる事で、念願の太刀を捌くという動きが可能になりました。
これは私だけではなく、試してもらった人、みんなです。
「移動する」という事を根本的に考えさせられました。
現代人は自分の身体で動く事ができず、最近では手を伸ばす事も出来なくなっているではないか・・・と。
言って見れば回転寿司にいるにもかかわらず、手を伸ばせないからなんにも食べれない状況でしょうか(笑)。
 
 
 
 
膝に乗り、身体が楽に軽やかに動くようになり、細かく制御する事も出来るようになった頃、相手との衝突をわずかに「ズラス」事が有効だと気づきました。
そのズラシを細かくしていく事で、自分の身体の中に常にゆれている部分を見つけたのです。
 
それが「仙骨」です。
 
 
 
色々気づいてみると、そこに関連性が見つかり、今度はその仕組みをつかう事ができます。
仙骨に生まれる揺れは選択です。
自分がどんな自分でいたいかを選択した時、仙骨の揺れが決まります。
絶対に生き延びる、と決めてる人と、もおう、だめだぁ・・・と諦めている人では腰の力が全然違ってきますよね。
自分の人生は自分で決める、それをさせてくれるのが仙骨です。
 
 
 
仙骨にある揺れを意識できたら、それを背骨にそって流していきます。
上に行く事によって、背骨が仙骨の揺れを増幅してくれるみたいです。
肘からの力を外へ出していく動きは骨が作る構造の力を引き出していたんですね。
もちろん、この時に出てくる力の源は「重さ」です。
普段意識している人は少ないですが、私たちは、今、ここにいるだけで、もう、力を身体に溜めているんです。重さと言うエネルギーを。
 
この仙骨からの力を増幅している時、これは時間のエネルギーだ、と感じます。
時間は一直線、戻る事はありません。
仙骨で作った選択の力を信念を持って、伸ばしていくんです。まっすぐに。
 
この骨の技で崩される時、相手は強力なレーザービームのようなまっすぐな力を感じるみたいです。
融通の利かない力なんですが、それ以上に、その方向へいく!という覚悟が生まれます。
時間を無駄にする時って、あっちにいって、こっちにいって、とふらふらする時です。
自分の信念の強さに気づいていない時に、これをやってしまうと、自己嫌悪に陥るから注意が必要です。
こんな事を体は感じさせてくれるんです。
 
 
 
時間が分かれば、次に興味が出てくるのは空間です。
空間は肘に教えてもらいました。
つい先日の話です。肘と仙骨が連動している事を見つけんたんです。
肘をわずかに動かす事で、身体の中心にあり、波動を決めている仙骨を揺らす事ができてしまう・・・と。
 
遊びですが、正座をして横から押します。
この時にぐっと、しっかり、耐えてもらいます。当然、簡単には動きません。
けれども、この時、肘にわずかに触れてみるんです。
すると、仙骨に揺れが生まれるんです。相手にはわからないぐらいの。
この瞬間、肩口をポンと押してあげると、相手はコロリ・・・。
この力のギャップは試してみる価値アリです。
人間を動かすのに力は必要ない、って分かりますから。
 
肘と言うのは不思議なところで、鈍感なんです。
だからこそ、こちらの力の進入を許しちゃうんでしょうね。
いつでも、どんな時にも、どこへもいける感じです。
まさに、この感覚が空間が広がる感じです。
 
空間が広がるのに時間はいらないんです。
どこに行こうか考えるだけで、その瞬間、心の中の景色は広がってるんですから。
 
 
 
話がややこしくなってすいません。
しかし、誰の中にも時間もあれば、空間もあります。
その気になるものに対して、なにもしない、ってのは面白くないですよね。
答えを押し付けられても面白くありません。
 
自分で答えを掴み取れるところに稽古の楽しさがあります。
 
 
 
こうして、また、言葉を通して伝えられる喜びに出会えてうれしいです。
このブログをとにかく、今、感じている事を伝える道具として使っていきたいと思います。
ここに書かれている事を実際に体験されたい方は稽古にお越しください。
本当に誰でも、不思議な自分と出会う事ができます。
運動オンチの方なら、特に(笑)。
 
 
 
近々の講座情報などはこちらで。

カラダラボのホームページ