稽古日誌

【稽古日誌】英語耳とハサミの原理

先日、両手両足がそれぞれ連動しているんじゃないかって話をしたよね。
今日はその続きを書くことにするね。
 
 
両手を同時に意識しようとしても、二つある手を同じように見ていくのって難しいです。
左手を意識すれば右手がおろそかになるし、右手に集中すると左手の事を忘れちゃう。
 
 
丁寧に動こうとして集中する、って事が同時に集中しない部分を作っちゃうんだよ。
ハサミの原理のポイントは二つのものをそれぞれ一つと見るんじゃなくってね、「関係性」に注目ができたことだと思うの。
 
 
ハサミはどんな動きをしても二つの刃の関係って変わりません。
その刃が交差する事によってハサミとしての働きを生みます。
その二つの刃の関係が壊れる時はハサミ自体が壊れる時です。
左手と右手にもそんな濃いつながりがある事に気づいたんです。
 
 
 
例えば、これを柾目返しで試して見ると、さらに動きが速くなり、相手から止められる事がなくなりました。
相手との力が衝突した時、技が失敗する事になるんだけど、その衝突が起きなくなるんです。
力を衝突させるには相手もこちらの力にぴったりと合わせてこなくていけないの。
それが可能なのは、お互いの動きの質が同じ時だけです。
一方がハサミのような構造を手に入れると、その動きにどうしても間に合わなくなってきます。
 
 
 
具体的な動きはこんな感じです。
右手を上げるとすると、その右手を相手はぐっと、押させてきます。
普通に上げようとすれば、簡単に止められてしまうよね。
でも、この時、右手が前へと上がるんではなく、後ろへと一瞬戻るんです。
普通に右手だけを後ろへ引くと、それにあわせて体がねじれたりして、バランスを崩してしまいます。
でもね、ハサミの原理で右手が後ろに動いた事に連動して、左手が開くように前へと動きます。
この動きが抑えられないのは、おそらく、右手左手という部分を意識して動かしているんじゃなくって、その連動しているって関係性を意識しているからだと思うんです。
 
 
両手が外へと開いていくと、そのうち、動きの限界点に達します。
その「壁」にぶつかり、跳ね返るように、今度は改めて右手は相手の方へと向かって手が飛んでいきます。
 
この切り替えの速さがとんでもないのかもしれません。
結果として、相手は対応しきれず、崩れていく事になります。
 
 
 
・・・と、ココまではこの前にお話した事と重なるところもあるでしょ。
昨日、面白い話を耳にしました。
その話題がきっと、このハサミの原理の研究を進めさせてくれそうな気がしています。
 
 
 
英語耳、ってしってますか?
日本語と英語では主に使われる周波数帯が違うんだってさ。
普段聞きなれている日本語にあわせて僕らの耳は調整されているとの事。
 
それを英語の周波数帯の音をしっかり聞いて、耳にそれを覚えさせるようにすると、その周波数帯の音がすっと、耳に入ってくるんだってさ。
 
 
あぁ、そういうこと、あるかもしれません。
耳自体に聞こえる音の違いがあるんですよね。
視力で言うと、ピントをちゃんと合わせられかどうか、って事だと思います。
 
 
視力だと、突然、飛び出て見える3Dアートってのが、昔流行ったよね。
あれもフォーカスをどこに合わすか、だったはず。
 
 
 
つまり、目も耳も、二つあるものはその二つが力をあわせて、ピントを調整しているのかもしれないの。
じゃあ、この手はどうなんでしょうね。
 
きっと、この両手の間に、ピントともいえる調整装置があるんです。
機械が無かった頃には、この手だけを使って重い荷物を上げていたんだもんね。
同じ重さの荷物でも、上げ方によって、全然重さって違うじゃないですか?
 
山登りをされる人なんかリックサックの荷物の入れ方で体にかかる負担が違うって当たり前にしっているんだってさ。
 
 
 
でも、重い荷物も機械が運んでくれるようになったよね。
車に積めば重さも関係ないし。
視力も聴力も、機械の力でズームもできるし、ボリュームも簡単に上げられるようになってるもんね。
 
体は楽をすると、サボっちゃうんです。
 
 
 
まずはこの手を連動させて、つながっている、ってのを意識して見ようかと思ってます。
明日は金曜日、じっくり、たっぷり、研究できます。
そして、土曜もまた、質の良い稽古が出来るはず。
この週末でまた、一気に研究が進みそうです。
 
 
 
ありがとうございました。

【稽古日誌】外の世界への旅、内側の世界への旅

今日の水曜日、頭の中ではなんとなく、2週目のつもりでしたが、1週目だったんですね。1週目の水曜日は予定を入れていない日ですから、すこし、得をした気分!
 
半歩の術理ハサミの術理、とにかく頭の中でまとめたい事が山ほど出てきます。
たった一つの体験がガラッと、それまでの常識を変えることがあるんです。
 
 
 
こういうのって、旅が好きな人はよく分かるんじゃないかと思います。知らない場所でおこる偶然の出来事がそれまでの自分を一変させて、新たな気持ちで生きていけられるような気持ちになる事って無いですか?
 
 
そんな問いかけをしておきながら、私はそんな事を感じたことがほとんどありません(笑)。
今、この場所を離れて、遠いところに行きたい、という気持ちはありますが、旅行に行って、観光を楽しむってのにはあまり、興味がもてなかったんです。
今でも、あまり、外には行きません。
これは、旅行のように、体を旅させるのもそうですが、セミナーやコンサートのようなイベントで心に旅をさせるのも苦手です(笑)。
 
 
 
だからなのかもしれないけど、唯一新しい自分を見つける場所はこの体を通しての感覚だけです。
ずっと、外に行くのは面倒だ、と思っていましたけど、そんなナマケモノが出会った新しい自分を見つける場所がどこにも出かけなくても良かった、この自分の体の内側を観る、という方法でした。
 
 
 
アクティブな人はどんどん、外へ行けば良いんです。
でも、私のように、内側に気持ちが向いちゃってる人はもっと、内側に目を向けてみたらいいんですよ。
無理して、外に目を向けると、つい、比べちゃいますから。
比べるのは、ちょっと前の自分と比べたらいいんです。意外と、毎日、大きな刺激の中に生きているって事が分かりますから。
 
 
 
昨日、こんな動画を紹介しました。

一応、解説しておきますね。
ちょっと前に半歩の術理が教えてくれる事をお話しましたが、これは単純に足指に引かれて動く、というだけの動画です。
 
立っていれば、いろんなところに動く事もできますが、座ってしまうと、どうしても動きが鈍くなります。
この動きが鈍くなって、歳と共に、どっこいしょ、という言葉が多くなったりしますよね(笑)。
 
しかし、武術の場面でどっこいしょと言える余裕はありません。
振り下ろされた刀が来た瞬間、パッと動かなくてはいけませんから。
 
でも、実際にやってみると、動けません。
これは腰に力をいれる方法しか動き方を知らないから。
 
以前、仙骨を起こして、背骨に通す、という事もお話しました。
ほんの1ヶ月ほど前の前の話なのに、遠い昔の気がします(笑)。
その動きであれば、背骨が揺らぐようにして、体を動かす事は出来ますが、どうしても、移動できる距離に限界があります。
刀を見切る目があればいいんですけど、それを身につけるにはちょっと時間がかかりそう。
 
 
 
でもね、子供である、膝下に任せて見ると、仙骨や背骨で動き出すよりももっと速いタイミングで遠くに動く事ができるようになるんです。
手指の時と同じですね。
 
動画をみると分かるけど、足指に引かれて動くと、体がくるりと回転するんです。
でも、この回転をしようと思うと、大変なんです。なにかをしようとすると、つい、腰に力が入っちゃうから。
でも、足指が先に動いた時には自然と体は廻るようになってるみたい。
 
動画の彼も足指に引かれるように試したのはまさに、この時が初めて。
でも、ちゃんと、きれいに動いてますよね。
動画のね、19秒あたりを見て見ると、棒が足に触れそうになった時に、彼の足指がビクって動くんです。この動きこそ、まさに、自分の中に隠れている速い動きです。
この動きが体に生まれても、つい、頭がそれを止めちゃったりしてるんですね。
 
この足指の速さを認めるってのが親がでしゃばるのをやめて、子供に任せるって事と似ている気がします。
でも、この子離れはなかなか難しいです。でも試していれば、親の出る幕は無いな、って気づきますからね。試してみて下しさい。
 
 
 
ありがとうございます。

【稽古日誌】ナイフからハサミに進化するかも

大垣の中日文化センターは今日から新しいクールが始まりました。
この大垣中日文化センターだけは、初回体験、その後の5回で一クールって流れになっています。
これはこれで、毎回新しい人との出会いがあって、楽しくさせてもらっています。
 
 
初回の昨日、なにを話そうかと思いましたが、受講者の顔が分からなければやっぱり決まりません。という事で、やっぱり、今回もカリキュラム無しで向かいました。
 
 
講座の開始前、雑談をしながらふと、この5回で伝えたい流れを話してみようかなぁ、と思いました。
先を見てもらう、想像してもらう事で、稽古が進むかもしれない、そう思ったんです。
武術の世界には「技・術・略」という考え方があります。
解釈はそれぞれですが、昨日の流れの中では、
 
技は個別のパターン、形の中で出来るようになることを。つまり、手順です。相手も素直に受けをとってくれれば、その形の中では「出来る」というのがわかります。実際に出来る、という経験が最初の一歩になります。
 
術は応用力。相手が力を入れたり、逃げたりしたりしても、それに振り回されずにちゃんと、リラックスする事。無限にある可能性を頭で覚えるわけには行きませんから、体に手順に縛られず体に任せる事学びます。
 
そして、最後に体を通して手に入れた新しい感覚から、これまでとは違った視点を持ってもらいたいです、と伝えてきました。
 
 
 
うんうん、と頷いてくれてはいましたが、きっと、最後の視点の話なんかは全然分かっていないはずです(笑)。
でも、いいんです。それで。
武術の可能性として、体を動かしていく先には幸せになるコツまで続いている、って事を知っておいてくれる事が大切だと思ったので、お話しました。
 
 
 
なにを学ぶにせよ、僕らの中にはまず、先入観、期待感があるよね。
とくに、文化センターのようにたくさんの講座の中から選んで、大切なお金と時間を使うものは必ずです。
その期待感は大切だけど、それが逆に可能性を閉じてしまう事にもなっちゃうの。
 
 
武術を通しての学びってのは、本当に広いくて、深いです。
だからこそ、少林寺拳法のように、心の問題にまで入り込めるものまであるんです。
ただ、多くの武道はスポーツ化をしています。スポーツ化すれば、自然に順位を競ったり、体を動かした事での気持ちよさ程度で満足しちゃうかもしれないでしょ。
 
 
 
僕が伝えたいのは、この自分の体を通して自分ってなんだろう?って考えて、それまでに見てこなかった自分を見つけて、楽しく生きていく術です。
今の時代にはちょっと似合わないぐらい固いものかもしれません。
でも、流されていけば生きていける「今」だからこそ、自分が主体になって、生きていく方法を伝えて行きたいと思ってます。
 
 
 
この生き方をしなさい、と押し付けたいんじゃないの。
実はどんな生き方でもかまわないと思っています。
現代は昔のように単純に善悪が決めれない時代です。原発の問題でも意見が分かれてるし、経済の問題もこれまでのように大きくしていく事を望んでいる人もいれば、経済的発展をやめ、自然に帰るような生き方をしたい人もいるよね。
たくさんの知識を得て、たくさんの可能性があることを知ってしまった以上、それらを選択するのは一人一人の決断ですから。
この先、一緒にいたいと思っている人とも、どうしても敵と味方に別れてしまうこともあるはず。でも、そんな状況でも、自分にとっての幸せってなんだろう?って事と向き合って、自分らしく生きていく事をお互いが考えていれば、敵と味方同士であったとしても、相手を受け入れ、生きていくことはできると信じています。
 
 
 
この「立会い」こそ、武術が求める間合いです。
 
おっと、つい、言葉が過ぎてしまいました(笑)。
でも、安心してください。昨日の文化センターではもっと優しく柔らかく、お伝えして、介護の技中心にして、楽しく、笑いながらお稽古してきましたから。
それがやれるのも、カリキュラムの無いカラダラボ流の講座の特徴です。
 
 
 
実はもう一点、お話したい事があります。
昨日の夜、「紙を破る」という動きがふと、思いつきました。
紙を破るその瞬間、左手と右手は連動し、力む事ってないよなぁ・・・って。
実際に紙を破いて見ると、両手の指先がそれぞれの役割をちゃんと行い、スムーズに破いていました。
 
 
この二つの手は連動しているんです。
当たり前と言えば当たり前なんですが、その事を実際に自分の体で感じた貴重な出来事でした。この二つの手がまるで、ハサミのような関係にあるんですね。
そんな事を考えた昨夜でしたが、今日、歩いていた時、両足にもつながりがあるのを感じました。
 
 
つながりって大切なんです。
このつながりに気づく事で、そこに法則を見つけることが出来るようになります。
依然お話した、仙骨と肘の関係も連動でした。
その連動を見つけたおかげで、軽やかに体を動かす事が出来るようになったのです。
 
しかし、その後に気づいた肘から先を道具にして動くという術理は連動と言うよりも、子供に振り回されている親のようなつながりです。確かにつながりはありますが、すこし、乱暴でした。
 
 
今日、気づいた左右の手足の連動はまさに、連動。つながっているんです。
今まで、その連動に気づかず、つい、片手、片足に気をとられてバランスを崩してしまっていたかもしれない、と想像しています。
 
 
 
さっそく、この見つけたばかりの連動を研究して見ると、なかなか面白そうな動きが見えてきました。今の時点でわかっているのは、ナイフからハサミへと進化できるかもしれない、という事です。
また、ちゃんと調べて、少しずつ、言葉にしていきますね。
今日も、お付き合い、ありがとうございました。
 
 
 
さて、どんどんと動きが変わっていってしまい、今の術理が置いてきぼりになっていってしまいます。ちょっとずつでも紹介していきますね。下の動画は足指に引かれて動いたものです。黒い服を着ている彼はこの時、初めて、足指から動く事を学び、試したところです。「どっこいしょ」ってのが消えているのが伝わるかなぁ・・・。

【稽古日誌】柾目返し 手指に任せて。

久しぶりに技の動画を撮ってみました。
今回、注目して欲しいのは「体幹部のやる気のなさ」です(笑)。
技はいつもの「柾目返し」です。正座して向き合い、ただ、手を前へと出すだけの技です。
 
 
これまで何度もお話をしていますが、柾目返しはただ、手を前へと出すだけです。しかし、これがやって見ると、なかなか難しくって。
複雑な技も稽古、練習になりますが、こういう単純な技こそ、その術理を理解するには最適なんです。
今回ビデオを撮ってみて、思った以上に「変な」動きになっている事が分かりました。
普段、自分の動きって見えないですからね。
 
 
今回の術理は肘から先の部分を道具、もしくは子供とみなして、体幹部の「我」の部分をださないようにするって事です。
どう言葉にすれば伝わるのかな、肘から先の部分と、体幹部を含めた肘から上の部分は「別物」と考えて動いてみるとこんな技になります。
 
 
 
日本には丹田信仰があって、つい、腹の充実を求めてしまいます。ただ、その充実感が本当に「働きのある丹田」なのか、ってのを考えないとダメだと思うんですよね。
自分に丹田がある、って考えたい気持ちは分かりますが、それに縛られるとどうしても、研究が止まってしまうから注意です。
 
 
 
この時、誰かが「正しさ」を証明してくれればいいんですが、そんなこと、誰もできません。信じられるのは、自分の感覚です。
武術の良いところは技の良し悪しがしっかり結果として出てくるから、自分の中で決められるんです。
 
 
 
さて、この動画を一応、説明しておきます。
先ほども言ったとおり、ポイントは体幹部のやる気のなさ。とにかく、体幹部の元気が外へと出ない方がいいです。まぁ、手先だけで十分、相手を崩していける、と分かれば自然と腹に力を入れることもなくなります。逆に、手指に任せられないまま、体幹部が力を抜こうと思っても、なかなかうまくはいきません。
 
 
動画をみると、しっかりと手を抑えられているにもかかわらず、いたって、普通に手を前へと出し、崩しているように見えます。実際にも、目の前のコップを取るのと全く変わらない動きですから、圧力を感じることはありません。
 
 
この時、手順としては肘から先を外へとまず、切り離します。感覚としては肘をポンっと外へと落とす感じです。
落としてから、手首を起こしてみます。
手首が起きると言うのはポイントだと思いますが、起きてくると、指に元気が出てきます。
指先にまで感覚が届いていると、反射的に動くように意識する事ができます。
 
 
 
途中、両手を持たれて抑えられていますが、全く変わりません。
形としては合気上げ、両手持ち呼吸法と似ていますが、技と呼べるほどのものではありませんから、どう思われても結構です。
 
 
体がしっかりと働いていると、抑えるほうにも「術」が必要になってくるんですね。
きっと、こういう動きは昔の人には「当たり前」だったんじゃないかなぁ、と思います。
便利なものがない世界では体を使うしかないですもん。
 
 
 
 
こうした経験が「自分」って存在を教えてくれるんです。
自分が思っている以上に自分の体は不思議だって気持ち、ワクワクします(笑)。
 
ありがとうございました。

【稽古日誌】着物が奇蹟を持ってきた?

日曜日、着物好きの嫁さんに連れられて大垣駅周辺で開催の着物園遊会に出かけてきました。
大垣にはこの数年、縁があり、いつも講座や大人の武道塾で出かけているけど、こうして遊びにくるのはもしかして、初めてかも。
 
 
 
この日は月一に行われている商工会のイベントと併せて着物イベントを朝から行っていて、到着したお昼頃には盛り上がって、すごい人でどのブースもにぎわってて活気があったよ。
 
 
時々、着物を着るんです。
まぁ、立派に着こなす、というよりは、着物に嫌われないぐらいにはしておかないとな・・・って感じで。
嫁さんは着物を楽しんで、コーディネートにまで気を使っているけど、私は中身で勝負です(笑)。
ただ、その中身も動き方、って感じですけどね。
 
 
 
しかし、残念ながら、こちらで勝負しようと思っても、着物にはいつも負けてしまいます。
というのも、着物を着た瞬間からうまれる体への違和感!
きっと、これは普段の洋服の体が染み着いているから(笑)。
甲野先生は毎日、着物です。
名古屋へお越しの際にはいつも、袴まであわせて正装でかっこいい!
あの着こなしをいつの日にか、受け継ぎたいとおもいつつ、まだまだ着物に着られるひよっこさを感じてきました(笑)。
 
 
 
今日お伝えしたいのは、違うことなんです。
 
目の前に起きていることに流されると、ついつい、当たり前感が強くなって、生きる事への意欲や情熱が減っていってしまうけど、時々見つかる驚きによってまた、生きる事へのものすごさを思い出すことができるぞ!って事です。
 
 
 
昨日、着物をきて、歩行者天国を歩いていて、ふいに、「山口先輩」と声をかけられたんです!
振り返ってみると、なんと、そこには大学時代の後輩が・・・。
うわぁ〜懐かしい!!
 
 
 
皆だんだんとそれぞれの居場所を作り、忙しくなると、なかなか顔を合わすことも難しくなりますよね。
その彼ともこれまでに一度、いや、もしかしたら、全然会ってなかったのかも。
とにかく、一対一で向き合って話をするのは、大学の時以来!
うれしかった〜。
よくぞ、見つけてくれたものです。
(まぁ、大学時代から変わってない、と言われましたが(笑))
 
 
 
そして、彼の今の活動を聞くと、さらに、うれしくなっちゃって!
なんと、今、大垣の町おこしに一役買っている、萌えキャラの生みの親だとか・・・。
ちょうど、先日、新聞で萌えキャラグランプリみたいなもので、準優秀をもらったと目にしていたんですが、企画者の名前まではみていなかったんです。
 
 
 
詳しい話はまた今度、聞かせてもらいますが、スタートは本当に、個人的に始めたとのこと。自らの特色を考え、なにができるかを形にして、今、たくさんの人に喜ばれているものを作り上げている姿に感動してきました!!
 
 
 
そして、そこには普段お世話になっているお煎餅屋さんもすでに絡んでいて、世界の狭さを感じます。
もちろん、フェースブックやツイッターで探そうと思えば、いくらでも懐かしい人には出会えるはず。
でも、だからこそ、今日のような「偶然」の再会が楽しくなるんです。
 
 
 
そうそう、まだ、あった!
その彼から夜にもらったメール。
久しぶりに会った友達と話をしていて、そのお友達がなんと、また、僕ら憲法部仲間の義兄弟だったりして。
これは、世界が動いている証ですね、絶対(笑)。
 
 
 
流れって誰がなんと言おうと、あるんです。
流れに乗っている以上、かならず、イベントが起きます。
そのイベントをどう受け止めるか。
人生を楽しくするコツもここにあると思っています。
 
 
ずっと前に待つことの楽しさ、おもしろさを書いたのって、覚えてるかなぁ。
知恵の輪を頭を使って解くのではなく、ただ、さわっている。
その触っているだけでいつのまにか、取れちゃうことがあるんです。
 
 
待つっていうのは、時間を味方にする事です。
待つことで時間がいらいらの元になってしまえば、やがて、倒れてしまいます。
でも、待っていれば、そのうち、なんとかなるだろう、とわかると、気持ちがどんどん楽になっていきます。
 
時間って誰にとっても平等だよね。一応、24時間(笑)。
今の時代はその時間を大切にしようとしすぎて、あわてちゃってる時代でもあるの。
なにがあっても楽しい!って人は時間だけでなく、空間的にも味方を増やしている人。
それが出来ないと、ついついがんばって、手を出した事から生まれる結果に振り回されちゃう事になってしまうから。
 
 
 
 
時間と空間についても体からわかったことがあって、いつか、ちゃんと、伝えたいなぁ、って思ってるからね。また、話をさせてください。
 
 
 
ありがとうございました!