稽古日誌

【稽古日誌】自己満足と自己実現

豊田の中日文化センターへと向かう途中、ふと、「自己満足」って言葉が出た。
自己満足ってあまりほめ言葉では使われない。むしろ、自己満足で終わっている・・・なんて使われたりしてきっと、みんな言われたくない言葉だと思っているかも。
 
でもね、ちょっとまてよ、って思ったんです。
自己満足って言うと嫌われるし、言われたくないけど、自分が満ち足りている、って言うとなんか、幸せな感じがしない?
 
 
 
自分が満ち足りていたい、ってのは多くの人が望んでいる事だと思うんだよね。
でも、自己満足は嫌い・・・。
これって矛盾してないかなぁ~って。
 
矛盾となれば武術の得意分野。
講座までの少しの間で考えました。
自己満足ってどういう事?自己満足に対応する言葉は?
 
 
 
そして、出てきた言葉は「自己実現」。
自己満足に対して自己実現。
うん、なんか、いいぞ(笑)
 
 
 
今、本屋さんに行くと、なりたい自分になるほう方が山ほどありますよね。知ってます?
自己実現の方法はたくさんあるんです。
一人一人が自立をして強く、生きていく。
確かにそれを求めたい気持ちもわかります。
 
私も自己実現の方法をあれこれ、いくつか、読んだり、聞いたり、試したり。
そしてたどり着いたのが「無理!」(笑)
 
 
 
方法は分かるんです。
頭の中になりたい自分の姿を描き、それに導かれるように、ワクワクして、前向きな言葉を使って生きていくと、次第に夢が現実になってくるんです。
実は100%、私はそれを信じているし、確信しているんです。
でもね、その描く未来がどうしても、明るくならないんです(笑)
 
 
理由はこの自己実現の問題が気になっているからかもしれない。
それは自己実現の力が強くなりすぎると、どんどん、自分の思い描いているものが形になってしまいすぎるんじゃないかって。
 
一体、それのなにがいけないの?って思うかもしれないよね。
でも、思い描くものには「限り」があるよね。「ゴール」があるんです。
例えば、芸能人になって、人気者になって、お金持ちになって、かっこいいスポーツカーを持って、パーティーをしまくって過ごす、って夢を描くとするでしょ。
そんな夢も自己実現の法則からすればかなうんだと思うんです。
そのための方法はこの時代には全部揃ってるもん。
 
でもね、それが全部叶った後はどうだろう?
一体、なにを求めればいいんだろう・・・って。
 
 
 
いや、だからその後もちゃんとなりたい自分を描くんだ、って言います。
でもね、自分のゴールをどこに置くかって大変なんだよ。
周りが決まっても、それを幸せだとは思えないかもしれないでしょ。
 
だからね、自己満足なの。
自己満足ってのは自分がとにかく、その瞬間、満ち足りる、納得できるって事だと思うんだよね。
今、僕が追い求めているものはまさに、自己満足するための方法なんだなぁって。
 
そして、この自己満足の中に生まれる大本が波動。楽しい波動は外へ外へと向かい、仲間をひきつける。
その波動が大きくなれば自分の枠を超えて、周りにも広がっていくって想像してます。
周りに広がって、それを受けた人が巻き込まれる、周りが騒がしくなれば、それが天運となって、気がつくと、自分が求めていたものがだんだんと形になっていくんじゃないだろうか。
 
 
 
もう、こうなると、自己実現なのか、自己満足なのか分からないですよね。
こういう矛盾の解決方法を武術は得意なんです。
 
例えば目の前にいる敵。
その敵に対して、自己実現の方法として、イメージパワーで立ち向かうとします。
 
「自分は負けていない、自分はこの戦いでたくさんのものを得る、大丈夫、自分はラッキーなんだ!」
 
そんなイメージを持ったとしても、まず、無理です(笑)
全く、役に立ちません。妄想ですよね。
頭で考える事はできても、身体が怖がって縮こまり、逃げるからです。
 
でもね、自己満足なら、自分の身体に力がでるんです。
勝ちたい、生き延びたい、ってのは本能ですから、そのままにしておきます。
無理に願わない、なんてのも無理だから。
ひたすら、自分の今の状況を身体と対話して、ほぐしていくんです。
身体が恐怖に縮こまっているとします。この時、身体をほぐす事はできないかと工夫をするんです。
すると、身体にはまだまだやれる事が残っている、って分かるんです。必ず、なにか見つかりますから。
 
 
 
つい先日、甲野先生の道場で見つけさせてもらったのが身体、前進の微振動です。
この微振動がある時には身体にこわばり、緊張が起きずに、バラバラっと動く事ができるんです。
頭の中では怖さがあっても、身体にそれがなければ、ずいぶんと楽になるんです。
 
そして、この今、一番、自分が出来る事をやりきっていれば、その動きでだめな時、つまり、負けてしまったときにも、納得いくんです。
やれる事をちゃんとやりきった、っていう気持ちが生まれます。
その負けを認めたうえで、研究をまたするんです。自分の中に変な我を作らず、ありのままを見続ける事ができるのが武術の稽古ですから。
 
 
 
自己実現と自己満足の話でしたね。
イメージパワー、潜在意識を使って夢を引き寄せたい、って思っている人って多いです。
でも、これはきっと、アメリカ的(笑)
ちょっとでも、反省して、自分に理由を作っちゃう人はなかなかポジティブな夢を持ち続けるのって難しいと思うんですよね。
だからね、そういう人は、自己満足を究極に追求していくと良いの。
そして、ポイントは自分が満足しているかどうかをチェックできるものを持つ、という事。
ついつい、人の意見が欲しがっちゃうんだよね。
でも、それはダメ(笑)
ひたすら、自分が楽しいこと、うれしい事をしてください。
そしてその時の状態を身体のほうから観察して、いつでも、その身体を表現できるようにする、それが自己満足的夢の叶え方かな。
 
 
 
きっと、こういうのをマニュアルにしていったものもあると思うんです。
これだけたくさんの夢の叶え方があるからね。
でも、自己満足を嫌いながら、満ち足りたい。自己実現を求めながら、自分の心がわからない。それがさまよう事になる大きな原因だと思うんですよね。
 
身体を見ていくと、本当に、そこに答えになるもの、助けになるものがたくさんあるんです。
知識は知識でどんどん、身につけたらいいんです。
でも、その知識は誰かの頭の中にあったものだからね。
本当に自分のやりたい事、求めたい事に対してちゃんとまっすぐ生きていけるお手伝いをしたいと思っています。
 
 
 
いよいよ、今年も1週間を切ったからかな、いろいろと考える事が増えてきました。
稽古がお休みになる分、こうして、言葉でお会いしたいと思います。
 
いつも、ありがとうございます。

【稽古日誌】身体はいつも、感動してくれていた・・・

身体が振動している、って事が分かるようになり、気づく事が多くなった。それはいつも、身体は「感動していた」って事。
 
 
 
昨日、テレビでお笑い芸人の鉄拳が書いたパラパラマンガを紹介していたんだよね。鉄拳のパラパラマンガを初めて見たのは「振り子」という作品。それまで、お笑いの人、という見方しかなかったのが、もう、びっくり!一気に鉄拳ワールドに引き込まれていたから。
その作品を作る様子をテレビで見て、また、びっくり!
作品の奥にある気持ちにまで接して、身体がブルブル震えているのに気づいちゃった。
 
同じような時間帯にイチロー選手がマリナーズからヤンキースへと移籍する際に長年イチローを応援していた方への感謝の様子を紹介してました。
これまた、やっぱり、じ~ん、とくる感動があって、なんだ、こうして毎日、いろんなところで、この身体は受け取っていたんだなぁ、と自覚しました。
 
 
 
感じて動くから感動・・・なのかは分からないけど、この身体はビリビリと感動する事もあったんです。
でも、そのビリビリは意識に上がることなく、すぐに当たり前の日常へと逆戻り。
 
逆に、嫌な事に出会ったときの窮屈な緊張。
それはなかなか日常へと戻っても、消えない窮屈さがあるよね。
 
 
 
まずは自分の身体を知ること、認めることが必要なんだと思うの。
たくさんの知識を得て、自分がこうするべき、こうなりたい、と未来を作るのも大切だけど、ついつい、その未来に押しつぶされちゃったりするから。
でも、この僕らの身体は命の生まれた最初から、一度も切れたことのないものすごい時間を持つ身体。
その身体がこまかく一番良い自分であろうとしてくれていると思う。
 
 
 
こんな気持ちになれたのも、甲野先生と手を合わせ、その瞬間の身体をじっくりと観察させてもらえ、自覚させてくれたから。
本当に、お金では買えない経験を与えてくれる人です。
 
ぜひ、もっと、みんなにもご自身が持つ体の精妙な様子を感じて欲しいと願って止みません。
1/6、浜松に甲野先生をお呼びします。
大勢を集めて話を聞く会ではありません。
甲野先生を囲み、しっかりとその感触、雰囲気を感じてもらい、身体が動いていく様子を受け取ってもらうつもりです。
 
今回はお正月明けという事もあり、今のところ、参加の申込も少ないですから、じっくりたっぷり、個人的な事も含めてお聞きしたい人には良いかもしれません。
懇親会もありますので、ぜひ、自分自身を再発見する機会にしてみてください。
詳しくは下記のサイトをごらんください。

1/6 浜松での甲野先生の講習会

【稽古日誌】嫌っていたものがありがたいものだったと思える喜び

昨日の浜松の稽古で見つけた新しい動き方について報告しておきます。
すこし、今まで思い違いをしてきた事もわかってきましたし・・・。
 
 
ちょっと前に車線変更の太刀さばきってやったじゃないですか。
あの前進しつつ、コブシに導かれるように、身体という乗り物の進行方向を「少しだけ」横にずらすって奴です。
車線の変更のイメージで動くんですが、その車線変更を決めるハンドルが「コブシ」だと思っていたんですが、どうも、これは、「肘」かもしれません。
まぁ、興味のない人にとってはどうでも良い話でしょうけど(笑)
 
 
 
肘の良さってのは上腕に支えられつつも、身体の重さを感じない自由さがあるところです。
その肘をちょっと動かすだけで、仙骨、体幹部が動くんです。
そして縛られている事で、左右の動き、切り替えしがすばやくいくんですね。
もちろん、これはコブシでもできるんですが、コブシはもっと「自由」ですからね。
単純にハンドルだけの仕事を与えるよりはもっと、自由に飛ばしてあげた方が有効です。
まるで、UFOみたいに!(見たことないけどww)
 
 
 
ハンドルは肘だったか!と気づいてみれば、当然、膝もそうかもしれない、なんて考えてみたんです。
ただ、足は駆動輪、進むほうの役割を持っていたから無理って決め付けていたんです。
少しずつ動きに慣れてきたことがよかったのかな?昨日は、進むって動きを前へと歩くと言うものから、「落下」という力が使えることに気づけました。
 
 
 
武術の世界では膝落、膝を抜いて身体を動かすってのが極意として伝えられたりしますが、そんな感覚の一端を見た気がします。
刀が振り下ろされた瞬間、怖いと思って、身体が緊張します。
刀にあわせて良いタイミングで、顔を守ろうと手が出ます。
この相手と合わさるタイミングが絶妙なんです。みんな・・・。
わかります?
 
 
絶妙に紙一重に交わすってのは難しくても、完璧なタイミングで当たる!って縮こまるのも絶妙なタイミングなんです。
その瞬間、相手と自分は一体化しているって感じたんですよね。
打たれる自分と打った相手が一つになっています。
 
そして、このピタッと合っているって時が新しい動きを作る瞬間でもあります。
この時、膝に意識を持っていき、少し横に流してみます。
すると、身体が膝に導かれるように、流れ出します。
 
 
 
歌舞伎の女形の稽古のときに膝に手ぬぐいを挟むと聞いた事がありますが、まさにそんな感じ。
滑り落ちるように身体が移動するんです。
ハンドルは膝ですから、上半身には力の影響がありません。
先ほどと同じく、当たる!と身を縮めたままです。
当然、相手は打った!と思い込んだままです。
ここに虚が生まれるんでしょうね。当たったと思った瞬間、目の前から相手が消えるんです。
 
 
ただ、交わすって言うのであれば、もっとシンプルにすることも出来ます。
でもね、武術は身体を通して自分の事、生きているって事を学ぶものだと思っています。
この動きを通して、「衝突」という概念が変わりました。
 
 
 
どういう事かといえば、生きている中で生まれるストレス、それが衝突と似ています。
ぶつかり、困るから、ストレスになります。
これまでの世の中の進化はそのストレスの元を消していくことに向かってきました。
暑さ寒さはエアコン、ストーブ、家の構造まで手を加え解決してきましたし、乗り物を進化させることによって、暑さ寒さのないところへの移動を簡単にしてきたりしました。
 
人との関係もルールを作り、お互いがそれを共有する事で、衝突を回避するようになりました。
 
退屈な時間に対してはエンターテイメントを活用して、音楽、ゲーム、書籍、テレビ、映画をどこでも楽しめるように機械を進化してきました。
あぁ、ネットのつながりってのも寂しさっていう不安を消すためにあるのかも。
 
 
 
まぁ、ともかく、誰かが困ったなぁ、と思った時には新しい商品やサービスが出てくる時代になったんです。
 
そうそう、病気や怪我もそうですね。
いかに速く、負担なく治すかと考え、医療は進化してます。
そして、怪我や病気のないように、街を安全にして、ウイルスが入り込めないように、清潔にしてきました。
 
 
 
その結果なのか、私たちは衝突に対して恐れすぎてしまったかもしれません。
あらゆる苦難がなくなるまでこれを続けるのかな?
でも、どこまで行っても困ったことってなくならないもん。
人は死ぬし、自分だけの命ではなく、子供や恋人のために自分がいると分かればただ、死を受け入れる、ってのも難しいです。
 
 
 
昨日の気づきはその「衝突」を嫌わなくてもいいんだ、って事だったんです。
この気づきのおかげでこの先出てくるであろうたくさんの衝突に対して、それを「必要」と思えるかもしれない、そう直感してるんです。
今まで嫌って、いらない、と思っていた衝突。でも、今度はその衝突があるから、どれだけ、どのタイミングで動けば良いのか分かってくるからです。
 
 
 
逃げようと思っていても衝突ってでてくるんです。
怖いと思った瞬間相手の攻撃に対して身体が固まります。
そのタイミングって絶妙なんです。
少しもはずれません。
この瞬間、未来が決まっているんでしょうね。いや、未来を決めたのは自分です。
自分はもうだめだ、っていうネガティブな未来を作ってしまえたのです。
 
でもね、それに対して動く方法を持っている、って事も同時に気づけます。膝を見れば。
 
 
 
役割分担がこの身体にはうまく出来るようになっているのかな。
毎日、こんな感じで、気持ちが楽になり続けているんです。
誰でも膝ってあるでしょ。という事はみんな、それが出来るんです。
自分に出来ない!って自分の未来に対しての衝突も抜群のタイミングで作ったものです。
それを動かすのは膝なのかもね。
さぁ、今年中にもう少し、掘り下げねば!

【稽古日誌】身体は毎日、震えるほど感動している。そして、緊張している。

久しぶりにブログも更新できないほどの慌しさにちょっと、驚いています。
予定していたという事に加えて予想外の出来事でどんどん、時間がとられて行っちゃう。
あぁ、こういうのが「運」なんだな、なんて思ったりした乗り切ってました。
 
 
 
それでも、稽古はすすんで、新しい発見もたくさん出てくるんです。
その一つ一つ、感じた瞬間に感じた事を書こう、伝えようって思った事でこのブログも再開できました。
ひと月でも続くのかなぁ、と思っていたけど、意外と長持ちしてますね(笑)
 
きっと、これは良い稽古ができ、毎日のように発見があるからなんです。
 
 
みんな毎日の生活を変えようと頑張るでしょ。
良い学校に入るために・・・、良い会社に入るために・・・、売り上げを上げるために・・・、病気を治すために・・・、運命の人と出会うために・・・。
もちろん、それは楽しい未来にワクワクしていいんだけど、それとは真逆の事が稽古なんだなぁ、って思うようになりました。
 
 
上手になるために稽古するわけではないんです。
ただ、今、この瞬間、周りをなにも変えずに幸せな気持ちを持てないだろうか・・・って。
それはつまり、出来なくても楽しいって事だったり。
 
それが自然とね、出来ない状況も楽しくなってきたりすると、それまで困っていた状況が解決されちゃったりするんです。
絶対に無理、って思っていた動きが出来るようになるって本当に不思議。
だって、それは周りの人には当たり前に見えても、自分の中では不可能性をずっと感じていた事だったからね。
 
 
 
病気がイヤ、会社がイヤ、環境がイヤ。
どんな事があっても、まず、自分の身体を整えてみる。
身体が整って快適になってくると、今度は心に嫌な気持ちを持つ事が「難しくなる」んです。
 
顔は笑いながら言葉では怒るって出来ないでしょ。
昔、竹中直人さんがやってたよね。
なかなか出来ないから「芸」になるんです。
 
楽しい未来を描ける人はどんどん描けば良いんです。
そしたら、今が楽しくなるからね。
きっと、高度成長時代はそれが遣りやすかったんだと思うんです。
でも、今、将来を楽観的に描くってなかなか難しいんだよね。
知りたくなくっても、年金、保険、紛争、戦争、いろんな問題を知っちゃうじゃないですか。
色々と知ってしまった上で答えを出すって難しいんです。
 
そして、気がつくと、将来に不安を作っちゃうんですよね。
当然、不安な将来からくる今は面白くないもん。
 
 
 
だから、武術は「今」なんです。
今、この瞬間を喜べる状況を考えるんです。
いや、考えるってのは適切ではないかも。
心の底から、身体全体で喜べるようにするのが武術です。
今、この瞬間、ここにいてよかった、自分でよかったって言う喜びを持つ事ができるって今、確信しています。
 
誰でも・・・。
 
 
 
今、身体が震える動きがだんだん自覚してきました。
先週木曜日まではコブシを握った手だけが震えることが出来ました。
甲野先生と手を合わせその技を受けた事で、手から胸、胴体までも細かく振動している事に気づかせてもらいました。
 
身体全体が細かく振動しているって事はそれだけ柔軟性がでるんです。
それまで、怖い、って固まってしまっていた状況でも「動ける」んです。
気持ちを身体が引っ張ってくれているんです。
 
 
 
強い気持ちを持ちたいって未来を描いた時にはその理由が見つからなくってダメだったけど、身体の方が変わってきたら自分への見方も変わっている。それが武術的成長かな。
 
 
そうそう、身体が震えている、って感覚を自覚して見ると、いろんな場面で身体が動いていた事に気づかされます。
昨日のテレビで見た、鉄拳のパラパラマンガ、イチロー選手が応援してくれた女性に対しての感謝の仕方、車の中で聞いた歌もそう。人から聞く話もそうです。身体が感動していた瞬間はきっと、山ほどあるはず。
 
ただ、同時に、身体が締め付けられる苦しさもあるみたい。
自分がどちらの体の状況をキャッチするかでその瞬間の気持ちは違ってきます。
身体はいつも、教えてくれていたみたい。
自分がそれに気づいていない、そういうことかな。
 
やっぱり、自分との対話です。
そして、身体を通しての対話が武術です。
人を倒すためだけの武術ではなく、自分を知るために武術を伝えていきたいと改めて思った一日でした。
 
 
 
おっと、技の話、感覚の話ができませんでした。
また、丁寧に技、感覚の話も更新しますね。
いつも、ありがとうございます。

【稽古日誌】言葉にしない稽古

久しぶりに甲野先生の道場に伺い、たくさんのサプライズをもらって、なんだか時間がいつもとは違う流れに感じてしまう。
年末の慌しさともちょっと違うかな?
 
 
 
思い出しながら言葉に残して見ても、なかなかその全てを文に出来るかと言えば、そうじゃない。
むしろ、言葉に出来ない事の方がはるかにおおい。
そして、間違いも・・・。
 
武術の稽古もまさに、それ!
 
 
 
しかし、ついつい、僕らは言葉に惑わされてしまう。
甲野先生はそんな自分の技の解説に絶妙な「たとえ」を用いて話されるけど、先生自身も著書の中で、たとえの怖さについてはちゃんと注意されているからなぁ。
人は、皆、自分の経験、感覚から考えてしまうんです。
 
 
 
甲野先生との稽古は昔から、言葉は要らない稽古だったんです。私にとっては。
技を受けたときの言葉にならないあの、感覚(笑)
むしろ、簡単に言葉になるものは意外と役に立ちません。
あぁ、これは、受け取った自分が言葉に出来てしまったもの、という意味ね。
複雑で、奥行きのある技だったとしても、受け取る側が単純に今の技の秘密はこれ!って決めちゃうと、技が小さくなるんです。
 
 
 
頭は間違えるけど、身体は間違えない、って私は思っています。
身体はちゃんと、受け取ったものを処理しようとしてくれます。
その身体に任せていく、というのが稽古なんじゃないかな?
 
すいません、ホントはもっと、詳しく、細かく書きたいんですが、時間が・・・