稽古日誌

【稽古日誌】肌の感覚

12月28日の稽古納めの日に発見した「肌の動きたい方向へと導く」動き方が、稽古をするたびにどんどん、その効果の高さが恐ろしいほどに(笑)
 
ただ、その恐ろしさが感じられる反面、もう、僕ら現代人はこの「肌」のレベルで生活を成り立たせているんだ、という事。
気づかなかったけど、普段の生活の中で自然とカラダのレベルを上げてきているんだと思っています。
 
 
 
自分の生活の中で当たり前に行っていること、感じていることを考えて見ると、肌、皮膚を操作する事を頭で納得して動く事もできるかも・・・。
 
 
 
頭で分かるって事はとっても大切。
特に、私にとっては(笑)
 
世の中には頭で分からない事も簡単に受け入れられる人もいるし、武道、スポーツ、芸術の世界で活躍している人の多くは自分が「なぜ」それができるのかを分かっている人はほとんどいません。
 
同じように練習を重ねていって、なぜ、自分だけが技術を身につけ、上達できたのか・・・。
多くの人はそこを「才能」の一言で片つけちゃうんだけど、あれがいけません(笑)
 
 
 
古武術の稽古は自分の感覚を言葉にする稽古。
言葉にするというのは自分の動きが分かっていなければいけないんです。
今、気づいてしまった肌の秘密。
肌はこれまで、当たり前に自分を包み込んでくれていました。
そして、これからも肌は包み込み続けるはず。
自分がすでに、こんなにも多機能な肌を持っていたにもかかわらず、そこに頼ることなく、ずっと、筋肉や骨格に任せて動いていたわけです。
 
もちろん、骨格や筋肉も働くんです。
でも、そこを大切にしすぎることで、その先にある「肌、皮膚」の事を考えられなくなってしまいます。
考えない事で、なにも害がなければかまわないけど、そうじゃないんです!
 
 
 
現代はすでに、「肌、皮膚」の感性を当たり前に使いこなしている時代なんですから。
肌に生まれる力は自分のカラダが求めている事のようです。
頭でどれだけ、要らないと思っても、皮膚が求めてしまった時に筋肉で抵抗するにはとても大変。いや、きっと、不可能です。
 
 
ふと、思い立って綱引きの実験をしました。
帯を持って、引き合います。ただ、普通に。
普通に引けば、当然、お互いの筋力で争う事になります。筋力の大きい方が勝ちますよね。
でも、この時、帯を持っている相手の手のひらの皮膚をこちらへと引き寄せるように引いてみるんです。
相手にとっては、自分の手のひらの皮だけが裏切って、自分から、離れていくようにします。
 
この時、相手の中ではものすごい葛藤が生まれています。
しっかりと引き寄せたい筋肉。
それなのに、帯を持っている手のひらは帯に引かれていってしまうんです。
結果として、ものすごくあっけなく、帯を引かれ、負けてしまいます。
 
どんなに頭でいろんな事が分かっていても、こうした「経験」がなければ、なかなか本心から信じることって出来ません。
逆に、自分の中で疑いが残っていたとしても、こうした「経験」でそれまで大切にしていたものを手放す事ができるようになります。
 
 
 
武術を通しても学ぶべきものはまさに、ここです。
自分の持っている観念、先入観をいかに手放し、納得して毎日を生きていくか、です。
現代ってものすごく親切なんです。
自分の持っている観念に合わない事を何とかしてくれる仕組みっていっぱいあります。
しかも、それが社会が持っている集合的な観念と合っていれば余計に助けてくれます。
でも、そこに縛られ続けると窮屈になりすぎてしまう時もあります。
 
 
私が武術で得てきた事は「自由」です。
何かがあるから自由になれたわけではありません。
このカラダがあり、自分がココにいるというのは、もう、それだけで、十分、自由さを実感できるんだ、という事。
 
ちなみに私が考える自由って二つ。
「いつでも、どんな時にでも動くことのできる自由」と、「どんな攻撃、ストレスを加えられても平気でそこにい続けられる自由」です。
共に、それをカラダを通して感じられるのが武術です。
今、その研究、稽古の最先端が「皮膚、肌」という事。
もしかしたらこの先、肌の先にある空気のような世界にもなにか気づきがうまれるかもしれません。でも、その空気はきっと、カラダで実感として感じられる空気です。
 
おそらく、多くの人が自分の周りの空気感って感じられると思うんです。
気功やヨガなんかをやっている人なら余計に。
その自分が感じている事をね、素直に認めて体に落とし込んでみたら、すぐに、ものすごい効果を発揮すると思います。
 
そうそう、女性であれば、その日のお化粧ののりとか、違うんですよね、きっと。
肌の感じってのを男である私よりも間違いなく敏感にわかっているはず。
この肌が気持ちよくい続けられる選択をすることが一番なんだ、ってのが今の術理の根幹です。 
 
たった、2週間なのに、これまでの積み上げてきたものをひょいっと乗り越えてしまうほど、皮膚の力ってすごいです。
ご自分の肌の事をすこし、考えてみると、楽しいですよ。
 
 
 
久しぶりにまた、小冊子を作りました。
講座の際にお渡しできると思いますし、このブログにもすこしずつ、転載していきます。
では、また。

大人の武道塾稽古始め〜

今日から大人の武道塾も新年のスタートですね。
深夜の稽古にもかかわらず、熱心な人たちが集まってくれて、この稽古のおかげで、どれだけ技が進んだのかわかりません!
 
 
 
さて、今日の稽古予定ですが、なんといっても、皮膚の操作で相手を崩す、という事です。
スポーツ、武道の世界では筋肉や骨格は注目されやすいですけど、それらを全部、捨ててしまおう、なんて過激な理論かもしれません(笑)
 
でも、僕らのこのカラダはこんなにも不思議なのか!と言うことを感じるのには最適な術理だと思います。
 
そういえば、肌は第三の脳とも言われているそうです。
良い稽古しましょうね!
 
 
 
少人数ですから、遠慮なく、なんでも聞ける場所です。武術やスポーツの経験も全く関係ありません。むしろ、なにも無い方がいいかも(笑)
興味のある方はこちらへ。

相手の気持ちと自分の気持ち、その境にあるのは皮膚

今週、道院長を勤めている少林寺拳法の道場でも鏡開きの儀式を行い、これでいよいよ、新しい年が完全にスタートしました。
 
3歳から始めた少林寺拳法。
当然、なぜ修行するのかなんて意味なんかわかりません(笑)。ただ、気がついたら道場にいました。
 
少林寺拳法は身を守るための技もたくさん身につけて負けない強さを養うものですが、それ以上に、自分とはなんだろう?って事を考えさせてくれる武道です。
しかし、その意味を考えるようになるまで、ずいぶんと時間がかかりました。大学生の頃、ようやく、考え始めたぐらいですもん(笑)
でも、それでいいと思っています。無理に、頭でっかちになっても逆にその教えに苦しめられてしまいますからね。
私にとって必要だったのは「経験」だったのかな、と思っています。
 
 
 
少林寺拳法では、鏡開きなどでは「儀式」を行います。
厳かな雰囲気の中、今年一年、どう歩んでいくのかを道院長、そして門人の代表が決意をあらわします。
その後、おいしいぜんざいを頂くのが流れですが、その儀式が子供にとってはもう、退屈で(笑)
 
近隣の先生、またはお世話になっている方々などを来賓としてお迎えしていますから、当然、祝辞を頂きます。
もちろん、今でこそ、わざわざお越しいただいた、というのがわかりますが、当時、小学生、中学生の頃は、話が長いし、寒いし、正座で足はしびれるなど、早く終われ終われと念じてました(笑)
 
 
 
当時、無駄のように思えた儀式も、大人になって自分の中を反省して見ると、あれは「経験」なんだとわかります。
なぜ、あの儀式が必要だったのだろう・・・と、考えるきっかけになりますから。
 
考えるというのは、なにもないところからは生まれないものです。
自分の中の経験だけが手がかりになるんです。
当時、めんどくさい、と思っていた儀式。それが今、自分が話をする側になって見ると、こんなにもみんなに伝えたい事があるのか、と驚きます。
話を短く、早くおいしいぜんざいを食べさせてあげたいと思う反面、伝えたい事も山ほどあって、そこで板ばさみになっています(笑)
きっと、子供の頃の来賓の先生たちもそんな気持ちだったんだろうなぁ・・・って。
 
少林寺拳法の道場を引き継いで10年。
これまでも、それに気づくチャンスもあったはず。
ただ、こうして言葉にする機会がなかったのか、ふと、思った事がものすごく新鮮な気持ちにさせてくれました。 
小学生の頃思っていたイヤだった事が、今、年月を経て、大切な事だったとガラリと変わってしまったのです。まぁ、気づくのに30年ほど、かかってしまいましたが(笑)
 
 
 
よく、私は過去は変わる、という事をいいます。
そして、未来はかわらないって。
 
自分自身、気がつかないところで自分の過去を嫌っていたんだなぁ、と確かめました。
子供の頃、聞きたくも無い面倒な話を聞いた、なんて事は別に、今の自分の生活の中でトラウマにもなっていない事です。
話が長いし、寒かった、というのはそのままでも自分がこの先幸せに生きていくうえでそんなに関係がなさそうな気がします。
 
でも、そういう小さな事が積み重なって、つい、自分中心でものごとに当たってしまっていたかもしれません。
ものごとに当たるというのは、そこに必ず、観念が生まれます。
自分に起こる全ての事が幸せで必要と思えることなら幸せですよね。
でも、実際に、いろんなことに心揺らされ、これで良いのか、つい、迷ってしまいます。
そんな時、見方を変えていくんです。
今の自分では分からない事も、立場を変えてみたらわかる事があるんです。
それを改めて感じたのが、今年の鏡開きだった、というわけです。
 
 
 
でも、これは武術の中では常にやっていること、知っていたことです。
武術は常に、一番の危機を身体を通して経験させてくれるわけです。
頭ではもう、なにもできない、という状況の中でどう生き延びるか、と求めた時に、助けになるのは、自分自身の身体なんだ、という事を教えてくれています。
 
そして、ここからが今、一番気になっているところですが、その自分の身体は同時に、相手の身体でもある、という事なんです。自分が気持ちよく動く事はもちろんですが、その場を乗り切るためには相手が気持ちよく動く、というのも重要な方法の一つなんですね。
 
相手の気持ちよさを考えた時、自分と相手の間にあった壁がすぅ~っと、消えかかっている感覚が生まれつつあります。もちろん、まだ武術の場面でだけですけど・・・。
 
 
 
すこし、書いておきますね。
ずっと、丹田や骨格、筋肉を意識して自分の身体を作ってきました。
より速く、より強くなろう、と考えた時に、どうしても骨や筋肉、丹田が有効に見えちゃったんです。
でも、この時、相手との間にはとてつもない壁があるんです。
それが「皮膚」です。
 
いくら、こちらが筋肉、骨、丹田を生かして向かっていっても、相手の皮膚のセンサーに止められてしまうわけです。
この皮膚のセンサーってのがものすごいんです。特になにも稽古、修行していなくてもです。
 
皮膚の事を意識しないままであれば、きっと、いつまでも相手との一体感を共有する事って出来なかったんじゃないかなぁ、と思います。
今、皮膚の事が分かってきて、わずか2週間の間にこれまでの考えをガラリと変えさせてくれる事ばかりです。ちょうど、年も変わりましたが、それ以上に、自分が見ている景色がドンドン変わっていて、不思議です(笑)
 
 
皮膚って外の世界と接しているまさに、そのものです。
相手と触れているのは、この皮膚です。
その皮膚が気持ちよく動けば、相手にとっても気持ちが良いはず。
 
そんな事をまず、武術の世界で感じられると、これは自分の頭がどんなに否定しようと、自分の身体で感じてしまった事ですからね。もう、ゆるぎない、確信になります。
確信を「先に」与えてくれる事が武術の良いところでしょうし、勉強して知識はついたんだけど、行き詰っている人(今、多いと思うんですけど・・・)にとっても、明るい希望になるものだと思います。
これまで見てこなかった自分の体を再確認するだけですからね、楽しいですよ。勉強とは真逆で。
 
 
もちろん、ここからいかに生活の中で武術で得た確信を生かしていくか、なんですが、特に何かをしなくても、時間は過ぎ、日々、色々な事が私たちの周りには起こってきます。
その一つ一つの事を当たり前だと思わない事はもちろん、自分にとって嫌な事に思えるものも、見方を学ぶチャンスと思い、自分を掘り下げていこうと思っています。
 
 
 
全てに感謝する、そんな事、口ではいくらでもいえます。
しかし、それを口にした時、自分が一番、それが出来ているかどうか分かっているはず。
自分の中にわずかでも嘘があるとき、それは身体や心に出てきます。そのギャップも身体があるから気づく事ができるのかな。
そして、そのギャップが解消できた時の楽しさって、たまりません。
価値観が壊れる経験が毎月のように体験できるんですから・・・。
 
 
 
このブログも、さっと、今感じている事を一言、二言で伝えられればいいんですが、やっぱり、ダメですね。
自分にとってうれしい事、楽しいこと、それを伝えようとすると、もう、止まらなくなりますもん。
また、感じた事、考えた事を勝手に記させてもらいますので、よろしくお願いします。
いつも、支えてもらっているのを感じています。ありがとうございます。

2013年初、甲野先生の稽古

昨日は2013年初の甲野先生の講習会。
1/6、忙しい時期にもかかわらず、集まっていただき、甲野先生をお呼びする事ができました。ありがとうございます。
 
また、先生からも浜松の雰囲気をほめていただき、一応の世話人として、うれしい限りです。
 
 
 
どこからお話をすればいいのかな?
技の話、術の話、伝えたいことは山ほどあります。
また、今回、先生が1時間ほど早く到着されたので、お年玉気分でたくさんの技を自主練習していた方々には体験していただきました。
その時間があったので、いつも以上に先生には「生きる」という事を語ってもらう事が出来ました。
 
 
 
武術は心身一如の世界です。
いや、武術に限らず、あらゆるところで、心と体は一つである、と語られています。
しかし、実際に見えない心、迷いやすい心をコントロールするのに身体に任せている人を甲野先生以外に見たことがありません。
 
そこが、長年の疑問だったんですが、昨日、そのきっかけとなる事を聞くことができました。
運命は完璧に決まっていた自由。その「確信」があったからこその武道だったんです。
 
 
 
おそらく、武道を稽古している多くの人が頭でそれを止めて、追い求める事をやめています。時間はかかりましたが、生活の中で自分の身体に任せて生き方を決めていくことこそ、武道のあり方だと考えるようになりました。
 
その理由はどんなに考えても不安は大きくなるばかりだし、答えを頭で先にしったとしても、イザ、その答えを実行する時、自分の中に迷いが生まれてくるんです。
そんなビクビクした状況で自分を取り戻すために有効だったのが、身体自体を変えることです。
姿勢を変える、呼吸を変える、意識を変えるといっていいかもしれません。
一つ一つの技、術はいろんな武道、身体操法の世界で残されているものであり、それぞれ上手に使っている人もいます。
でも、なぜか、その「技」が心身一如とつながっていないんです。
 
 
 
目の前の刀、コブシ、感情あらわにしている敵を前にした時に生まれる負の感情を身体はコントロールできるんです。
その安心感をぜひ、たくさんの人に知って、感じてもらいたいと思います。
 
 
 
知識としての言葉はもう、限りなくあります。
悩みをとるための生き方、教えは2000年以上まえから世界中で伝えられていますし。
でも、ちゃんと、経験として、つまり、身体でそこに感じられるものとして受け止めるにはそこに動ける身体を持っている事が必要です。
ぜひぜひ、思いついたら、体験してください。
すぐに役に立つものではないかもしれません。
むしろ、そういうものじゃない見方をした方がオススメです(笑)
 
それでも、この先、長い人生の中で、ふとした瞬間でてくる、自分ってなんだろう?っていう疑問にこの身体は答えてくれるんです。
ぜひ、ご自身の身体にこれまでとは違う感覚を入れておいてあげてください。
 
 
 
私の講座は東海地方、各地で行っています。
文化センターもありますし、じっくり一日やれる稽古もあります。
ちょうど、甲野先生もこの月末、名古屋へと来られます。
ぜひ、本物を体験したい人はお申込ください。
女性の方も多いし、武道、武術に縁のない方も多いです。
みんな身体を持っていますよね。それだけで、参加の資格はありますよ(笑)
号令もなにもない、ただ、そこにある身体を感じるための時間です。
興味がある方はご参加ください。
詳しくは下記のサイトから。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
 
今、2013年1月3日です。
昨年は年末に向かうにつれ、色々と大きな発見、出来事があり、動きを感じれられる一年となりました。
当時の日に振った易では「雷火豊」どうも動きが盛んになる時のようです。
おぉ、そういえば厄年も合わさってました(笑)
 
 
 
まぁ、「厄」年も飛「躍」の年だと考えれば楽しくなりますし、そもそも、武術は自分の身におかれた状況で使えるものはなんでも使う、という事ですし、そこに「波」「動き」があれば、次につなげられるんですから、得意な状況と言えるかもしれません(笑)
 
考えて見ると、自分の周りに荒波の立たない平和な時には武術は表舞台には出てきません。
なんの波も無い時に動く事が武術的には一番大変なんです。
ただ、平和だからといって、イザと言う時に動けなくてはいけませんからね。そのための訓練、心構えを今日まで作ってきたと言うことでしょう(笑)
 
 
 
さて、それにしても、お正月の短くなった事!
元旦からお店が営業しているという事もあるんでしょう。
テレビもにぎやかに笑いやドラマを見せてくれています。
ツイッターやフェイスブックを見ていると、むしろ、このお正月の方が気分も上がり、にぎやかだったりします。
 
1月1日に熱田神宮にお参りに行きましたが、もう、それで今年の正月は終わり!って気分になりました(笑)
 
 
 
あらためて今の自分はなにを感じて、考えているんだろう?と時間を作って見ると、自分という人間はつくづく欲張りな人間なんだといたりました。
人間には欲がいっぱいありますが、あれもほしい、これもほしいではないんです。
目に見えるもの、形がわかりやすいもの、例えば、お金、名声、良好な人間関係、健康、そういうものが欲しいだけではなく、もっと、もっと、人間って何だろう、生きるって何だろう、宇宙ってなんだ~!ってもう、よくわからないものが身体で実感がしたくってたまらないんだ、って事が分かりました(笑)
 
一生で使い切れないほどのお金が手に入っても満足できない、なんてこんな欲深い事ってありますか(笑)
 
 
 
武術を通して分かるのは、いま、足らない、と思っていた自分が、大丈夫だった、という安心感です。
きっと、今年、また気づくたくさんの事で、なんだ、心配する事なんてなんにもなかったじゃないか、という事だと思います。
新しく、この身体になにかが付き、パワーアップする事はありません。
むしろ、一枚一枚はがれるようにして、自分のままでよかった・・・って分かるんでしょう。
 
また、たくさんの事を伝えさせていただきます。
いつも、ちゃんと、聞いてくれる人がいるから、幸せな自分でいられるんだ、と改めて思いました。
ありがとうございます。
 
2013年、今年も良い年にしていきましょうね。