稽古日誌

久しぶりの更新です。会葬のお礼と今後の決意。

ひさしぶりの更新です。
 
実は、10日ほど前、父が突然亡くなりました。
特に悪いところも無く元気に道場で指導をしていたのですが、本当に、突然、いなくなってしまいました。
 
慌しく過ぎたこの10日間ですが、改めて、父が自分を支えてくれていたのを感じています。
 
 
 
父は少林寺拳法に人生をかけていたような人でした。
子供の頃、仕事をしながら少林寺拳法の道場を3つ掛け持ち、家に帰ってくるのはいつも夜遅く、父親というのは家にいないものなんだ、と私は育ったんです。
そんな家庭だったからでしょうか、特に父となにか話をする事もなく、ずっと過ごしてきましたが、気がつけば、私も父の後を追い、少林寺拳法の指導者という道を進むことになったんです。
 
 
 
父が少林寺拳法を好きだったからこそ、私も少林寺拳法の道、武の道に入る事が出来ました。
そして、その武の道の先に甲野善紀先生という一生の師にめぐり合う事が出来ました。
甲野先生に出会い、自分のカラダというものを初めて認識する事ができ、その奥深さに驚くと同時に、人間のすごさ、誰しもが幸せに生きることができるのだ、という確信を得る事が出来ました。
 
甲野先生に出会う前の私は頭でっかちの知識だけを武器になんとか、自分の存在を守っていこう、という小さな人間だったんです。
自分という存在を頭だけでしか考えられなかったんですね。
 
 
 
それが、武術の稽古を通して、この私のカラダが常に、たくさんの感覚を得ている事に気づく事ができるようになりました。
このブログでもたくさんのカラダの使い方、夢のような技ができるようになった、と報告させてもらっていますが、なにかが出来る、なにかが分かる、というのはおまけみたいなものだったんだ、と今、改めて感じています。
 
 
 
父を送る葬儀の間、これまで感じた事の無い感覚、感情がカラダを駆け巡りました。
その一つ一つを自分がしっかりと受け止めながら、過ごす事が出来たんです。
変な言い方ですが、最後に父が自分にたくさんの経験を残してくれたんだな、と感じました。
 
 
 
頭で考えれば、考えもしなかったタイミングで父がなくなったわけですから、悲しい気持ちは当然あります。
しかし同時に、これまで父が自分を支え、守っていてくれた事、応援してくれた事をようやく感謝できたんです。
決して悲しいだけの出来事ではありませんでした。
 
 
 
たくさんの方からお見舞いのお気持ち、お心を頂き、私はもちろんですが、父も喜んでいる気がします。見栄っ張りで、弱いところを見せるのが嫌いな人でしたから、もしかしたら、理想的な終わりかただったのかもしれません。
父に代わりまして、感謝いたします。
 
 
 
 
それにしても、本当に、武術の道を進んできてよかったなぁ、と思いました。
自分の気持ちが分かる、という事がこれほどまでに安心できるものだとは思いませんでした。
しかし、そもそも、甲野先生はご自身が武の道に入る動機を人間の運命は完璧に決まっていて自由だ、という確信をカラダで得るために始めた方です。
納得、という言葉は簡単に使いがちな言葉ですが、今回の経験を通して、改めて、身体の感覚を自分のものと自覚することが大切だとわかりました。
 
甲野先生そして、少林寺拳法から学んできた人の心と体の知識と感覚が今の時代において、幸せを感じるために無くてはならないものだという事は分かっていました。
ただ、自分自身、それを感じる事が出来、確信する事ができても、どう伝えれば、それを次へ渡していけるようになるのかわからないんです。
それでも、自分が信じたものを伝え続けるしかないんでしょうね。縁がある人には伝わるんだ、と信じて、これからも稽古を続けていこうと思っています。
 
今後とも、どうぞ、よろしくお願いします。
 

大人の武道塾は真逆の学び場です。

長引いた風邪も収まり、すっかりカラダがリセットされたように軽やかです。
ご心配も頂きましたが、おかげさまで風邪をひく以前よりもカラダの事がよく分かるようになりました。ありがとうございます。
 
  
 
それにしても、今回の風邪は本当に不思議な感じです。
なにもしていないにも関わらず、膝も曲がらないほど痛み出しましたし。
その膝も左から始まった痛みが1週間ほどで収まったかと思えば、一日を開けて今度は右に出てきました。
ちゃんとカラダは交互に守っているんですね。
 
 
 
その膝ですが、痛みの元になった原因がなんとなくわかったんです。
今回の膝痛はなにも原因となる「行動」がなかったんです。思い出せる限りを思い返しても、ダメ、思いつきません。
それが、今朝ウトウトしながら布団の中で寝返りをうってわかりました(笑)。
 
寝返りをうち、カラダを横にしたとき、上にある脚の膝に脚の重さがズシッとかかって負担になっていることに気づきました。
そのまま逆へと寝返りをしてみると、やはり、おなじように負担がかかっていました。
 
 
 
この二ヶ月ほど、皮膚へと興味が移り、どうすれば筋肉に頼らず動けるかを無意識のレベルで探っていたのかもしれません。
これまで自然とこの膝が壊れないように筋肉が守っていたのかもしれません。
熾きている間では肌に意識を向けることで、筋肉に頼らず動くことができていたのでしょう。
ただ、寝ている間となると、どうしても、肌に任すと言うよりも、筋肉に力を入れて守るしかないのでしょう。
その無意識に守ってくれていた膝の筋肉が抜け始めたのかもしれません。
結果、寝ている間に脚の重さが膝に集まり、痛みを生み出したのではないかと・・・・。
まぁ、どこにもこんな証拠があるわけでもないのですが、自分自身の中でこれ以上無いほど納得できる力の移動があったわけです。
納得すれば、どんな痛みがでても、大丈夫。怖くないですから。
 
 
 
 
今、私は「大人の武道塾」という練習会を始めています。
名古屋、大垣、浜松と各地でカラダの不思議さを楽しんでくれればと願っています。
その大人の武道塾ですが、目的がないんです。
イヤ、無いと言うよりも、うまく言葉にならない、といった方が良いかもしれません。
 
 
でも、今回カラダを少し壊したことで、改めて、このカラダを感じながら生きることの大切さをしりました。
 
 
 
きっと、甲野先生に出会う前の私であれば、風邪を引き苦しくなれば、誰かとってくれないかと探し、膝が動かなくなれば、誰か治して元の通りに動かしてくれる人はいないか、と探したはずです。
実際に探す行動はしなくても、心の中ではその風邪や膝からくる痛み苦しみから逃れたい、と弱気に支配されてしまっていたはずです。
 
 
 
でも、違うんだなぁ、って改めて感じました。
今回は膝も風邪もじっくり、自分を観察してその経過を見ていることが出来ました。
そしてその観察が出来たおかげで、自分のカラダをいかに動かせばいいのか、という事にも気づくことができ、具体的にも刀の形を活かす事で通常では考えられない速さを出すことが出来ることを知りました。
 
 
大人の武道塾って、自分の身に起こること全てを糧に、人生を楽しく生きるために使ってもらいたくって始めたものだった、と少し言葉になったんです。
 
 
 
もともと、この大人の武道塾で行っている稽古の「仕方」は私が甲野先生に教わったときの形そのままです。
それはまさに通常の練習、講座、セミナーとは真逆の方法でした。
普通、練習や稽古、講座、セミナーはなにかを手に入れるために行いますし、参加者もそれを求めてやってきます。
しかし、そのお互いの同意の中で受け渡されるモノは本当の意味で自分のモノとは違っているはずです。
ある場面にだけ有効な安易なものかもしれないんです。
 
 
 
武術以外のものであれば、そういった「出来る」感覚ってのを楽しむこともありでしょう。楽しさを求めて行っているのですから。
しかし、武術は自分にとって不都合におもえる瞬間をどう、大切にできるかを変えるものです。
自分の中で納得がなければ、アタマでそれが必要なんだと念じたとしても、カラダやココロは絶対についてはきません。
 
 
 
生きるって事は自分自身にとって、誰かに変わってもらう事の出来ない大切なものです。
その生き方を楽にしてくれる方法はあっても、それが自分の人生に有効かはやってみなくてはわかりません。
ぶつかり、躓いたときに何度も立ち上がれるだけの気持ちを持っていればいずれ、納得のいく生き方にたどり着くでしょう。
しかし、誰かに楽にしてもらおうと思いつつ、探し求めてしまうと、いつか、立ち上がれなくなってしまいます。
自分自身の中にあきらめを作り出してしまえば、そこから抜け出すのは簡単ではありませんから。
 
 
 
甲野先生に教わったのは全ての梯子をはずすような練習方法でした。
カリキュラムもなければ、やらなければいけないこともありません。
なにも守るモノがないどころか、常に今の自分を観察し、捨てていくことを求められたような気がします。
 
 
 
気がします・・・、というのは、その学び方すら、言葉にして強制された事は一度も無いからです(笑)。
甲野先生はひたすらご自身の技をより働きのあるモノへと進化をさせ続けていました。
そして、時にはそれまで言われたこととは真逆だったとしても、そこに遠慮は全くないんです。
短気な人であれば教わっていたことが間違っていた、となれば怒りがこみ上げてくる人もいるはずです。
まぁ、実際に稽古にこなくなる人もいるわけですから、きっと、この練習法を嫌っている人もいるはずです。
 
 
 
面白いのはそうした状況にも甲野先生は気にせず、ひたすら自分自身のカラダだけを見続けていたという事です。
甲野先生を追いかけるのに、なにも正しいことがないんですよ(笑)。
いったい、なにを手がかりにすればいいんでしょうか!
 
 
 
でも、その「なにもなくなる」という感覚が自分のカラダに意識を持たせてくれるんだと思っています。
甲野先生にお会いする前の私は誰かの残した言葉、知識、秘伝を追い求めていました。
きっと、触れただけで人が飛ぶ秘伝があるんだ、と(笑)。
しかし、そんな秘伝はありません。
いや、たくさんの人がそのコツを残してくれているんでしょうが、結局それを行うのは私たちのカラダであり、ココロですから。
 
 
 
自分のカラダを信じられなくてはなにを行ってもうまく行くはずがありません。
もちろん、たまたまうまく行くことはあるかもしれません。でも、それでは生きていく上での不安が取れないですから。
 
 
甲野先生に出会い、学び、稽古を続けてきたことで、自分自身をカラダの方から信じることができるようになりました。
運動音痴、不器用、なにをしてもうまくいけなかったこの自分が今、こうして幸せをいっぱい感じながら生きていることが、夢のようです。
 
 
 
そしてその理由はまさに、甲野先生が教えてくれた稽古を続けてくることができたからです。
今、大人の武道塾でやりたいことはまさに、その「稽古の場」の提供です。
私は私のペースで、どんどん、自分のカラダを掘り下げていきます。
そして、こんな事が出来るようになったよ、とカラダの新しい使い方を共有しようとは思いますが、押しつけようとは全く考えていません。
そして、そこへの参加もとにかく、興味の向くまま、義務感を全く感じないままの稽古ができれば、と思っています。
ですから、自己紹介もなし、会員登録もなし、取得すべき基本も基礎もなにもなしです(笑)。
相手に気を使って、かかっていない技にあわせるなんてもっての他です(笑)。
  
 
 
でも、普通の道場でそれを行えば間違いなく居場所を失います。だって、先生、先輩のメンツが立たないですもん。
でも、なにも無いからこそ、自分の意志でなんでもできるんです。
稽古を続けていくと、これならできるはずだ、と考えそれを試させてくれる相手が必要だってわかるんです。安易に受けをとって、機嫌をあわせてくる人ばかりでは研究は進みませんから。
 
 
 
 
すこし話が脱線しましたが、そこに集う人が全員、自分自身がどう生きるのかを考えているからこそ、しっかりとした抵抗も出来、また、そこから新たな発見ができるのです。
その場で見つけた発見、感覚はまさに、自分から出たもの。教わった知識があるかもしれませんが、それは「種」です。自分のカラダを通してその種を育てたからこそ、芽が出て、自分のモノとすることができたんです。
 
 
 
とにかく、うまく言葉にできれば、一人一人が自分で良かった、と生きていけるようになるんだろうなぁ、と願いつつ、今日も、こうしてだらだらと言葉にしています。
ちょっとだけでも伝わってくれる人がいて、甲野先生からもらった恩をつなげていければ、と思っています。
 
 
 
自分のカラダは自分が考える以上にすごいものです。ぜひ、ぜひ、自分の可能性を信じて上げてください。お願いします。
遅くなりましたが、3月の稽古の予定も決まりました。
これまで自分が見てこなかった隠れていた自分をみる事ができますよ。
ぜひ、ご参加ください。
 
 
 
3月14日 大垣 17時から
3月20日 浜松 18時から
3月23日 名古屋 11時から
3月30日 浜松 17時から
毎週金曜日 名古屋 21時から
全て、途中参加、途中退席自由です。
詳しくはホームページでご確認ください。

【稽古日誌】風邪の効用、プチ幽体離脱

今日は少し、変な話です。
プチ幽体離脱の話です。
 
そもそも幽体離脱ってなんだ、ってなりますが、まぁ、この身体が気にならなくなるって考えています。
普通、相手と戦っている時、この身体はとっても緊張します。
何かをしようと考えるからかも知れませんし、怖いからかも知れません。
とにかく、身体の事が気になってしまうんです。
 
 
 
頭の中で気にしないようにしよう、と思っても、忘れられないんです。
つい、身体には力が入ってしまうんです。
 
この時、自分の身体の「どこ」を動かそうかと考えてしまいがちです。でも、「どこ」と考えた時点で身体がバラバラになってしまうんです。
身体をパーツで考えてしまうと、どうしても、意識のしているところと、意識のしづらいところがでてしまうんですね。
きっと、意識のしづらいところがブレーキになってしまうんだと思うんです。
そのブレーキを出さないようにしようと思っても、また別のところが意識が薄くなってしまって・・・。
きっと、人間って二つ以上のものを同時に見るって苦手なんです。
 
 
 
でもね、皮膚って一枚じゃないですか?
この「ひとつ」というのが良いんです。
自分の皮膚の感覚を広げていくと、だんだんとその皮膚から生まれる勢いが加速していく感じがします。
 
 
 
今回はちょうど、腰の裏から背中にかけての大きな部分と指先までの皮膚がつながった感じがしたんです。
そのつなげたままの感触で動いていた時、この身体にあった感覚から、身体の外へと意識が飛んだんです。
自分の身体なのに、飛び道具みたいな感じでした。
 
 
 
もしかしたら、しっかりと助走をして飛び出していくような陸上競技ではそういう浮いている感覚って普通かもしれません。
でも、武術で助走をつける事ってできないです。
今、ここに、この場所にいながら、指先にまで勢いをつけることができ、外へと少し、飛び出す事ができた。
この「できた」という経験はとっても大切な事です。
 
 
 
自分の身体が飛び道具になるって考えた事もないですから。
技に落として見ると、タイミングがこれまでのものとはガラリと変わりそうです。
 
 
 
 
今日はここまで、今、感じているままを書かせてもらいました。
また、検証して、書きます~。
 
ありがとうございました。

【稽古日誌】風邪の効用

この1週間、稽古以外は寝て過ごすという夢のような生活を続けてきましたが、ようやく、風邪も逃げて行ったらしく、ブログを更新したい、という欲が出てきてくれました。また、よろしくお願いします。
 
 
 
それにしても、1週間とは、ここ数年無かった引きずり方。しかも、原因不明で膝が曲がらなくなるというケガも同時にやってくるし。病気をする奴はケガをしない、ケガをする奴は病気をしない、という持論が吹き飛んで行ってしまいました(笑)。
また、新たに、研究しなおします。
 
 
 
ところで、この風邪と膝痛のおかげで大きな発見が一つ、いや、二つ。
一つは甲野先生がよく言われる、竹刀よりも真剣の方が速く動く、という事が、分かった事。
そして、もう一つは肌の感覚を増していくと、身体の外へと意識を飛ばせるようになる、という事。
 
 
 
ちょっと、説明しておきます。
ただ、いつもの事ですが、甲野先生が言われている原理とはきっと、違うはずです。大切にしているのは、そういう事、今回で言えば竹刀よりも刀の方が速い、という事ですが、それが可能だ、という事を身をもって体験する、という事です。
 
通常考えて見ると、刀よりも竹刀の方が軽いので、速く動かせるような気がします。
ただ、私は刀に関しては素人。甲野先生の剣を見よう見まねで時々、一人で木剣を振るぐらいです。
そして、その振り方は安易に手先に任せずに、身体全体を一つにして振るものですから、軽い竹刀を手にしても、それが速い、という感覚ってありませんでした。
 
それが、先日、この剣にも皮膚になる部分ってあるんだよな、って考えたんです。
もちろんその皮膚になる部分と言うのは外側の部分です。
普段、その皮膚を働かせて扱おうとはせずに、剣を掴んで扱っていた事に気づきました。
 
当然、掴まずに、剣を持てば思うようには触れません。もう、落とさないようにするのが精一杯。
でも、この時、右手の小指で刃筋側のラインを下へと引きずると剣が落ちていくんです。
掴まなくても、触れるようにするだけで刀が動く、というのは大発見です。
そして、次の瞬間、今度は左手の親指で峰側のラインを引きずると切っ先がそれに呼応してそれまでとは逆に飛びます。
 
この速さがこれまで出せなかった速さなんです。
通常の握りで剣を動かすようにすると、どうしても、剣を腕、もしくは身体で操作しなくてはいけません。
身体ではなく、指先が動くだけで刀が動かせるようになれば、速さが違ってきて当然です。
 
 
 
 
うまく説明が出来なくてすいません。
ただ、お伝えしたいのは素人のままでも、重いものが軽いものよりも速く動かせる、という事がありうるのだ、と知って欲しいのです。
その速さは長年の修練の賜物だと、つい、考えてしまいがちです。事実、甲野先生の見えない剣の速さを見たとき、そう思いましたもん(笑)。
でも、技は技です。シンプルな動きについては、身体の使い方が分かっているかどうかがカギになるんだ、と改めて勉強になりました。
 
 
 
これはもう一つ、こんな技でも同じような事が言えます。
マンガの世界では触れた瞬間、相手の身体が勢い良く飛んでいきます。でも、なかなかその「触れた瞬間」相手の身体が動くだなんて想像も付きません。
なぜなら、そこに経験がないですから。
 
 
もっともっと、しっかり稽古をしなくちゃそんな世界には入れないんだ、と思っていました。
でも、違うんです。これも、本当に認識が一つ違うだけで飛んでいくんですよね。
こんな感じで人が飛んでいきます。
 
 
 
 
 
 
 
この時のポイントは全然難しくありません。
ただ、「皮膚」をずらして動かすだけです。
逆にもっと、複雑な秘訣があるんだ、と思っている人がいっぱいいるはずです。
でも、違うんです。ただ、相手の皮膚を考え、皮膚を動かしてあげる事を考え触れただけで、相手の体は動くんです。
 
 
もちろん、ここから更に効率よく相手を投げたり、崩したりする事は工夫をしていけばいいんです。そしてそれらが積み重なって技になっていくんだと思います。
ただ、その前段階で自分を、相手をどう考えるかがずれていくと、何十年稽古をしてもたどり着く事はありません。
 
 
飛ばされる感覚も味わいたかったので、武道経験の全く無い女性に試してもらいました。
ちゃんと、自分の身体がふわっと浮かされ、飛ばされるんです(笑)。
マンガの世界ですよね・・・。
 
Stobashi1
 
 
Stobashi2
 
 
もう一つの身体の外へと意識を飛ばす感覚はまた、明日にでも更新します。
こっちも楽しいです。
プチ幽体離脱ですから(笑)
 
 
【大人の武道塾】
名古屋 2/27(水)14:00~
毎週金曜 21:00~
 
jun@karadalab.com  メールでも結構です。
 
個人稽古も受付中です。
 
 
グループ指導、古武術講座、出張稽古会のお問い合わせもどうぞ。
 

【大人の武道塾】生きるということに真剣に向き合いたい人へ

もともとカラダラボの稽古には名前がありませんでした。
定例稽古会、なんて言ってましたし(笑)
あと、点々とストレス対策、強気対策、腰痛対策の講座なんかをやってましたけど、どうも、しっくりこないんです。
 
 
 
その理由はやはり、私の稽古の原点である甲野善紀先生の稽古にあります。
初めて甲野先生の道場、松聲館にうかがった時、そのなにもなさに驚き、また、魅力を感じました。
なにもない、というのは通常「練習」として当たり前だと思っている事、すべてです。
準備運動も無ければ、初心者向けの解説もなし、また、開始時間も様々で、みんな自分の都合で道場を離れていっていました。
初めて会ったにもかかわらず、自己紹介もありません。
 
 
みんな、その場所、その時間、その瞬間に真剣に自分と向き合いたい、自分の稽古がしたいという強烈な興味を持った人たちだけが集まっていたのです。
松聲館には段位制度はありませんでした。
何回か通えば資格を取れるわけでもありません。
形として残るものはなにもないんです。
 
 
 
 
ただ、自分の身体にはそれまで感じた事の無い感覚が確かに残るんです。
松聲館以外の練習、講習会、セミナーでは形あるものが渡されます。
それは参加章かもしれませんし、具体的な技かもしれません。目的を持った講座であれば、なおさらです。
でも、私が衝撃をうけたあの道場の稽古には形あるものはなにも無かったんです。
 
 
 
そして、今、自分の身体が確かに変わってきたのを感じて見ると、あの形のない稽古こそがなにより必要なものではないだろうか・・・と思っています。
 
大人の武道塾はそんな稽古の場を提供したい、と思いはじめました。
稽古であればどこでもできるでしょう。
具体的な技であれば確かな技を持つ先生に聞いたら良いんです。
でも、それだけでは自分がどう自分と向き合うのか、という事を学べません。
 
 
 
技は盗め、と古い先生は言いますけど、私たちは子供の頃から勉強の仕方をしっかりとした義務教育の中で学びますよね。
その勉強の仕方に限界があるんじゃないかなぁ、と思うんです。
あるレベルまでの知識をいれるにはいいのかもしれません。
でも、人間ってなんだ、っていう答えのない問題に真剣に向き合おうとした時には義務教育の中での勉強の仕方は役に立ちません。
 
 
 
大人の武道塾はいつもやることが違います。
それは主催者である私の興味がいつも違うから(笑)
そして、そのどんどん捨てていくという稽古法は紛れも無く、甲野先生から学んだものです。
 
技術は少林寺拳法や友人たちから色々と学びました。
しかし、学び方は甲野先生からのみの純粋培養だと思っています。
最近、甲野先生が私の動きをほめてくれる時がありますが、その動きに導いてくれたのはまさに、甲野先生が言われた自分の中にある興味にしたがって、研究をしていく、という事そのものだったのです。
 
 
 
大人の武道塾ではお菓子を食べ、お茶を飲み、わいわいとしゃべりながら稽古をしています。
一見すると、武術の稽古には見えないかもしれません。
しかし、そこに集ってくれている人はみんな自分に真剣に向き合い、生きるという事への答えを自分の中から出そうとしている人たちです。
 
私はその時、分かっている事を伝えますが、なにより大切なのは真剣に生きようと考えている人たちの中で一緒に過ごすことです。 
 
 
 
なんとなく、この現代で生きるという事を真剣に考えようとすると、茶化されたりする傾向があります。
あの地震で少し流れは変わりましたが、まだ、経済優先、物質的なものを求めてしまいます。
見えないですからね、精神的な豊かさというのは・・・。その気持ちもわかります。
 
 
それでも、自分が真剣に生きるという事と向き合いたい、って人もいるはずです。
そう思っている方がいるのならば、全力でサポートをして、私が知っていること全てを伝えさせてもらおう、と思っています。
カラダラボの講座には秘伝として隠しているものはなにもありません。
その日初めて参加をしたとしても、ずっと稽古をしている人と同じように向き合ってもらえば良いんです。
なぜ、そんな事ができるのか、と言えば、身体そのものを材料にして研究をしているからです。
 
トレーニングをして鍛えた体が必要なわけではないんです。
ただ、自分の認識、見方が変わるだけで考えもしなかった力や速さがでてくる事にぜひ、驚いて下さい。
もしかしたらそれまでの練習が無駄になった・・・と愕然としてしまうかもしれません。
それでも、その新しい動きをしている自分もまぎれも無い自分です。
今が一番動く自分であり続けるためにやれる事がたくさんあるんです。
 
やるかやらないか、それを決められるのが自分です。
真剣に向き合いたいって人、お待ちしています。

【大人の武道塾】
大 垣 2/19(火)17:00~
浜 松 2/20(水)18:00~
浜 松 2/24(日)14:00~
名古屋 2/23(土)13:00~
毎週金曜 21:00~
 
jun@karadalab.com  メールでも結構です。
 
個人稽古も受付中です。
 
 
グループ指導、古武術講座、出張稽古会のお問い合わせもどうぞ。