稽古日誌

【稽古日誌】自分のために出来る事をしよう

二月は逃げると言いますが、本当に早いです(笑)。
個人的にも誕生月であり、いろいろと思いが巡る時期です。
 
さて、私もいよいよ40代に入りました。
甲野先生に出会ったのが22歳の頃ですから、もう、18年、という事になります。
当時から先生は「今が一番動く」と言われていましたが、還暦を過ぎて、なお、「今が一番動く」というのを口だけではなく、実際に目からも肌を通しても見せてもらえる事がすごいですね。
 
また、ご自身でもよく言われ、前回の講習会でも見せていただきましたが、あの真剣が竹刀よりも速く飛ぶ、というのは剣の道を追求されている方にとっては衝撃的な事実なはずです。
 
 
 
この時代、なにかをしようとすれば、必ず便利な道具や機械があります。
なにかをしようと思ってみれば、それを実現するためにたくさんの方法があり、実現の条件はかなりハードルが下がっていますよね。
つまり、なにかをしようと本気で考えれば、叶ってしまうすごい時代に私たちは暮らしているのです。
 
 
 
それでも、なぜか、私たちの心は満たされません。
その原因の一つはやはり、身体でしょう。
どんなに自分の周りの環境が変わっていっても、この身体が若返っていく事はないからです。
遠い昔にはきっと、この身体を年老いて死ぬまでの間にどんどん研ぎ澄ませ、喜びと共に暮らしていた人たちがいたはずです。
そして、その先人たちはたくさんの教えを残してくれています。
でも、いつの間にか、その教えが頭だけに留まる事になってしまい、自分の身体がどんどん軽やかに動いていくようになる、って事を信じることが出来なくなっているように思えます。
 
 
 
 
甲野先生の周りにはたくさんの専門家の方が集まります。
武術、スポーツの方はもちろん、ヨガを始めとする様々な健康法の方々も。
でも、きっと、その方たちの世界にはもう、「教え」はあるはずなんですよね。
それでいて、なお、甲野先生を求めるのは、自分の中に信じたいものがあっても、生まれてきてしまう疑いをどうにかしたいから、では無いでしょうか。
 
 
 
甲野先生に学んだ身体の見方。
それは「誰の中にも」ものすごい可能性が秘められている、それを実感、経験させてもらえるものです。
そして、その経験はいったん得てしまえば、一生の宝物になるものです。
なにかが大切なわけではないんです。
自分の身体の見方こそ、ぜひ、掴んでいってもらいたいものです。
 
 
そのために必要なのが、稽古の「場」です。
初めて甲野先生の道場にお邪魔した時、その「なにもなさ」に驚きました(笑)
準備運動も無ければ、事前に勉強する事もなし、覚えるべき型もなければ、終わりの時間さえ決まっていないんです。
ただ、そのなにもないところに身をおいて見ると、自然と「自分」に目が向かうんです。
それまで当たり前で考える事もなかった「自分」という存在に「身体」を通して向き合って見ると、もう、これが宝の山に見えてきたんです。
 
そして、甲野先生は私たちが見つけたことに対して、否定もなにもしません。
そのほったらかされ加減も良かったんだと思います(笑)。
 
 
 
今、カラダラボで提供したいものはその稽古の場だと思っています。
それぞれ、自分に向き合おうと心に決めた人たちが集える場所です。
もちろん、初めての方には隠すことなく、全部、お渡しします。
そうそう、当時、甲野先生は初心者専門のような方でした(笑)。常連の方々は先生をほったらかしにして、勝手に稽古していましたから。本当に不思議な場だったなぁ・・・・。
 
 
 
大人の武道塾でも、文化センターでも気持ちは同じです。
誰かのためではなく、自分のために稽古をしてもらえれば、と願っています。
自分のこの身体を良くしてくれるのはものすごいトレーニングの機械でも、すばらしい理論でも、飲んですぐに効く薬でもありません。
ただ、自分がこの身体を信じてみよう、と思った人にだけ与えられる楽しさです。
そこには才能も環境もなんの条件も要りません。
自分の身体がよく動くものだった、と気づくだけでいいんです。
 
自分の見方、認識一つでそれまで出来なかった事が出来るようになってしまう。
そんな経験をぜひ、してください。
諦める、って事がいかに難しい事なのかがわかりますから(笑)。
 
 
 
すいません、ついつい、話が長くなってしまいました。
最近、いつも、こんな調子です(笑)。
それでも、甲野先生に頂いた恩を次に伝えていく事しかお返しできる術をしりませんので、これからもどんどん、オススメしていきたいと思っています。
自分の主(アルジ)は自分です。自分のために出来る事をぜひ、やり始めてみてください。
 
ありがとうございました。
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【稽古日誌】オブリゲーション、モチベーション、インスピレーション

3週目の金曜日、午前中が栄中日文化センター、午後から名鉄熱田の森文化センター、夕方から少林寺拳法、そして、午後9時から大人の武道塾と、稽古尽くしの幸せな日。
 
 
先週の浜松中日文化センター、そして静岡の保険鍼灸マッサージ師会での講座は少し風邪気味で、体に力が入らないままこなしました。1週間、ゆっくりと体の変化を見ながら過ごすと、やっぱり体は自己治癒していくんだなぁ、と感心します。
 
先週末、ちょうど風邪が熱にまで来ていた時、体の中に力を作り出せないほど、ふらふらっとしたんです。
ただ、それでも、技が切れるんですね、いつもより(笑)
もしかしたら風邪のおかげで筋肉がうまく使えず、力が抜けた事が良いのかも・・・。
 
なんて事を考えながら講師として講座に立ったわけですが、その「講師」という役割を得ている時には風邪のつらさを全く感じないんです。
それどころか、今研究中の肌に自分を任せる動き方の相性がいいのか、動きも良いし、気分も乗ってきて良い感じなんです。
 
 
 
ふと、こんな事を考えました。
まったくの思いつきですから、信じないで下さい(笑)。
 
 
幸せに生きていくための本を何冊も出しているベストセラー作家である本田健さんによると、人は動くための原動力として「オブリゲーション(義務感)」「モチベーション」「インスピレーション」を使っているとの事。
そして、9割ぐらいのほとんどの方が「義務感」で生きているんだそうです。
義務感ってのは、会社員だから、主婦だから、フリーターだから・・・なんて、役割に従って不本意ながら、仕方なく暮らしている、って聞こえます。
そして、幸せになるためには義務感でいきるのではなく、モチベーションやインスピレーションを得られるように、大好きな事をして生きていこう!なんて言われてました。
 
今、大好きな事を仕事にしてしまった身からすると、この意見には大賛成です。
ただ、ふと、役割、義務感を持って仕事をしていたら幸せになれないのか、って言えば、そうじゃないかも・・・って思ったんです。
 
 
 
今、研究しているのは自分の意識を皮膚に持っていき、この皮膚に従って動いてみようと言う事。
この皮膚である自分がどういう自分かと先ほどのオブリゲーション、モチベーション、インスピレーションに当てはめて見ると、義務感、役割のオブリゲーションではないか、と思ったんです。
多くの人がそれで動いている義務感。それを受け止めているのが肌なのかも・・・。
 
実際にこの肌に起こっている事を感じて見ると、相手からの攻撃に対して、なにかをしよう、という思いは無くなります。
ただただ、相手と触れ合ったその皮膚を動きやすいほうへ流し、付いていくだけですから。
ここに、自分の意思は入ってきません。
相手の動き、こちらの動き、それらがピタッと合ったとき、自然と決まる流れがあるんです。
 
 
 
この時の自分は相手にとって一番の相手になれるようにと役割をもらった自分です。
これまで蓄積してきたたくさんの技、知識がありますから、攻撃された瞬間、いろいろとやりたい事が頭の中に浮かんできます。
でも、それをしてはいけないのです。
ぐっと、出てくる「我欲」を消すように、ただただ、肌に任せて動くんです。
すると、不思議と相手も気持ちよく動き、「結果として」崩れていくんですよね。
 
必要なものが「結果」だとすると、自分であれこれ考えるのではなく、その瞬間、この体(肌)に任せて見ることが、一番いいという事を経験してしまったのです。
頭の中では本当にそうなのかなぁ、という疑いは相変わらずあります(笑)。
でも、その疑いが出て来れないほどの結果が目の前にはあるんです。
 
武術の面白いところはまさにココ。
頭でっかちになりすぎ、自分の中で信じるものを見失ってしまった時に、ちゃんと体で一番よさそうな事を経験させてくれるんです。
 
こんな経験のおかげで私は自分の皮膚、肌がしていることに気づかされ、その肌に任せていく事が有効なんだ、と教えられました。
 
この時の肌に当たるものが役割、自分に課せられた義務感と同じなんですよね。
 
 
 
 
与えられた役割は人それぞれ。
会社員かもしれないし、主婦かもしれません。
たまたま仕事がなくなり、無職になっているかもしれません。
でも、それら全てはその時の自分に一番必要な状態かもしれないんです。
 
いや、この時の役割が何であれ、その役割自体を嫌ってしまってはダメではないか、そう思っています。
自分には人生を力強く生きてやる!という強いモチベーションも天から降ってくるインスピレーションもない、そんな時でも、今、そこに自分がいる、という役割は与えられています。
その役を得ている瞬間、一番必要な事を私たちの一番外側である皮膚はちゃんとこなしているんですよね。
 
 
 
心の中では今、この瞬間の役割を受け入れられない自分がいるかもしれません。
でも、それは皮膚とケンカをしようとしている「我欲」かもしれないんです。
 
自分って簡単に口にしますけど、実は私と言う自分は結構たくさんあるものです。
武術を通して、この体がある、という事を感じてみれば、意識がどこにあるかで、同じ事を経験していたとしても、全然ちがう感情が生まれてくる事がわかります。
 
 
 
 
私ってこういう奴、ってはっきりと分かってれば簡単ですよね。
でも、なんなかこの私、というのが決まらないんです。
その私が決まらなければ、どういう自分になりたいか、それも決まってきません。
自分がどうなれば、幸せで生きている喜びを感じられるのか、それがわからないままでは歳を重ねていくのが怖くなるのが当たり前かもしれません。
 
 
 
甲野先生から教えていただいたこの稽古法は常に、今が一番動く自分を教えてくれるものです。
そこに運動神経のような才能はまったく関係ありません。
むしろ、私は運動オンチだった人に体のすごさ、不思議さを伝えるのが得意です(笑)。
 
オリンピックで金メダルを取るような人、プロの世界で一番を取れるような人も、必ず歳をとります。
若い頃のような動きが出来なくなって元気がなくなる人もたくさんいますよね。
でも、違うんです。
 
見方を一つ変えれば今、この瞬間が生まれてきて一番軽やかに動ける、という事を感じられるんです。
 
それはこの先、歳を重ねていってもきっとどんどん、体が動いていくんだろうなぁ、って感じさせてくれます。
 
 
 
物質的には恵まれ、欲しいものがなくなった時代とも言われます。
でも、それに反比例するように、精神的な豊かさはどんどん減っているような気がしませんか?
本当に簡単なんです。ただ、体を見ていけば、見方を変えていけば、自分の中にすごい体が隠れていた、って事が分かります。
ぜひ、ちょっと、思い切って試してみてください。
10年後の自分、20年後の自分、30年後の自分のために・・・。

今月の講座の予定です。

 
【大人の武道塾】
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【稽古日誌】五感を再確認

オリンピック種目の入れ替え問題が話題になっている。
特にレスリングがその候補に挙がった事で、まさか、と思った人が多いみたい。
 
その理由も明確でない事から、日本外し、イスラム外し、ヨーロッパが強くない、など、いろいろみたい。
オリンピックと言えばレスリング、と決め込み、ロビー活動をしてこなかったから、なんて事を言われたりして。
まぁ、その真相は分からないし、正しい真相なんてあるはずがない。どんな理由であっても、不満は出てくるだろうし、言い分も分かる点もあるはず。
 
 
 
個人的にスポーツにそれほど興味がないので、どこにも応援する気持ちもないのだけど、今日一つ面白い事を聞いた。
オリンピック種目であり続けるには人気がなくてはいけないのだそうだ。
そのためのチェックにはユーチューブやフェイスブックなどの人気も加味されるとの事。
一時期の商業主義から少し現実路線へと舵をきっている様で、その流れで種目数を削減し始めているらしい。
 
そして現会長であるロゲ氏はお医者さんだとの事。
医者だからでしょうか、彼の中に現在の若者たちのスポーツ離れを問題視しているんだそうです。
どこの国もおんなじなんですね。体を使って、汗をかくスポーツよりも、ゲームやネットのような頭を使う遊びの方へと若者たちは向かっているようです。
 
 
 
 
私もそうでしたが、体を使い遊ぶよりも、コンピューターの中を動き回る方がダイナミックで楽しい、って思っていた時期がありました。
ちょうどファミコンが出てきた時代でしたので、すっかり虜になりましたもん。
どんどんゲームが進化して、ゲームは子供だけのものではなくなり、大人をも虜にし始めました。
ゲームばかりしていてはよくない、と分かっていても、つい、触ってしまっている人が増えています。
 
 
 
でも、これも仕方ないかもしれません。
だって、体を動かして得る感覚に私たちは鈍くなってしまったから。
頭の中をぐるぐる廻した方がワクワクしちゃうようになっている人の方が増えています。
 
 
 
 
私はたまたま、甲野先生という人に出会いました。
実際に触れてその不思議な感触を実際に感じられた事が古武術の世界にのめりこむ大きなきっかけでしたが、もう一つ理由はありました。
 
その理由はそれまでの運動、スポーツへのイメージもガラリと変えてくれたんです。
普通スポーツは体を動かすところから始めます。
でも、甲野先生から学んだ動きは「動かない」んです。
手順を覚えるのではなく、その手が触れた瞬間の感触を逃がさないようにして、じぃ~っと意識を集中するんです。
動くどころか、動かないように意識をし続ける事を始めました。
 
人間には五感がありますよね。
その五感があるから今、私たちは現実を感じられています。
でも、その五感の事をこんなにも知らなかったのか・・・と愕然としました。
 
 
 
私たちは主に視覚から情報を得ているって言いますけど、普段余り意識していない触覚から勉強し始めたのも良かったのかもしれません。
慣れていない分だけ、ほんのわずかな実験があたらしい刺激をくれるんです。相手と触れた時にはそこに圧力が生まれます。
その圧力は嫌な人との間では衝突と言われ、好きな人との間では結びつきです。
 
実は、この嫌なものと対した時の衝突が自由自在に変えられるんです。
古武術はその衝突を変えることができる、ってわかったことで、古武術の可能性がぐっと広がりました。
 
特に苦手なものばかりでしたからね、私は。
その嫌なものとの関係が稽古を続けられたら変えられるかもしれない。それが大きなモチベーションになりました。
 
 
 
最初の一歩は小さな一歩でした。
でも、その一歩がちゃんと出せたことで、気がつくと、今、こんなにも幸せで楽しく暮らしていけるようになったんですもん。
 
その理由が触覚を始めとした感覚の再認識でした。
再認識が簡単にできる事こそ、古武術のすごさかもしれません。
ただ体を動かすのではなく、体が動く事をしっかりと感じる事ができるんです。
 
 
 
 
古武術の楽しさは人それぞれ。
ぜひ、ご自身の感覚と出会ってください。

今月の講座の予定です。

 
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【稽古日誌】人の動力源になるものは外か内か

日曜日、静岡保険鍼灸マッサージ師会さんからの依頼で古武術介護の講座がありました。
普段の文化センターは継続講座、大人の武道塾も気が向いたときにいつでも、脚を運べる場所。でも、こうした「会」からの依頼はその日、その瞬間の出会いの講座。
ついつい、力が入りすぎてしまうんだなぁ。
  
 
きっと、その影響なんだと思うんですが、数日前から風邪が入ってきた感じで力が入りにくいカラダになっていました。
ただ、おかげで、体に力が入らなくても、皮膚や骨でなら動くことができるのを発見、なんでも、ヒントになるものです(笑)。
 
 
 
その緊張感を持って臨んだ師会の講座も、参加者の熱意もあって、あっという間の二時間、お顔を見てると楽しんではもらえたと思います。
ただ、いつものように、体感を通して伝える事が人数の関係でなかなか出来なくって、その点は今でも、どうかなぁ、と思ってます。100名ぐらい参加されていましたから。
 
 
 
帰ってきて、無意識の緊張があったんですね、今、体の節々が筋肉痛で(笑)
最初、なんで痛いのか分からなかったんですが、あぁ、これは筋肉痛だ、と(笑)
 
特に、力を入れて行った事は無かったんですけど、気持ちが自然と、筋肉に力を入れてしまっていたようです。
 
 
 
皮膚に気がつき、「疲」れるという文字の凄さに気がつきました。ほら、「皮」に「やまいだれ」なんですよ!
子ども達の動きは全く固いところがなく、いつも、自然を連想させる動きです。その自然さの元になっているのが皮膚なんだ、と考えついたところに、「疲」という字の発見でしたからね。
なるほど、彼らの元気の秘訣はここにあったか、と。
 
 
子ども達が肌なら、僕ら大人たちは筋肉なんです。だからこそ、翌日、翌々日になって、体がぎしぎしと痛むんだろうなぁと。
 
そんな事に気がついてからは、それまで以上に筋肉に負担をかけず、任せないようにと意識をして、動いていましたが、ココロに生まれる気負いのような緊張はなかなか、抜けないようです(笑)
しっかりと、ひさしぶりの筋肉痛を今、楽しんでいます。
 
 
 
筋肉は年齢と共に衰えていきます。
特に、この便利な現代では、日常生活だけで筋力が増えていくことはありえません。
テレビのCM、健康番組を見ていると、老化に対してはまず、筋力強化をと言われてますが、あれは、どうかなぁ、と思うようになりましたもん(笑)
 
もちろん、そこに科学的な根拠は全くありません。
それでも、肌で動くこと、肌が気持ちよく動いているときの快適さを知ったことで、筋力トレーニング一辺倒ではココロ軽やかな老い方は出来ない、と確信しています。
 
 
 
風邪のおかげで、少し力の入れにくい状況を感じることが出来て思うのは、筋力がなくても動くことが出来る、ということ。
そして、筋肉は「頑張る」という気持ちを生み出してくれるものなのだ、と。
 
昔、栄養の取れなかった時代の人間には満足な筋肉、脂肪は無かったはず。それでも、今よりも厳しい環境で生活し、仕事量も多かったりします。
そのエネルギーを支えていたのは何だろう?という疑問に一つ、閃きました。
 
きっと、彼らは頑張ることなく、ただ、必要に応じて、動いていたんだ、と。
 
テオヤンセンという方が作られた風で動く構造体を見たことがありますか?
風という外からの力を受け、巧妙にデザインされた骨格を動かすんです。その動きはまさに生き物のよう。
 
ついつい、「動く」と考えると、そこにエンジンやモーターなどの動力源が必要と考えちゃいます。風や水の流れであれば凧や浮舟ぐらいですよね。複雑な動きをするには、動力源を装備しなくては、と考えちゃいます。
 
 
外からの力、つまり、必然性という力を体が受け、骨を動かして、生活していたのかもしれない、なぁんて。
 
 
 
 
そしてもう一つ。
筋肉の少なかった昔の人にも、皮膚はありました。
そしてその皮膚は周りの空気を敏感にもらっていたのかもしれません。
 
憑依、という言葉を聞いた事はありますか?
取り憑かれてしまった人は時として物凄い仕事量をこなします。そして、たいてい、その間の記憶はありません。
 
憑依というと、怖い感じがしますけど、現代においては仕事、役割と同じかもしれません。
世の中のサラリーマンは強いです!とっても。
多少の熱があっても、胃に穴があこうとも、大雪だろうが台風だろうが、それこそ、地震がきた後でも、会社員という役割をしっかりと、こなしていますよね。
 
その役割があるからこそ、一個人では出来ないこともやりきれてしまうこともたくさんあるはずです。
 
 
 
 
困ったことに出会ったとき、ついつい、頑張っちゃいますよね。
瞬間的には力がでるんです。
でも、持続が難しいんです。ほんと、車と同じ、強い力は出ても、エネルギーを補充し続けないといけないんです。
 
困ったときこそ、頑張りに任せず、自分にとって必要なんだと感じること、また、その真逆の自分の役割なんだと受け入れ、身を任すことが乗り切るための方法かもしれないなぁ、と。
 
 
 
そういえば、蒸気機関が発明されてから、機関車になるまでずいぶんと時間がかかったそうです。現代人にとって当たり前の事でも、誰にもまだ見つかっていないことには気づかれにくい、という例です。
 
自分のエネルギーで自分自身の車を回す、というそんな「当たり前」な事になぜ気がつかなかったのか。
もしかしたら、昔の人には「頑張る」という発想がなかったのかも(笑)
冗談みたいな話ですが、すべての事は、自分という体を通して生まれてくるものです。
 
力を入れて動くのではなく、必然性にまかせて、また、役割に身をまかしていた人達の中からは自分の力で自分の車を動かす発想が出て来なかった可能性もあるかもしれませんよ(笑)
 
 
 
途中から変な方向へと話がずれました(笑)
まぁ、いつもの事ですが。
 
自分の事をたくさん知ってみれば、どんどんこの自分で良かった、と気づけます。
自分のことが好きになれば、たいていの事には負けなくなっていきます。
 
実は、私は自分の事が大嫌いでした。なにも出来ませんでしたからね。
でも、なにも出来なかったからこそ、古武術を通して、いろんな事ができるんだ、と気づき、楽しむ事が出来ました。
時間をかければ、だれでもすごい自分を感じ、見つけることができます。
自分のことが大嫌いだった人間が大好きになるための方法を伝える、というのも変な話ですね(笑)
 
 
時間さえあわせてもらえればどこにでも伺いますし、来ていただいてもかまいません。
不思議で楽しい経験を伝えさせてください。

【稽古日誌】今という時代だからこそ、古武術、少林寺拳法。

少林寺拳法を始めて40年近く。甲野先生に出会い、古武術を学び20年近く。いやいや、気がつけば、すごい時間が流れてしまったものです。
 
時々言われるのは、それだけの長い稽古をしたからこそ、出来ることがあるんじゃないですか?という事です。
 
まぁ、確かに「何々技!」のような手順を学ばなくてはいけないモノに関してはそうかもしれません。ピアノやコンピューターのようなものは扱うのに知識がいりますから。
 
でも、カラダラボの稽古では、その手順をそれほど重視していません。ただ前に手を出せるかどうか、抑えられている状態から動けるかどうか?ある意味、結果重視で稽古します。
 
 
 
結果重視というと、なんだか乱暴な稽古に感じるかもしれません。
私も甲野先生に出会う前、勝てばいいんだよ、という人に出会うと、そこに嫌悪感を感じて仕方ありませんでした。
しかし、古武術の稽古における結果というものは、まるっきり違っていました。
なにより、ルール自体がそれぞれ、お互いの暗黙の了解の上に出来ていて、その上で、なにが出来るかを追求していくものだったんです。
 
 
 
例えば、抑えられた手を上げる、とします。
力の強い人であれば、力の弱い人に抑えられても気にせず、上げることが出来るはずです。
でも、そこに、「いなし」や「ナイフ」が入ってくると状況は一変します。
それまで平気だった自分が一気に、困った自分に変わりますから。
 
この時、ナイフは使っちゃいけないよ、交わしたらいけないよ、というルールがあるとすると、どうしても、そこに甘えてしまうんです。
とは言え、抑える方にしても、ナイフを持ってきたら俺は強い!とはいえません。
なぜなら、相手が「より強い武器」を持ってきた瞬間、なにも出来なくなるからです。
 
 
 
自然と、古武術の稽古はシンプルさを求めていくように、人間の動きの根元を探していくようになるんではないか、と思うんです。
そして、この「知らずのうちに人間の根元を求めさせる」事が、少林寺拳法を修行していた自分にぴったりだったんです。
 
 
 
あまり知られてませんが、少林寺拳法は宗教法人でもあります。良くある宗教と違うのは死んでからの自分のタメにあるのではなく、生きている間に生きるとはなにかを追求する宗教です。
 
もともと、終戦直後の荒れた日本と自信をなくした人たちを助けたい、と願い、強くて優しい人づくりをしよう、と一人で立ち上げられたのが少林寺拳法です。
以来、延べで140万もの人が少林寺拳法の門をくぐりました。たった一人、5畳半の道場から始めたものが認められ、大きくなったんです。
 
その教えは自己確立と自他共楽。まず自分を認め、強くなり、その上で人を助けて、楽しくて幸せな世の中を作ろう、というものです。
 
 
 
ただ、高校生の自分にとって、その教えは矛盾でした。
自分を確立する。強いと認める。
…とはいえ、今、ここにいる自分はスポーツも出来ない、勉強しても成績の上がらない自分です。しかも、芸術的センスもなければ、あがり症で人前ではなせなくって。
そんな自分を確立するだなんて…無理!と思っていました。
 
また、強いものが弱いものを助けて豊かな世界を作る、と言われても当時の日本はバブルの絶頂。
もちろん、なにがバブルなのかもわからないままでしたが、明らかに子供の頃から学んできた理想とは違うんじゃないのか、と違うんです。
 
気がつくと、本音と建て前という大人の世界に少しずつ入ってしまっていたんだと思います。
 
こんな思いも「今思えば」ですから、当時は、一生懸命に考える事すらしませんでした。
ただ、やはり、ココロの奥に突き刺さっていたんでしょう。
子供の頃に感じてしまった矛盾を今、こうして、身体を通して、解決していけるのを感じると、幸せだなぁ、と思いますもん。
 
 
 
少林寺拳法は教えのある武道です。
まぁ、おそらく武道であればどこにでもその教えのようなモノはあるでしょうが、近年の競技武道をみていると、ドンドン建て前化しています。
個人的に信頼のできる師匠をえればそこから学ぶ事も出来るでしょうが、まず、その師匠に出会えるか、というと、現代ではなかなか、難しいかもしれません。
 
でも、少林寺拳法は教えがしっかりと、確立しています。
迷ったとき、自分の中に疑いが生まれたとき、気がつくと、少林寺の中で学んできた自己確立と自他共楽の教えが頭にあります。
そして、その教えが揺らいでしまったとき、迷いになることが分かりました。
 
自分の信じる心を試されるのが宗教です。
信じるところから始めるわけですから。
でも、その根本が崩れそうなとき、多くの人は武器を持ちません。
古武術による人間の根元への追求の仕方と出会ったことで、自分を信じるための武器を得たと思っています。
 
 
 
おそらく、人は信じたいモノを信じられる存在です。
だからこそ、お互いの信じているものがぶつかるんです。
そして、そのぶつかった所からちょっと、上に上がる、それが成長なんだと思います。
 
これだけの情報社会です。
ふと目にするモノ、耳にするモノがありますよね。そして、その中でちょっと、いいなぁ、と思うものがあるはずです。
ただ、いくら、それを自分がいい、と思っても、信じきれない自分に負けちゃったりするんです。
その時、自分が良いと思ったものを信じる力が少林寺拳法で求める自己確立です。
当然、もっと良いモノがあれば、今までのものを捨て、新しいものに向かえばいいんです。それが進歩ですから。
 
 
 
今、興味の中心は肌です。
ある人は幸せになりたいのであれば、肌に艶をだしておくだけでいい、と言い切ります。
とはいえ、そんな、まさか…と思うじゃないですか。
でも、肌に張りを持たせていると、自然とカラダ全体に張りが広がっていきます。
なぜなら、肌は一枚、全部、つながっているからです。
気がついていないだけで、私たちの肌はものすごく、情報のやりとりをし、それに対して、変化をしています。
筋肉や骨、内臓は体の中にあり、護られています。なにに守られているのかといえば、まさに、この肌。
この肌がまず、外からの刺激に対して、対応してくれているんです。
自分がこの自分の肌を信頼しておけば、もう、悩む必要も恐れる必要もないのに、つい、体の奥の方にまで、恐れをだしてしまうんです。
 
 
 
こんな事、どこにも書いてないし、学んだことではありません。
ただ、自分の体の事、つまり今なら肌ですね、それが少し、わかってきたことで、自分の中でどんな事が行われているのかが、分かってきたんです。
こういう感覚を確信、っていうのかもしれません。
誰にも分からなくても、自分の中に出てくる確かなものがあるんです。
そして、その確かなモノがあるとき、心は、それをより所にでき、安心できます。
 
自らをより所にする、というのも少林寺拳法の教えです。
なにかに頼れれば頼ればいいんです。
数十年前の日本では、それが経済だったのかもしれません。
ただ、多くの人が、今の時代、経済だけに頼っても幸せになれないぞ、って気づいてしまいました。
 
 
 
神田昌典さんという方が歴史は70年周期で繰り返す、と言われてました。
70年前は世界大戦、その70年前は明治維新です。
今、ちょうど、大変革の時期なのかもしれません。
物質的には、恵まれています。そして、情報的にも。
ただ、これだけ豊かになっても、心を豊かにする術を学んでいないんです。
 
今、私が行っている活動の全ては、自分のココロをいかに豊かにできるのか、という事です。
そして、そのための鍵となるのがカラダだったんです。
心身一如ってどこでもいいますよね。
でも、多くの人が観念だけで終わっています。
強烈にカラダから入っていくのが甲野先生の稽古法でした。
カラダがそれまでに感じられなかったほど軽やかに動いたとき、ココロも併せて軽やかになるんです。
 
 
 
肌の感覚に気づいて、私は寝たきりになったとしても、心に軽やかさを感じられる確信をえました。人間はいつ、どんなときにでも、かろやかで楽しくいられるんだ!って。
 
ついつい、いろんな事を考えて遠慮していたのも、今までの自分をよく、教えてくれて楽しいです(笑)。
これからは、遠慮を少しずつ外して行きます。
カラダラボの稽古、少林寺拳法への入門、お待ちしています。もちろん、少林寺拳法の再開も!
期待をまったく裏切らないのが私たちのこのカラダです。
この時代だからこそ、必要なものとも思います。
 
つい、熱くなっちゃいました。
いつもありがとうございます。
少林寺拳法のサイト
カラダラボのサイト