心と体

あけましておめでとうございます

 あけましておめでとうございます。
 
 新しい年、2009年が始まりました。
 年がかわる事でなんだか自分のココロの中にも変わるものが生まれているような気がしませんか?
 こういう時ってチャンスなんです。
 
 自分が変わりたい、と思った時に「動いて」みる。
 つまりカラダを動かすという事。
 面倒な事、不安な事、怖い事もたくさんありますが、
 ちっちゃい一歩を自分の力でやってみる事が良いように思えます。
 
 自分のカラダが「動かない」ものだと認めたとき、
 少しだけ安心感を得たんですね。
 
 弱い自分をそのまま認めたことが今につながっています。
 最初の一歩はとても不安でした。
 
 先が見えない不安。
 でもこの不安があるからこそ、楽しさもくるし、自分に向き合う事が出来ます。
 
 昨年の活動の中でたくさんの人たちと出会え、
 そのおかげで自分が考えている以上にココロとカラダが大きなものだという事が分かりました。
 誰の中にも大きなものが溢れている、
 それを実感し、楽しさを共有できる世の中になればどんなに楽しいだろう・・・。
 
 今年はもっともっと自分らしさを楽しめるような仲間を作っていきたいと思っています。
 お手伝いをお願いします。

むすんで、開いて・・・

 手のひらをじっと見ながら、
 手を開いたり閉じたりしてみてください。
 どうですか?
 
 「できますか?」
 
 不自由の無い方でこの「問い」に対して、
 できない、と答える方はいないのではないでしょうか。
 
 手を握ったり、開いたりする事は「当たり前」の事なんですね。
 でもこの「できる」と思っているところが落とし穴です。
 じっ~と見ながら開閉してみると
 親指、小指の付け根の辺りはどうですか?
 ちょっとサボっている感じがしませんか?
 
 武道、武術の世界では手をつかまれたときには
 まず「手を開け」と言われます。
 でも「どこまで」「どうやって」という事を
 研究・稽古する事って多くないです。
 皆できると思ってしまっているから。
 
 私もそうでした。
 手のひらを「全部」使って開く、
 ぐぅ~っと指先が伸びるのではなく、
 手のひらと手首の境目から押し拡げるように・・・
 
 そうすると「結果として」、
 手首に流れが生まれます。
 手首を流そうとしても難しかった事が
 手のひらを全部使って開くと流れます。
 
 お試しあれ。
 
 さて、毎月稽古会でプレゼントしている小冊子ですが、
 もし興味があって聞いていただけるのならば
 贈らせていただきます。
 自分のココロとカラダの変化を綴っているだけですが、
 感想をいただければうれしく思います。
 
 今月のテーマは「スランプのない生き方」です。
 希望される方は下記のアドレスまで
 送付先とお名前をお書きの上メールをください。
 古武術というか、身体操法について思っていること、
 求めている事、簡単に教えていただけるとうれしいです。
 
 小冊子の申し込み先アドレス
 jun@karadalab.com

「学ぶ」と「変わる」

 変化のお話をしました。
 なにかを「学ぶ」というのは今の自分が「変わる」
 という事です。
 
 でも以前は「変わる」というよりも「足す」
 という風に思っていました。
 技を覚える、コツを知りたい、
 というのもそうですね。
 
 今よりももっと楽しく、充実した時間を・・・
 と考えても今の生活をガラリと
 「変化」させた生活はなかなか思い浮かびませんでした。
 
 そういえば「事実は小説よりも奇なり」という
 言葉がありました。
 今この言葉を実感を持って感じています。
 
 自分の想像できる以上の世界にはなかなか入れません。
 子どもの頃から想像も創造も苦手でしたから。
 できないことだらけでした・・・。
 
 それでも今こうして変化を楽しんでいられるようになったのは
 どうしてなんだろう・・・、とよく考えます。
 気がついたら・・・変化を楽しめるような自分がいたんですね。
 甲野先生は「結果として・・・」という事をよく言われていました。
 あのよくわからなかった稽古法に秘密があったのかなぁ^^
 
 今、講座の中でも「わかりやすさ」を目的とはしていません。
 とにかくカラダの不思議さ、楽しさが伝わればと思っています。
 頭で考えれば不安が出てくるかと思いますが、
 その時にはどうぞ遠慮なく言葉にしてみてくださいね。
 
 カラダを観ていく稽古を通して身についたのは
 自分が変わることへの恐れが少なくなったということです。
 それでもまだまだ恐れや不安はたくさんあります。
 
 ただその不安や恐れが「ある」事が当たり前で
 消えるものではない、という事は分かりました。
 
 自分のカラダが感じている不安や恐れがあります。
 それをカラダを通して気持ちよさに変えていくことで
 ココロにも良い変化を与えてくれると思っています。
 
 先日お知らせしました甲野先生の講座も早々と
 定員の半分まで埋まりました。
 年明けには甲野先生のサイトでお知らせをして頂こうと
 思っています。
 
 定員を決めているのは甲野先生に触れて、
 その感触をカラダで感じてもらいたいからです。
 ご理解ください。

 年内の公開稽古は2回、浜松と名古屋です。
 詳しくはjun@karadalab.comまで
 

言葉であらわせない事

 身体と心は不思議です。
 一番身近な自然が身体、といわれたりしますよね。
 
 自然の大きさが見えにくくなってしまってきている現代では
 どんな言葉、頭で自然の凄さを「勉強」するよりも
 その自然の大きさ、不思議さ、凄さを感じる事が
 何より自然に対して尊敬をできることだと思います。
 
 信じられないような事を奇跡というのかもしれませんが、
 本当に信じられないような事に出会った時には
 「奇跡」という言葉で表現する事も難しい事が分かりました^^
 
 なにもないところから、手探り状態ではじめたこの仕事、
 この先まだまだやって良いんだ・・・という勇気と自信を頂きました。
 
 ありがとうございます。

生きるという大きすぎる問題

 どんな人間にも必ず「死」はやってきます。
 これまで死ななかった人間は一人もいません。
 仏教では「四苦」といって根本的な苦しみとして
 「生・老・病・死」というものがあるといいます。
 生きる事は同時に死ぬ事を考える事なのかもしれません。
 頭でどれだけ勉強、理解をしても心の安らぎは得られませんよね。

 この大きすぎる問題を考えてもいいのかなぁと、
 ちょっと迷いましたが自分の身体と心が感じた事です。
 こういう自分の心と身体に生まれた事に正直になってください、
 というのがカラダラボでは伝えたい事ですので、
 今日は少し我慢をして聞いてください。

 そもそも身体は「よく動く事」が幸せなのでしょうか、
 動かなければダメなのでしょうか?
 そう考えると、「老いる」という事はダメに向かって進んでいる事になります。
 ちょっと考えてみましょう。

 怪我や病気や老い、生きる事死ぬ事に恐れのなくなった人は多くないでしょう。
 だからこそこれだけ様々な健康グッズが次から次に流行っていきます。
 多額のお金と多くの力を費やして病気に対して新しい対抗策を考え出しています。
 アタマとカラダとココロで分けてみれば、
 それだけ強いココロの力を誰しもが持っているという事です。
 もちろんこのまま強い力に振り回されてしまえばダメです。
 そのココロの強い力を楽しく生きる力に変えて行きたいですよね。

 身体が動くにつれて見えてきたのは心の力です。
 身体の感覚を通して心の強さ、力を知りました。
 身体はおそらく老いていく中で動かなくなっていきます。
 どんな薬や運動でそれに抵抗をしてみても、いつか必ずやってきます。
 
 それに対して心はどうでしょうか?
 いくつになっても元気な人、優しい気持ち、
 楽しい気持ちにしてくれるおじいさん、おばあさんもいます。
 逆にイライラさせてくれる人もいますが(笑)

 どの方向へ向かうかは自由ですが、
 ココロを強く豊かにしていく事はできそうです。
 そのココロの強さがあれば様々な事をすることができます。
 ココロの強さをカラダで表現した稽古法が
 「内側の力、外側の力」でしたね。
 今日は詳しくは説明しませんが、興味があるならまた遠慮なく聞いてください。

 カラダは感覚を通して、ココロの形に気づかせてくれます。
 カラダが動く事は確かに楽しくいくらお金を出しても得ることのできないものですが、
 動く事でココロの力が見えてくる事も忘れてはいけません。
 自分のココロの強さ、力がそのままカラダに現れてくるといいのかな、そう感じています。

 痛みや苦しみは嫌なものですが、
 その痛みや苦しみがあるから誰しもがココロに向き合えるようになります。
 もしずっと健康だったら、何も痛みがないまま生きていくとしたら・・・
 ナマケモノの私ならきっといつまでも「自分」に向き合わず、
 なにも変えられないままでいるかと思います。
 カラダが老いる、痛みがあるからこそ、
 このままでいいのかなぁ・・・と考えるようになりましたからね。

 自分が自分自身に対して「問い」を立てたときにどう答えを出していくのか。
 自分自身で答えを探していく力こそ生きていく為に必要な力ではないでしょうか。
 
 手がかりがなければ続ける意欲がなくなります。
 カラダの感覚に気づく事が自分に向き合う手がかりになるんですね。
 残念ながらこういう「学び方」は学校では教えてくれません。
 学校で学ぶ事は知識ばかりが優先されています。
 ただ記憶するばかりの勉強は面白くありません。

 甲野先生に学んだ事はこの学び方、上達の仕方だったのかもしれません。
 そういえば甲野先生が開かれた会の名称は「武術稽古研究会」でした。
 稽古法を研究、学び方を研究する会でした。
 考えさせられます・・・。

 話があちこちに飛んでいますが、
 それだけ私の中でもまとまっていない、という事なのでしょう。
 うまく「言葉」にはできませんが「感覚」としては確かなものがあります。
 生きていく上での光になるものが自分の中にあるんだという確かな感覚。
 
 生きる事、死ぬ事には力があります。ただ生きるのではなく、
 その生きる強さ、生きたいと思う強さを感じて行きたいと思っています。
 真剣に生きている人からは迫力を感じます。
 
 どんなにカラダが動いて技となり、誰かを倒せたとしても、
 ココロに向き合っていなければ凶器と同じになってしまうでしょう。
 そういえば「刃物」にも人に感動を与える美しさを持った「刃物」もありますね。
 真剣な人が作った作品には思いが宿る・・・
 大切な人には必ず思いは伝わると信じられる自分も出てきました。
 身体の心地よさを頼りにこれからも稽古を続けていこうと思います。
 
 長々とすいませんでした。