昨日から喉が痛い・・・。
突然の寒さにやられてしまったのか、気落ちした自分を隠すためだろうか(笑)
それはわかりません。
ガラガラ声になるだなんて何年ぶりだろう^^
昨日の豊橋中日文化センターの2時間の講座の間、
どんどんと声が出なくなっていきました。
それでも伝えたい事は山ほどあります。
元気、真剣さ、そして新しく見つけた手首の流れ。
声が出ない、そのおかげで「それでも伝えたい」という気持ちを
育てる事ができました^^
気持ちはちゃんと伝わりましたでしょうか(笑)
普段声を出している時、そこに「幸せ」はありません。
当たり前だから。
だからこそ、出したい気持ち、届かせたい気持ちは普通のままです。
声が出せないからこそ、自分に問い掛ける事ができます。
「じゃあ、やめる?」って。
もちろん答えは「それでも伝えたい」です。
そこで初めて「欲求」を見つけることができます。
見つけたらそれをしっかりと育てて、伝えるだけです。
こんな気持ちになるんだなぁ・・・と
自分でも不思議です。
心と体
がんばってはいけない、でもあきらめてはいけない
がんばってはいけない、そう思うようになっています。
でも昨日5歳になる娘に「がんばる」事を教えました、
今までにないぐらいに真剣に。
がんばる事がいけないのに、なにをがんばるのか。
これまでは自分でもよく分かっていなかったみたい。
がんばらない、という言葉は僕にとっては麻薬のようなものだった気がしています。
リラックスする事が大切、がんばる事はよくない、
そこに「甘えて」、本当にしたいことを見つけられずにいたんじゃないか。
がんばる事であきらめなくてすむ、
あきらめてしまうと、全てを失ってしまう事になるのではないか、
そう思いました。
自分の内側にある、欲求。
自分が本当にしたいこと、なかなかそれはみつかりません。
自分に対して問いを続けていくと、
だんだんとやりたい気持ちが大きくなってくるのを感じます。
その気持ちを「育てていく事」が自分らしく生きる事を
感じる鍵になりそうだから。
保護者から叱られそうな指導法
元気を体感して変わったこと、
子供たちの指導が、見方が変わりました。
例えば遊んでいる子と、真面目に練習している子、
今までは遊んでいる子が、「ダメ」に思えて
注意をしたくなっていました。
結果として出ている「練習をしていない」事が
気になっていたわけです、元気よりも。
でも元気という内側の力でその様子をみると、
真面目に練習をしている子の中に、
ただ練習をしている・・・という元気の無さが見えるし、
遊んでいる子の中に叱られるのが分かっていても
遊びたい、というすごく強い元気を感じます。
評価としては正反対になってしまいました^^
元気が足らない子も意識では元気が足らない、とは
思っていないわけです。
練習をしているから、自分の行動がダメだとは思っていない。
そこを元気を認めさせて、どうしてら全力で行動ができるかを
感じさせることが大切な気がします。
遊んでいる子にはただ表面的に押さえつけて練習させても
それは逆効果です。
大切なのは自分が遊んでしまうほどの大きな力を持っている、
という事を認めさせてその力を「やりたくない」練習の中にも
使えるように方向を変えてあげることではないかなぁ・・・と。
遊んでないで勉強しなさい、
っていうのは今もたぶん「つい」使っちゃうんです。
でもそれがちょっと違うな、とは皆知っているんですよね、ホントは。
力について
力について、
またなにかよく分からなくなりました。
これまでも散々自分の中に生まれている力をどうしよう・・・と
抜いたり入れたりしてきました。
最初の手がかりになったのは力がぶつかる事で生まれる圧力が
動かす事ができる、と「分かった」事でした。
今こうして手首の中に流れが生まれているという事に気づき、
「分かってしまった」事が遠回りになってしまっていた事に驚いています。
手がかりだった「圧力」、それを発見して、頼りにしてしまった事で、
それを捨てる事ができなかったんですね。
この圧力を流していく事で感じる外に拡がる感覚、
不思議です・・・。
力的に「流れる」感覚はもちろん、
自分と相手との境が消えていくような気持ちになっていくのが気になります。
なんだろう?
今こうして新しい手がかりをみつけ、興奮している自分がいます。
でもたぶんこの「わかった」もいつか壊れるんだろうなぁ・・・と
その日がくるのを楽しみにしている自分もいます^^
手首の流れ
元気や欲求というようなココロのエネルギーに注目をしだすようになり、
稽古の手がかりが消えてしまっていました。
胸鎖関節や仙腸関節はそれ自体が「ある」事がわかります。
感覚は分からなくても存在している事はわかりますから、
まだ何とかなる。
でも自分の「欲求」なんて、なにが欲求なのか分からないです。
その存在すらわからない欲求を「育てる」なんて、
ほんといい加減です^^
ココロの研究が進むと、カラダがしたくなるだろう、
と分かっていたので、今回は不安な気持ちを少し冷静に見ていました。
昨日、朝から晩まで3連続の稽古で、
自分のなかの「見つけたい欲求」が高まったのか、
またカラダに戻ってきました。
手首です。
手首の中を力が流れるということ・・・
なんだか、基本中の基本のようなものです。
つかまれた手を上げてしまう事がいけなかった、それです。
流れていた気分になっていただけみたいです。
でもそれが分かるのは、今こうして「流れている」のを
実感できるようになったからです。
今までなぜ気づかなかったんだろうか・・・
一つは流れている力が小さすぎたからかな?
自分の小さな力は今までの処理の仕方で
間に合ってしまっていたのかもしれません。
大きく育てた欲求、
カラダを動かしてしまうほどの欲求の力が生まれてきたので
手首で止まる事に気づけたのかなぁと思っています。
自分の思いを相手に伝えるときに、
その接点となる手が引っかかっていれば「タイムラグ」が生まれます。
そのタイムラグが、なくなる感じです。
棒でもペンでも自分との一体化というのは達人への道への必須感覚でしょう。
今まで以上にそれが実感として感じられます。
今日は名古屋で一日稽古です、しっかり研究してきます。