心と体

無意識の反応

 11月になりました。
 今年も残り2月・・・あっという間に過ぎてしまうんだろうなぁ。

 後2ヶ月でカラダとココロが
 どう変化していくんだろうか、楽しみです。

 昨年の今ごろは指アーチの使い方から
 カカトを使う事を考えていました。

 またココロの使い方として、
 相手を気にしない事が大切、という事も考えていたかなぁ。

 この相手をきにしない、という事。逆に考えると、
 相手に気にしてもらう事が技をかける場合に有効なのです。

 今考えているのは相手の動きの「元」となるところを
 動かせないか・・・という事なのですが、
 これは「無意識」に相手にこちらに反応してもらう事なのかもしれません。

 意識的にこちらの動きに抵抗しようとか、あわせようか、と思う前に
 無意識レベルであわせてしまう動きがあるのではないか・・・
 そう思えるようになってきました。

 より小さな動きを感じ取れるようになってきた、という事なのかな。

 もちろんこれが最後の気づきではありません。
 先日のノーベル賞でも話題になっていた、物質の最小単位、
 あれって次から次へと発見されていきますよね。

 カラダの感覚もそれに近いような、
 そして小さくなればなるほどココロに近づいていく、そんな気がしています。

 全力を使って悔いのないように毎日を生きる。
 それを求めていける、意味のない自信だけは得る事が来ました^^
 正しさと誤りを問題にするよりも、なにがあるんだ・・・と
 一緒に掘り下げていきたいと思っています。

伝えていく事

 カラダをみて、ココロを考えていくのはなぜでしょうか?
 自分の中に生まれてくる楽しさ、
 充実感を得るためではないかと思っています。
 
 カラダを通してココロに気づき、
 人としての深さを知ることで、
 もう少し自分を好きになる、
 認めていくことが出来ると思います。
 
 人の中にある力を感じられることで、
 自分と交わる人、今を共に生きている人を
 別の視点から考える事ができると思います。

 答えが最初から用意をされているわけではありません。
 だれも「人」に対して答えは持っていません。
 (強く断定する人はいますけどね(笑))

 自分の感覚を少し頼りに、自分の人生を生きてみる、
 生きていく中には楽しさも苦しさもあるでしょうが、
 全部含めてみていける力を感じていきたいと思っています。
 
 私は三人の子供の親です、
 そして道場ではたくさんの子供たちと接しています。

 子供たちに伝えたい事、
 それは人を倒したり、投げたりする術でも、
 世の中を器用に生きていく術ではありません。
 
 自分の人生を認めて元気に生きていける事を
 伝えたいと思っています。
 そのためには元気に生きていける、
 ということを自分自身が実感をしなくてはいけません。
 
 自分で気づいた楽しさや強さ、
 辛さをぜひ自分の言葉で大切な人に伝えてみてください、
 伝えればきっと別の楽しさが待っていますから。
 応援しています。

手段と目的

 例えば内側の力を使えるようになれば
 重いものも楽に上げる事が出来ます。
 おそらく速くも走る事が出来るでしょうし、
 スタミナも無駄に消費をしなくなるでしょう。
 
 でもいくらこの内側を使える人を
 何百人集めても機械の力には適いません。
 ビジネスとしての規模が大きくなり、
 何千、何万トンの商品を
 世界中に運ばなくてはいけないときに、
 人力では仕方ありませんからね。

 介護の現場やスポーツの世界で
 古武術の身体操法が話題となっていますが、
 「技術」としてだけをその全てと思っていては
 人生は楽しくなりません。
 
 たぶん別の何かがまた自分を悩ませてしまうはずです。
 悩みを個別に解決する「技」でなく、
 悩みそのものに負けない方法、
 いや、悩みに負けなくてもいい強い自分を
 見つけるための手段と考えると良いかも知れません。
 
 手段と目的というのはよく問題にされますが、
 自分にとっての目的、そしてそれを達成するための
 手段とはなんだろう・・・
 
 ちょっと考えたくなってきました^^

価値観

 元気に限らず、ココロをどう輝かせながら生きていくか・・・
 という問題は誰しもが抱えている事だと思います。
 
 それが幸せという言葉になるのか、充実感になるかは
 分かりませんが。
 
 幸せを求めていく中で近道に思えるのは
 やはり「お金」でしょう。
 ただ「お金」を求めていった先には幸せは無かった
 というはなしもよく聞きます。
 
 アメリカのデータだったと思いますが、
 高額の宝くじに当選した人の大半がその後の人生を
 狂わした・・・というのがあるそうです。
 
 良くも悪くもお金は自分を浮き彫りにするものなの
 かも知れませんね。
 
 とにかく内側の力を運転できないままでは
 「大人として」の自分の窮屈さが
 重荷になってしまっていたかもしれません。
 
 昔から苦手だった「がんばる」という事、
 カラダを通して元気を出し、
 その元気に引かれていくようにすれば
 楽しく行けそうだと感じています。

 今世の中はちょっと大変ですね。
 時代の流れなのでしょうが、
 これまでとは違う価値観が求められていくのかもしれません。
 経済性という事を考えて伸ばしてきた事で失われてしまったもの、
 それがカラダとココロだった様な気がします。

外側を捨てる

 どうやら内側と外側を分けて考えられると、
 内側をしっかりと使い、
 外側を捨てられるようになりそうな感じです。
 
 必要だと思っていればどうしてもその外側の力は抜けません。
 この分かりやすくて使いやすい力は相手にとっても
 「手がかり」になりやすいわけです。
 
 「気配」が出ているという事なのかな?
 
 外側をいらない、と思えるようになってくるからこそ
 相手の強い外側の力にぶつからずに入っていけられるわけです。
 
 自分の外側の力をださなければ内側の力が出ないレベルでは、
 どうしても外側の力が相手に伝わり、
 強い抵抗をされてしまいます。
 
 相手にとっては力みとして伝わってしまうし、
 自分にとっては内側というアクセルを踏みながら
 外側というブレーキも同時に踏んでいる事になります。
 
 モノとして客観的にみればおかしいと思える事でも
 自分のカラダの中にあると
 何も見えなくなってしまいますからね。
 難しいです・・・。

 外側を意識して抜く事ができれば
 内側の力だけを出していく事ができます。
 
 もし相手が内側の力を使うことが出来なければ
 結果として崩していく事が出来るわけです。
 相手が抵抗するためには
 抵抗するべき対象がなければいけませんからね。

 ですから内側の力に耐える機会があるのならば、
 自分が崩れていくときの感覚を良く味わってみてください。
 自分のカラダに内側の力が入ってくる瞬間を経験しておく事は
 どんなに本を読んで、映像をみることよりも大きな力になるはずですよ。