心と体

あと1cm・・・

この粘り気のある内側の力ですが、簡単な稽古で感じられると思います。
キーワードは「あと1cm」です。

 

どんな形でもいいのですが、単純に両手で押し合う、
という形で考えてみましょうか。
両手をつかんでもらい、自分から相手を押していきます。
その押しをしっかり止めてもらいましょう。
この時、何も気にせず押せてしまうのならば
もう少し力の強い人で試してもらってください。
大切なのは「外側の力を止めてもらう」事です。

 

どんなに押してもびくともしないようならば良いですね、
良い稽古が出来そうです。しっかりと押してみても動きません。

 

この時「動かない」と思った瞬間があるはずです。
その瞬間はアタマがあきらめた瞬間でもあるわけです。
自分のカラダの能力をアタマが勝手に決めている限界があるはずです。
その限界に達したとき、もうダメだ、押せない、と思ってしまうわけです。

 

この時、しっかりと止めてもらっているところから
「あと1cm」だけ
押し込んでみてください。あきらめずに、1cmだけ。
もうちょっと、あと少し・・・。

 

今、なにか感じませんでしたか?
ぐぐっ・・・とカラダの中から生まれてくる力を感じませんでしたか?

 

腕に圧力がかかり、痛みとして感じてしまうかもしれません。
それは痛みで自分のカラダの中を感じる事ができないわけです。
もう一度やってみてください。

 

相手を押し返すという結果が欲しいわけではありません。
大切なのは外側がぶつかり、
それ以上でないところからまだ生まれてくる力がある、
という事に気づく事です。

 

外側さえ止まれば良いのですから、
これはカベを押しても出来ると思います。
ただカベはどんなに押しても動きません。
最初からアタマがあきらめてしまうかもしれません。

 

一人稽古が出来るのが上達の証ですが、
やはり誰かと稽古を一緒にしたほうが楽しいですから、
ぜひ一緒に試してみてください。
そして何かを気づいたのならそれを伝えてあげてください。

 

話がずれましたが、
この最後に出てきた力が今日のテーマである「内側の力」です。
内側の力は外側の力を使い切ったところからでないと
分かりにくいようなのです。

 

もう一度、「手を上げる」という事で
お話しを続けたいと思います。

では!

粘り気のある力

こんにちは、今日は「外側の力と内側の力」のお話をします。
この「内と外」に気づいたのが2週間ぐらい前ですので、
まだアタマの中でもうまく整理されていません。

それでも「今」の状態のままをお話しておく事が大切な様な気がして
いますので、いつものように話半分で聞いてください。

この力に気がついたのは
仙腸関節の動きに気づいた事がきっかけです。
3ヶ月ほど前に胸鎖関節に気づき、
自分のカラダの中にまだまだ気づいていない可能性を見つけました。
その胸鎖関節の感覚を頼りに丁寧にカラダの内側を見ていき、
生まれてきたのが仙腸関節です。

最近では骨盤を意識するとダイエットに良いという事で、
仙骨、腸骨を知っている人も増えてきていますが、
場所は知っていても実際にココを意識して働かせているという人は
少ないみたいです。私の言葉の上では知ってはいましたが、
どう動くのか、そもそも「動く」感覚すらありませんでした。

それが棒を押し合う稽古をしていた時に突然、動き出したのです。
もしかしたら今までも気がつかないまま動いていたのかもしれません。
カラダは無意識に色々な働きをしてくれています。

カラダに無理をさせずに気持よく過ごす事ができればいいのでしょうが、
カラダが背負ってくれている無理はやがて痛みとして現れてくるはずです。
今動きを感じられるようになり、それをとても強く実感します。
今、痛みが無い人もそれは気づいていないだけで、
カラダはやっぱりがんばっていると思います。

仙腸関節が動くときそこに生まれてくる力の感じが
これまでとは少し違うんですね。

なんというか「粘り気」がある。

粘り腰という言葉が有りますが、まさにこの言葉がピッタリ!
カラダの中にもう一つ力を見つけてしまいました。

また明日お話を続けさせてもらいますね。

向かい風

今日面白い光景をみました。
向かい風に向かって歩いている親子です。
幼稚園ぐらいの男の子とお母さんです。

向かい風といっても台風ではないですので、それは「日常」です。
お母さんにとっては髪型が乱れていやだわ、
という程度でしょう。

ですから「全力」をだす状況では無いわけです。
ただ歩くという状況に「全力」を出している人はいませんからね。

それに対して子供は「ちょっと大変」なんですね。
風に対して負けないように「前へ」と向かっていきます。

この前へと向かっていく様子に「元気」を見つけました。
「元気」ですから「明るい」んです。

カラダは飛ばされそう、
でもそれを楽しんでいる様子がとてもよかったんです。
こういう気持ちを忘れずにいたいなぁと本気で思いました。

無駄な動きと無駄をとった動き

昨日は友人の結婚式。

そこで巫女さんの動きを興味深く見させてもらいました。
どうしてこういう「作法」になるのだろう・・・。

階段を上り下りする時には身体を横(斜めなのかな?)に向けし、
お神酒を注ぐ時にも特徴的な動きをしていました。
もちろん歩く動きもそうです、手を振って歩く事などはありませんでした。

おそらくこういう作法に「解説用」の意味はついているのだと思います。
そういう説明を聞けば「なるほど」と分かってしまうかもしれません。

でもそれって「アタマ」でしかわかっていないから僕の中では
「3分の1」です。
アタマだけではなく、カラダとココロでも実感したい、そう思います。

武術、武道の型もそう。
天才的な開祖が型を作ります。
そこには後からくる人たちに上達して欲しい、という気持ちがあったはず。
なにかをつかんでもらいたい、とその型を作ったはずです。

型の中にある無駄に「見える」ものこそ大切にしていかなくてはいけないかなぁと。

そういえば巫女さんの動きを見ていると無駄に見える動きも
それぞれが組み合わさり、一つの動きになるときれいに見えます。
某大手の作業場でストップウォッチを片手に、どう動くか、どう歩くかまで
マニュアルとして決められているという動きをおもいだしました。
こっちは最大限に無駄を省いていった動きなのにね、不思議です^^

では今日も一日楽しく、元気に!

悪い姿勢は「無い」

この2日、たっぷり稽古できたせいか、
ずいぶんと内側の力について言葉も上手になってきました。
言葉が生まれればそれだけ「意識」が強く持てます。(これが良いのか悪いのかはわかりませんが^^)

その中でこれまで考えてきた事が大きくひっくり返るような気づきがありました。

姿勢についてです。
稽古の中ではこの姿勢についてこれまで何度も触れてきましたね。

流れを意識して、正中線と丹田と・・・まっすぐ、力強く、そして柔らかくを意識して姿勢を「作って」きました。
でもこれ、もしかしたら違っていたかも。

というのは全部「外側」なんです。
姿勢という形を作るわけですから、外側ですよね。
この外側を正しく、まっすぐ作れば当然丈夫になります。
でもそれだけでは足りない・・・内側の力が。

外側はどうでも良いかもしれません・・・
内側に力が有るのか、無いのか、それだけが問題な様な気がしてきました。

カラダをつかって生活をしていた時代、おそらくその頃はだれでもその内側に力を持って生きていたはずです。便利な機械はありませんからね。
内側に力をもっていればどんな仕事、どんな動きでも「あり」の様な気がします。
それが力仕事のように力が目立つものでも、茶道のようなやさしく、柔らかい動きでも・・・です。

寝転がっても、立ち上がっても、肘をついても、怒っても、笑っても、あくびをしても、・・・お行儀の悪い姿勢はあっても「科学的に?」やってはいけない姿勢は無いと思います。
求めるべきは「力のある姿勢」。

その力を有して、なにをするかは「自分」に戻ってきます。
自分がなにをしたいか、決める。
その上でそれを全力で精一杯やる、そこに生きていく充実感が生まれてくるのではないでしょうか。