大人の武道塾

【反射神経】その2 わからなくても、大丈夫!

まずこれまで「体全体を動かす」ということに目が向いていたかと思いますが、それとはまったく違う体の使い方です。微妙な変化であればわかりにくいですが、これほど大きく動きが変わった事は記憶にありません。

その使い方とは反射神経の活用です。何か知識をお持ちの方はご自分で、その、速さをご自分で体感してもらうと、それぞれが持たれている知識と経験と組み合わさり、新たなものが出てくるかもしれません。一人一人にとってこれまで見てこなかったもう1人の自分がこの体の中にいた、ということがわかると思いますよ。

こう、書いていて、もし、自分がその話を聞く側だったら・・・と思うときっと頭の中に「?」がたくさん沸いてきてしまうと思います(笑)。でも、たった一つの体感でそこにある事が認められるんです。ただ、見てこなかっただけで、ちゃんと、働き続けてくれていたんですね。焦らなくても大丈夫です。反射神経の自分は決して逃げることはありませんから。

【反射神経】その1 もう一人の自分がいた

最初、手先から動かすという体の使い方を説明し始めた時、みんなが、呆れたような顔をしました。それもそのはず、だって、ずっと、小手先の動きから、体全体、体幹部をよく動かしていきましょう、と伝えていましたからね。

でも、実際にその技を体験してもらうと誰もがその、気配のなさに驚いてくれます。頭で考えていた「手先の動き」と「実際の動き」とのギャップが余計に驚きを作り出すのでしょう。

古武術に限らず少し勉強している人は小手先の動きにならないように、体幹部をより意識して動かすこと目標にします。私自身もこれまでどうすれば、この大きな体をより効率的に動かすことができるかを考え、工夫して、そしてそれを指導してきました。ひとつひとつの気づきはたくさんの人に喜ばれて嬉しかったのですが、動きの変化はいつも唐突です。

その気づきからちょうど3ヶ月たちました。動きの速さから驚く事になったその術理は、最初考えていたものよりも奥深く、自分のという「存在」を考えさせるまで拡がってきています。ここで今日お伝えしたい事を書いておきますね。

この手先の動きに気づかせてもらったおかげで、自分の中(身体の中にも意識の中にも)に自分が考えもしなかったもう一人、違う自分が存在していたという事です。ずっと、そのもう一人の自分に守られてきたのかな?なんて考えてしまいます。そんな事を感じた上での言葉ですので、頭の隅において、聞いていただけると嬉しいです。

ワクワク成功法を挫折した人のために

ワクワクする事をしよう!という言葉を聞いたことありますか?幸せに成功するためには、ただ、頑張るのではなく、ワクワクしている事をしよう!という教えです。長文になってしまいましたので、面倒な方は最後だけ読んでくださいませ。
 
 
 
言葉を聞くと、なるほど!とも思うし、なにかを得るためには頑張る、という選択肢しかなかった人には、そこに希望を感じるかもしれません。勢いだけで、ワクワクする事をしよう!と嫌な会社を止めても幸せはやってきません。
 
 
 
ワクワクで生きる、というのを、夢を叶えるために必要な教えだ、と多くの人が知るようになってきましたが、なかなか、それを実感できた、というのはあまり見ない気がします。理想と現実の間には大きなギャップがありそうです。
 
 
 
これまで、私たちは「頑張る」というのを教育されてきました。とにかく、努力を求められてきたのです。特に、ちょっと前までは、楽して儲ける、みたいな事も良くないこととしてみられてましたよね。成果主義になって、そうでもなくなりましたけど、なにかを達成するために、頑張る事を武器にしているのです。いや、頑張ることしかなかったというべきでしょうか?
 
 
 
私が「ワクワクする事」に希望を持ったのは「頑張る事」で成果が出なかったからです。もし、頑張る事でちゃんと思い通りの成果が出せていたのであれば、なにも、変える必要ありませんよね。でも、自分では頑張っているつもりでも、成果が出せなかったのです。
 
 
 
そこから逃げ出したくて、なにかを探したら、リラックスという教えがあり、ワクワクしよう、という教えがあったのです。それまで持っていたイメージと比べると正反対だったんです。
 
 
 
なるほど!今まで上手く行かなかったのは、リラックスをしていなかったし、ワクワクしていなかったから、ガマンをして、嫌なことをしていたからなんだ!と単純に思い込んだわけです。おめでたい奴です(笑)。
 
 
 
この時、単純に思い込んで、実践したみた方法が上手くいって、成果がドンドン上がっていけば、よかったのかもしれませんが、見事にこのリラックスやワクワクの教えもうまくいかなかったのです(笑)。
 
 
 
救いに見えた教えが、全く役に立たない、そう思うのには時間がかかりました。信じたくなかったんです。それを信じてしまえば、もう、自分にはなにも残されていないと思えるからです。正反対の教えを信じられなくなったときの辛さは、体験したひとでなくてはわからないものです。ワクワクしていよう、緊張してはダメだ、怒ってはダメ、と思うようにしようと考えれば考えるほど、心の奥ではダメなのを実感していきました。
 
 
 
私が幸運だったのは、自分を見つめるための方法に「武術」を使っていた事です。武術は常に自分の恐れを見せてくれます。武術を通してみる時間があり、日常生活もあるのでわかるのですが、私たちが過ごしているこの世界はドンドンと嫌なことや辛いことを隠してくれているんです。武術とは正反対の世界です。
 
 
 
武術には自分が気がついていない恐怖を自覚するために型があります。でも、日常生活は恐怖や退屈を便利な機械や新しいサービスがドンドン消してくれています。安易に依存してしまうと、低温やけどのように、ジワジワ自分にダメージが積み重なってきます。(低温やけどは治りにくい、これ、覚えておいて下さい。)
 
 
 
リラックスやワクワクもダメ、もちろん、頑張るのもダメ、どこにも行けない閉塞感がやる気をさらになくして行きます。その時、ある事に気がつきました。ワクワクしようと思っていたのは頭で、体ではなかったという事にです。
 
 
 
私たちは「考える」という事をとっても大切に教えられてきました。まず、やってみる、というよりも、失敗のリスクを減らしてちゃんと、計画を立ててから、行動しなさい、と。でも、計画を立てている時から、不安にかられてしまうこともよく有ることです。コンピューターが発達し、シュミレーションしてくれるようになり、予測の精度は上がったでしょうが、楽しくありません。立派なプランがそのまま、現実になることよりも、そうでない時の方が多いんじゃないかな?
 
 
 
言葉にすれば、考えるよりも、感じる、となるかもしれません。でも、この言葉もちょっと危ういな、と思っています。感じている、と考えてしまう性質を僕らの頭は持っているような気がします。頭ではわかるんだけどなぁ、と口にしたことはありませんか?本当にわかっているのなら、説明はいりません。ワクワクすればいいのはわかっているのに…必要なのはそこから、どう一歩を進めるか?です。
 
 
 
頭のワクワクと体のワクワクは実は違います。そこに気がつく事で頑張るのでもなく、ワクワクするのでもない方法が有ることが分かったのです。まぁ、それでも、体の存在に気がついてから改めてワクワクの教科書を読んでみると、そんな事も書いてあったんですけどね(笑)。結局、体の選択、体の求めている事がわかんなかったわけです。体に聞く前に、頭が決めつけていたんでしょう。
 
 
 
体が求める事があっても、頭はそれを拒否する場合があります。例えば、一緒にいて不愉快になる人がいたとしても、この人と一緒にいればなにかと、有利だからな…なんて考えたらもう、お終いです(笑)。仕事が嫌、と思っているのは、その仕事が楽しくないから。体が拒否をしているのに、頭でガマンをしています。
 
 
 
問題はこの次の対応です。ガマンするしか方法がないと、そのうち爆発します。自分の体は騙すことができません。単純に嫌なところから逃げればいいかといえば、そうでもない。だからこそ、どうしていいかわからなくなるんでしょう。逃げたら逃げたで、また、次の嫌なことがやってきます。
 
 
 
武術には敵が必要です。自分よりも強い敵に対してどう向き合えばいいのかを教えてくれていました。その方法が、体のワクワクを聞く、という事です。自分の体が喜ぶように、動き方を変え、考え方を変えていくのです。
 
 
 
怖いときには心拍数があがりますし、目も泳ぎます。この時、怖くない!と考えようとするのが頭です。でも、怖いものを怖がるな、というのはできません。頭からでは無理なのです。怖いのにはそれなりの理由がいりますから。でも、体に理由はいりません。体が落ち着いてくれば、頭は自然とそれについてくるのです。具体的には、横隔膜を下げる姿勢をとり、ゆっくり呼吸し、目を泳がせないように、目に力を入れます。すると、頭ではわからなくても、怖さがなくなっています。理由なんてありません。状況は変わっていないんですからね。こういうのを日常の嫌なことに当てはめてみるんです。21世紀的武術活用法ですね(笑)。
 
 
 
そういう事をこれまでは、現場で仕事をしながら覚えたんでしょう。今の時代は自然災害でさえ、すぐに、乗り越え、元通りの生活に戻せてしまいます。大きな災害もテレビを通してだと、対岸の火事です。
 
 
 
頑張るのか、楽しむのか?どちらもダメだった…それでも、諦めなくていいんです!どっちも、それ、頭なんですから。頭で考えてもダメなんだな、と思えるところが、最初の一歩です。頭に頼ることができるうちは体の出番はありません(笑)。ですから、必要な苦しさだと思って下さい。
 
 
 
長くなっちゃいましたが、言いたいことはシンプルです。ガマンもだめ、頑張るのもダメ、ワクワクに逃げてもダメ、逃げ道がなくなっても大丈夫。そこから、始まりますからね、という事でした。

集中力を持続させる方法

今日のテーマは集中力です。このところのカンニング問題で「勉強」が注目されていますが、誰しもが求めている能力の一つですよね。試験のための勉強がどんなにできても、社会の中ではもっと他の力が、必要になります。それこそ、ネットの力、友達の力を最大限に利用して、最適な答えを探し出す力が、必要です。
 
 
 
そのために必要な力の一つが集中力です。今、この瞬間、なにが必要なのかを探すわけですが、以前にもましてスピードが要求されてきています。答えを探し出すまで、集中力を切らさずにおければいい仕事、理想の仕事ができますよね!体を使うことを忘れてしまった時代です。今日の話は他では聞かない話だと思います。お役に立てれば幸いです。
 
 
 
さて、学生時代を思い出してみてください。どんな勉強していましたか?集中力はありましたか?私はありませんでした。勉強を嫌だと思っていたんですね。もちろん、ゲームやマンガ、遊びに関してはとてつもない集中力を発揮しました。ですから、集中力がない!というのは間違いです。嫌なものに対して集中力を発揮出来なかった、というべきでしょう。
 
 
 
でも、きっと、みんなそんなもんです。自分の苦手なものはみたくないものです。自分の好きなものと、その瞬間求められているものが、一致している人は運が良いんです。でも、いつまでもこの運に頼っていては心配ですよね。簡単な方法で集中力を感じる事ができます。試してみて下さい。
 
 
 
簡単、と言いましたが、感覚を掴むまでは難しいとも言えます。なぜなら、自分が無意識にしている事を意識する作業だからです。
 
 
 
集中力は心の問題ではなく、全くの体の問題でした。先ほど、勉強とゲームの話をしました。今、私は集中力が発揮できる方向が逆になりました。ゲームはもう、長くはできません。逆に、学ぶ事、勉強する事の楽しさを知りましたから、寝る間を惜しんで本を読むこともします。
 
 
 
以前とは別になりましたが、やっぱり好きなことには集中力が発揮できるのは変わりません。問題は苦手な事に対してです。
 
 
 
先日、目の使い方に気づきがありました。目の使い方を変えたら、目の前の気を散らせるものに対して、気を奪われなくなったのです。この動き方がわかれば、嫌だと思っていることに対しても、逃げずに、集中力を発揮し、答えを見つけ出せるようになるはずです。あ〜、もう、あと、20年早く気づいて入れれば!っていう思いです(笑)。でも、今、この瞬間がとてつもなく楽しいですから、良しとしましょう。この気づきがまと、誰かの役に立てればそれもすごくうれしい事ですからね。
 
 
 
もう一度言います。集中力は体にあるんです。具体的にはこの目が揺れなければ、集中力は続きます。でも、嫌なものを前にしたとき、つい、怖さから、目を逸らしてしまうみたいなんですよ。
 
 
 
本来見続けておかなくてはいけないものから、目先にあるものに目を奪われてしまうのです。普通であれば、考え方を変えたりして(例えば勉強なら、今の努力が、未来の成功につながってる、なんてイメージをしたりです。)
 
 
 
でも、イメージはうまくいけばいいのですが、なかなか、苦手な人もいるでしょう。私ははっきり言って苦手です。今からお話しするのは曖昧なイメージ法ではありません。具体的な体の使い方そのものです。はっきりとしたものがあるので、誰にもできるはずです。
 
 
 
目があちこちに移るからこそ不安が生まれてきます。戦いで言えば救いを求めて、誰かを探し求める感じです。でも、常に助けてくれる誰かがいるとは限りません。どうすればいいのか?
 
 
 
動いてしまうことで不安が生まれるのなら、目を動かさないでおけば良いわけですよ!こんな簡単なことです。でも、私は今まで気づけませんでした。なぜなら、目が動いているのも分からなかったから。今、こうして、無意識だった自分の目の動きを感じると、はっきりいって、怖いです。こんな事があるんですね。
 
 
 
目を止めるといっても、この目をどうやって止めるのか?私は瞼で止めてみました。ぐっと目を見開き、瞼で目を抑えるようにします。文字通り、目に力が入っています(笑)。いつまでもこれではダメだと思いますが、まずは最初の一歩です。眉間にしわが寄るようにしてもいいですね、色々試してください。
 
 
 
この状態であれば、自分がみたいものをずっと見続ける事が出来るようになります。目先にみえる恐れの原因になるものは冷静に自分の心に入ってきます。
 
 
 
武術では観の目、遠山の目付と言ったりします。木をみて森を見ずと言ったりしますが、まさにそんな感じです。目先のものに目を奪われずに、全体を見続ける事ができます。
 
 
 
観の目は第3の目とも言いますね。この両目とは違ってぶれない目をこの頭に作ることなのかもしれません。
 
 
 
言葉では限界があるのはわかっています。それでも、伝えなくては…と強く思うんです。自分の体の能力を使い切らないままで自信を失っている人がすごく多いから。大丈夫!試してみて下さい。
 
 
 
もう少し研究を進めます。また、報告しめすね。今度は技の実例もあわせて。
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反射神経の活用法

反射神経と運動神経について気づいた事を話をしておきたいと思います。これまでの稽古との大きな違いは、自分の体の中に神経システムというものが、確かにあった、ということを実感したところにあります。
これまでもたくさんの動きを考え、動きを作り、自分をどんどん変えてきた自信があります。その稽古の中で自分の体の筋肉のシステム、骨格のシステム、そして意識のシステムがあるということを考えてきました。
無意識に働いているいろいろなことを自覚することによって、自分にはできないと思い込んでいた動きが、出来るようになる喜びを感じてきたのです。
今、神経のシステムが自分の中にあったことに気づくと、何の不思議もないのですが、よくこの歳まで、この神経の働きに気がつかず、生きてこられたなと、変な気持ちになります(笑)。
反射神経と運動神経は、誰の中にも存在をしているのです。大きなものを得たという嬉しさがある反面、この時代の中でたくさんの、失われているもの、捨てられているものがあることに気が付きました。もしかしたら、その代償を子どもたちに背負わせているのではないか、という怒りも一緒に生まれてきています。
便利な機械やサービスが溢れ、その進化こそ自分たちの幸せだと疑わない時代です。そのあまりにも親切な環境が人間の中から、生きる力を奪っているかもしれない、そう強く思いました。
昔の子どもたちは大きく成長する中で、虫取りや魚釣りなど、自然の遊びを通して自らの反射神経、運動神経を育ててきたはずです。その磨かれた反射神経が人とのコミニケーションの中で、どれだけ大切かはお分かりかと思います。どんなに知識があったとしても、人との間ではまず、合う合わないといった、相性の方が先になります。もちろん、その好き嫌いに振り回されずに、コミュニケーションを育てて行くことが仕事をする上で必要になったりしますが、反射的に起こる自分の変化に気が付かずにいれば、嫌いなものはいつまでも嫌いなものであり続けるはずです。
どんなに自分のことを反射神経が鈍い、と言ったとしても、熱いものに触れればパッと、その体は動いてきます。反射神経が鈍いのではなく、反射神経の使い方が間違っているのです。
反射的に自分が感情に振り回されてしまい、苦手なことに関しては、体を固めてしまいがちなのです。武術と同じですね、敵を目の前にして、反射的に怖いと、体が固まり緊張してしまうわけです。この時頭で考え、動いてみても、考える前に、反射的にまず動いている部分がありますから、どうしても一歩遅れてしまいます。気がつかずにいた、この反射の働きを、手首を材料に稽古してみると、少しずつ反射の動きをコントロールすることが可能になります。
自分の体に自信を持てない人は、きっと学校生活のスポーツや遊びの中で、お前はどんくさいなぁと言われたり、誰かと比べて、自分の動けなさを勝手に運動神経がないと決めたりしたんだと思います。便利な機械やサービスがなければ、生きていく中で自然とまた、運動神経を伸ばして行く、事ができたはずですが、自分が神経を尖らせて、気にしなくても周りがそれをやってくれるようになってしまったのです。
この世界であっても自分の事を、存在する価値がある素晴らしい人間なんだと、感じていれば問題はありません。しかし、自分以外の周りは、良くなっていても、自分自身は存在する価値がないと考えてしまえば、この世は地獄となってしまいます。
いろいろなことを経験することで、人間は成長する。それがわかっていてもどうしても苦労をかけさせたくない、と考えることが親心でもあります。武術を通して、体を知ることでまず、私たち大人が生きることを楽しく考え、のびのび生きて行くことが子どもたちにとって、何よりの力になると信じています。
きっとこれからも便利な機械や素晴らしいサービスが、ドンドンと出てくるでしょう。その進化に負けずに自分の身体を見つめ直し、ともに研究をし続ける場所をこれからも作っていきたいと思います。
つい感情的になり、まとまりのない文章になってしまいました。今までは感情が先走った事を文章にすることはなかった様に思います。頭がそれを止めていたからです。でも書かずにおられなかった事はきっと、反射神経に気づいてしまったからかな、と思います。最後までお付き合いしていただき、ありがとうございました。
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