大人の武道塾

古武術的問題解決能力

手首の動きをきっかけにして、人間が本来持っている動きを改めて感じることができましたが、できるワザが増えたこと以上に、自分の持っている様々な問題が一気に解決して行く事を実感しています。
そういえばこれまで稽古してきて現実の世界で技そのものが役に立った事は一度もありません(笑)。喧嘩なんて小学生の時にあった以来ですし、自分の拳を使う機会なんてないにもかかわらず、こうして毎日武術の事を考えているわけですから不思議なものです。
でもそれは武術が役に立たないものであるというわけでは全くありません。むしろ、この武術を通しての発見のお陰でどれだけ心が楽になっているかわからないのですから。
手首を通して感じた反射神経の自覚化は、今、思い悩み、考えてしまうことで、流れに乗れなかったことに気づかせてくれました。考えては物事は進まない、とわかってはいるものの、現実に自分が怖さを感じた状態でそれを考えないまま生活をして行くことは、それまでの自分にとっては困難なものでした。
反射神経のスピード活用して動くことができるというのは、ある意味考えながら動いているにもかかわらず、流れを崩さずに生活出来るということなのです。
考えないということが、考えるか考えないかという選択だったのではなく、それまでの考えている自分と、今新しく世界を見ている自分が違う自分だった事を感じます。面白いのは違う自分だったと言っても、それまでの自分の見方がなくなったわけでもなく両方存在し続けているわけです。
体から手先を動かそうと意識している自分、体を意識せずに手先から自由にどこにでもいけそうな感じを持っている自分、この2つが今同居している感じがします。その2つの意識を切り替える働きを持っているのか手首ですから、手首がスイッチになっていると考えてみると面白いかもしれません。
以前甲野先生が新しい発見は、新しいおもちゃを目の前にしている子供のようにワクワクする、というようなことをおっしゃられていましたが、まさにそんな感じです。世の中を見れば楽しいこともたくさんありませんが、それに負けないぐらい楽しいことが自分の体の中で毎日起こっているわけです。
武術の技としては使って欲しくありませんが、武術の技があってこそ気づける感覚があるのです。
お知らせを一つさせて下さい。また名古屋に甲野先生をお迎えして稽古を行っていただく事が決まりました!
詳しくはカラダラボのホームページで。
http://www.karadalab.com/
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自覚反射力

反射についての話しを今日はしましょう。
先日、熱く、沸騰したやかんに触れてみました。当然のごとく、触れた瞬間、指先はもの凄い速さで戻ってきました。特別な能力ではなく、ただの反射の働きです。
こんな能力が誰の中にも備わっていることはおわかりですね。ただ、この反射の働きを意識しながら使うことはどうも、難しいらしいです。
手首の速さに気づいてからの動きがこの反射の働きに近いかもしれない、そんな事を考えたんです。自分の速さに驚きながらも、なるほど、反射か…と考えることができると、ぐっと身近になります。
というわけで、自覚して使える反射という意味で、自覚反射力と言うことにしました。ただ手を上げ下げするときにも、この力を使うと、自分の体がとても軽くなるんですよね。
特別で不思議な能力としてしまうと、それを身につけるのには時間がかかります。でも、一つの体の働きなのだ、と理解すると後は自分の力を認めていくだけなんですよね。自分には出来ない、という暗示がかかっているだけなんです。あっ、そうですね、こういう稽古は暗示の解き方にもつながりますので、また、それをテーマにしてお話しします。
やかんに触れ、とは言いません。どこかで自分にある、反射の働きに気づいてくれたらうれしいです。

ナンバの動きで自分の無意識がわかる

今日ふとしたことで、改めてナンバの動きが大切なんだという事に気が付いたので少しお話をしておこうと思います。
ナンバ歩きで有名になったナンバですが、厳密な意味でのナンバの定義はどうやらないようです。今日これからお話するのも細かい定義の話ではありません。
ナンバ動きと無意識の働きについてのお話です。無意識や潜在意識といわれる世界については、映画や漫画の世界にもテーマとして取り上げられるほど身近になってきました。しかし頭でわかってきたとしても、実際にその無意識を扱いながら、この体で表現をする方法はあまり知られてはいません。
武術の世界は怖いという感情がつきまといます。この怖さをどう扱っていけばいいのかというのが、まさに無意識を扱うということなのです。頭で怖くない!と、考えたとしても、実際に体は怖さで、緊張して動かなくなります。
この時動かない体を無理に動かすのではなく、体にとって自然な動きを表現したい。そのための稽古こそ武術なのです。
いろんな方法があるかと思いますが、私は無意識に自分がどんなことを感じているかということを、常に意識しています。この15年の間に、自分が気がつかなかったことに少しずつですが、気づくことができました。しかし無意識の世界は気がつけば気が付く程、まだまだ奥にとんでもない広さが広がっているように感じます。
普段稽古の際に気を付けているのは、当たり前という気持ちにならないようにするということです。当たり前というフィルターが自分が見えてない世界の入口を隠しているみたいです。
当たり前のワナにはまらないようにするためには、動き方を通して自分自身を見守っていく事が非常に有効だとわかりました。
それこそ当たり前のように歩き、立ち、手を使います。大人である私達にとっては、日常生活の基本動作は当たり前であり、そこに強力な無意識が存在しています。
なにか特定の技術ができないというレベルの話ではなく、自分自身が生きて行く上で基本となる動き方自体を注意することが絶対に必要なのです。
特にこの数十年、人類史上最も体を使わなくなってきていると、考えてみてください。便利な機械やサービスが広がってきたおかげで、体を使うということを本当に忘れてしまっています。
自分自身を深く見つめてみたいのであれば、今の当たり前だと思っている動き方をまず、見つめてみてください。
とはいえ、この時代自分の動きの不自由を感じることは難しくなってきました。だからこそあえて、体に不自由さを要求するのです。その不自由さこそ、体を回さない、捻らない、踏ん張らない、と言ったナンバの動きなのです。
着物を着ていれば自然に身に付くこのナンバの動きも、ゆったりとした楽な洋服を着てでは強く意志を持たなくては、つい普通に、今まで通り、当たり前の動きをしてしまいます。しかしだからこそ、いいのです!
意志を持って不自由な動きを試してみる中で、見つかる感覚こそ、それまで自分が気が付いていなかった無意識の世界の感覚なのですから。
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武術的、夢の活用法

今日は夢の活用法についてお話をしたいと思います。これも武術を通して気が付いた事の一つです。ずっと以前は目の前の相手を倒すことばかりに目が奪われていた事を思うと、よくぞこうして、武術と生きるということが繋がってくれたかと、いうことをうれしく思います。もし、甲野先生との出会いがなければ、目の前に広がっていた大切な教えも全く意味のないものになっていたと思います。
というわけで、夢の話です。
皆さんは夢をどのように考えているでしょうか?いい夢を見た時、悪い夢を見た時、それをどのように考えているのでしょうか。どんなに悪い夢やどんなにいい夢も、目が覚めてしまえば、この現実のリアルな感覚にはかないません。
これまでそんな夢を現実の世界に生かしていこうなんてロマンチックな思いもありませんでしたから、いい夢を見ても、悪い夢を見てもすべて捨ててしまっていたことになります。
しかし今回気が付いた夢の活用法を考えてみると、何ともったいないことをこれまでしていたんだろうと思うようになりました。自分が成長する上で夢をうまく生かして行くことでより加速した、成長をえることができます。
武術を通して身につけることができることは、それまでできなかった状況を打破し、動く事ができるという自信です。実際の生活の中では自分に対して厳しい状況はなるべく経験したくありませんよね。
しかし、厳しい状況を乗り越えることで人は成長して行くものです。便利な機械やサービスが溢れることによって、この時代では、生きる上での分かりやすいストレスは少なくなってきました。つまり乗り越えやすいストレスがどんどん少なくなってきてしまっているのです。
結果的に成長する機会を失えているとも言えます。武術はこの時代においても自分に対していちばんぴったりとくるストレスを問題として与えてくれています。今自分にできることできないことを、しっかり考え、それを乗り越えるための材料として、体があるよ、という事を教えてくれているのです。
これまでの稽古で現実の世界においては、この武術が沢山の事を私に教えてくれました。人前に出て喋れなかったことが嘘だったかのように、今こうして人の前に立ち、教えることを仕事にしています。しかもその伝えている内容は体の使い方であり、そして自分への信頼の持ち方です。両方とも自分のコンプレックスだったものです。
今日は夢の話でした。
現実の世界では武術がひとつひとつ、自分は変われる、ということをしっかり教えてくれています。気付く度にちょっとずつ強くなっていけるのです。では、夢はどうでしょうか?
夢の世界にいる時、これは夢なんだと思えることはあまりありません。夢の世界においては夢自体が現実といえますね。
この夢を体験として考えてもらいたいのです。どんな経験も時間をかけて考えてみれば、自分に対して乗り越えられたことが強さとして身につける事ができます。夢の世界におこる出来事は、現実の世界以上に不条理なことも起こります。とてつもない怖さもあれば、とんでもなく恥ずかしいことさえ起こりえますね(笑)
それを夢だったからと、捨ててしまうのではなく、体験として自分のものとするのです。その経験を誰かに現実のものとして話をしなさいということではありません。自分の心の中だけであんな事があったけれども自分は負けていない、そんな考え方でいいんです。
自分の考え方一つで毎日寝る度に少しずつ自分が強くなっていけるのです。お金もかかりません。リスクは何もないんです。是非試してみてください。

グダグダした性格を治す方法

今日はグダグダした性格を治す方法についてお話をしたいと思います。
そんな大それた…、なんて思われる方も見えるかもしれません。何を隠そう私自身が優柔不断でグダグダした性格なわけです。
冒頭で治すという言葉を使いましたが、治すというよりは、周りから見て迷っている様子を出さない方法といえるかもしれません。
それでも効果は絶大ですから、役に立つ人もいるでしょう。グダグダなんかもう、嫌だ!という人、ぜひ試してみてください。
そもそも性格というのは、体についているものらしいのです。病気の時は皆、気弱になりますよね。強気なときというのはやはり体が元気な時です。まず、体に自分の心の反応があると考えてみてください。
そこでグダグダした時というのはどういう状況かを考えてみましょう。いくつかの選択肢があった時に迷ってしまった状態というのはどうでしょうか。選択肢がないわけではなく、何を選んだとしてもうまくいかない未来を想像してしまうような状況です。
この迷いに入ってる状況を第三者が外から見た時、きっと、早く決めればいいのに…と思うはずです。当事者じゃない人は気楽ですよね。しかし、実際に問題にぶち当たっている人は大変です。
この状況で自分の心が弱いと考えてしまうとなかなか答えは見つかりません。問題を解決するのに、心の面から入ってしまうといつまでたっても迷いは連鎖してしまうものです。
こういう状況で、動けるようになるには武術で考えることが最高です。目の前に迫ってくる突きを迷って、どうしようと考えてしまえば当然やられてしまいます。その緊張感が自分が本来持っている速さを引きだしてくれるのです。
とはいえ、実際に誰かに突きをついてもらってそれをかわす練習をするわけではありません。自分は素早く動ける体を持っているということに気がつくだけでいいのです。
こうお話をすると、自分はそんなに速く動けない、と思っている人も多いです。特に優柔不断だと思っている人はそういう体になってしまっています。体よりも先に頭が動いているんですね。
もちろん突きをついてもらってそれをかわす練習をしてもいいのですが、今日は別の話をします。
ここ最近はこのブログでも、手首の話ばかりをしています。手首をブラブラブラっとふって見てください。自分の体のどんな部分よりも速く動いているのに気がつきませんか?
そうです、こんなに速く動く体があるわけです。でも緊張してしまった時は間違いなくこの手首はがっちりと固まっているはずです。
どんな状況であってもまずは体を動かしてみてください。なにかあった時に動けなくなる自分ではなく、反射的にパッと動けるような素早さ持った自分に変身することができます。
性格を変えるには行動を変えるのが一番なのです。どうしようと考えてしまえば、最初の一歩からつまずきます。今の世の中の流れはちょっと速くなってますよね。予想通りに展開する事ばかりではありません。
いろんなこと体に任せてみるという選択があることに気が付くと、新しい世界が見えてきます。ちょっと臆病になってしまった体に大丈夫だよと言ってあげてください。
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