大人の武道塾

口出し厳禁!

ちょっと時間が出来たので夏休みで暇を持て余している長男を連れてバッティングセンターへ。

2年生の彼はバッティングセンターははじめて。どう?と聞いてみると・・・
「怖い」との事。さすが我が子だ(笑)

まぁ自分でも久しぶりにきたバッティングセンターで日ごろの稽古の成果を確認したいわけです。
お手本を見せるからといいつつ、自分の世界に入ってみる。

バットを振らずに、引かれるように・・・しっかり立たずにふわりと立って・・・、ボールに対して重心が向かっていくように・・・といろいろ工夫をしてみる。時折良い当たりもあったものの、やはり畑違いなものに応用するのは簡単には行かないなぁと。

3打席終わったところで子供を確認。交代してみる。
さすがに軟式では難しいだろうと思って、ソフトボールのコーナーへ。

初めて打席に入るだけに、ついつい口を出してしまいそうな感じになってしまう。
でも口に出してしまうのは良くない事だと身に染みて分かっている。こちらが出来る事は彼が気分よくバットを触れるようにする事だけ。

普段の稽古でもそうなのだが、カラダラボの稽古に来てくれる人もすごく素直な人が多い。学ぼうという意欲が高いのだ。そんな人たちに応えたくて応えたくてついつい口がすべる・・・。分かって欲しくて説明を重ねるが、それが本当にいいことなのかどうか・・・こちらの意見を押し付けているだけではないだろうか・・・自己満足の説明になっているのではないか・・・と考えてしまう。

大切なのはやっぱり興味を持ってもらうこと。興味を持ってもらえさえすれば、あとは自分で課題を作って、自分なりの答えを出していってくれるだろうと思う。いや、そうでなくては自分の人生を生きていく事など出来ないと思う。

わからない、ということはとても大切で、分かったつもりになってしまうのがすごく怖い。私もわかったと思ったときにはいつも、自分に問い掛ける。それはわかったつもりではないのかと。
分かったと思った瞬間に、その事は自分の頭から出て行ってしまう気がするからだ。

ちょっと横道にそれたが、わが息子。
3打席、100球近打って、当たったのが5球ぐらいかな?
どうなんだろうか?楽しい気持ちは残ったのだろうか・・・。

何とか今回は口を出さずにすんだけど、親も勉強なのだと思いました。

台風に負けてたまるか・・・個人稽古

台風の影響で名古屋も雨風が強い一日でした。その中わざわざ個人稽古にきてくれたK山さん。これまでの定期稽古にはほぼ出席の皆勤賞。今回はじめて個人稽古にこられました。

K山さんは普段の稽古では聞き役になることが多いので、やっぱり聞きたいことが増えてきたのかなぁと思っていると、彼いわく、

「カラダを通してでしか、分からないですから・・・」

思った以上に僕が伝えたいと考えていた事を分かってくれていてとてもうれしかったです。

わかりやすい言葉には気をつけなくてはいけなくて、分かったと思った瞬間にそれはもうココロには入ってこない気がします。安易に分かったと思ってしまうとその後の発見や気づきはなかなか出てきませんから。

さて個人稽古ですが、時間的には2時間ぐらい。これぐらいが丁度いい感じです。普段は個別の技にどうしても時間を取られてしまいますが、技は結果としての形ですから、その技を成り立たせるために少しずつ考え方を変えていく事が大切です。

例えば重心操作。普通に暮らしていると、どうしても自分が不安定になる事が怖いんですね。すこしでもぐらついたりすると、一気に自分の制御圏内を飛び越えてしまうんです。甲野先生も言われていますが、「不安定のつかいこなし」を考えてみるといいでしょう。

いきなり転ぶような稽古はさすがにお薦めできませんが、座った状態での前や後ろ、横への転がり、つまり受身ですね。筋肉主導でヨイショ!というのではなく、倒れていくようにふわっ~っと転がる事もいいでしょう。

自分の重心を感じれるようになってくれば、それを制御しながら稽古をしていけばいいわけです。その方法の一つが壁抜け。重心を腕に近づけて自分のカラダの限界を感じます。そしてそのカベを動かさないように自分の重心をそとに動かしていくわけです。

この時自分が倒れないのは相手がいるから。相手との相対バランスのおかげで倒れないわけです。自分が不安定になる事に対して過度に怖さが残っているとなかなか難しいですが、やれてしまうと自転車に乗るようなもので恐怖はなくなります。

今は重心としてお話をしましたが、それをココロといったり、意識といったりしても構いません。自分がカラダだと思っているものよりももっと深いレベルがあるということを分かってくれたと思います。

個人稽古の良い点は話をきいているだけではすまない所ですね。大勢の中の一人ではウンウン、と頷いていればいいですが、1対1ではそうは行きません^^
積極的にこちらも聞いていこうとしますし、なんとか言葉にして欲しいなぁと思っているわけです。それは言葉にする事で自分がそれまで意識していなかった部分に気づく事ができるようになるから。

私自身も今こうして変わってこれたのは、甲野先生との物理的な距離のおかげで名古屋での稽古は自分が引っ張っていかなくてはならなかったから。自分の感じたことを素直に伝えて、それを研究していくしかなかったからだと思います。多分いつもお会いできるような環境であれば、べったりと通っていたと思いますが、それでは自分の考えを育てていく事はできなかったでしょう。

まずは自分の感じている感覚を相手に伝える、それを意識してもらって、言葉にしてもらう。その繰り返しの中で自分なりの新しい感覚をつかんでくれればうれしいです。

とにかく甲野先生との個人稽古では、技以上にその場にいることがうれしかったわけです。その稽古のおかげで自分の稽古のモチベーションがどれだけ上がっていった事か・・・。自分にそんなことができるかなぁ、と不安になりますが、動きと一緒で日々研鑚です。

英才教育♪

Ei ミラーニューロン、スイッチオン!

どこまで行くんだろう、古武術は。

月曜日のテレビ朝日の報道ステーション、みましたか?

大きく特集されていましたね、介護と古武術の取り合わせが一般的には想像がつかないので話題になるのでしょう。NHKでは何度も取り上げられてきましたが、民放、そして看板番組での特集だけに反響も多いでしょうね。

実際、甲野先生のサイトのカウンターも番組終了時からドンドンと上がっていましたし、その影響でかカラダラボのサイトのアクセス数もグッと上がってきました。

番組自体も見せ方が上手なのか、よくまとまっていたのではないかと思います。

甲野先生の動き自体が単に古武術と言っていいのか、実際に古武術介護といったときに古武術を稽古しています、と単純にはいえない難しさがありますが、なにより現場で楽に仕事ができるのであれば何でもいい!と思いますが、どうでしょうか^^

番組の中で印象的だったのが、甲野先生には悪いですが、実際の現場で使われていたヘルパーさん達です。動きもさることながら、自分の口でしっかりと自分が行っている事、工夫している事がはっきり伝えれる、それってすごく大事ですなんです。松岡さんを抱えたヘルパーさんも自信がみなぎっていましたね、ああいう人に介護される人はいいですね。

実際に介護されている方が、長年負い目を感じていたと言われていました。それってすごくわかる気がします。もちろん,私は今介護される立場にいませんが、稽古していて、自分を持ち上げようとしていると、つい『ごめんな、重くて~』とつい思ってしまいます。そういう気持ちを持たせる事自体がやはりまずいんですね。自分は平気だよ~ふふん♪と鼻歌交じりに楽しくされれば楽しいじゃないですか。

これは子供たちを見ていてもそう。小学生の低学年ぐらいであれば、だれでも子供たちの全力を受け止めてあげる事ができますが、これが高学年、中学生、それこそ高校生、大学生ともなればさすがに難しいと思ってしまいますよね。そして子供たちにそれが伝わってしまえば、子供たちは無意識に親、大人に大して遠慮が出ます。それをなくしてあげたいわけです。

少林寺拳法の練習の中で時々自分に対して子供たちに限らず、大人まで全力でぶつからせます。それを一生懸命受け止めるのではなく、余裕を持って受け止めてあげると、彼らはすごく喜ぶんですね。小学生なんかは何度も何度もチャレンジしてきてすごく微笑ましい、可愛いもんです。気持ちを受けてもて上げる事はもちろん大切ですが、実際にカラダを通して直に確かな感覚として受け止めてあげる事はとても大切な気がします。

7月の古武術介護の研究会

7月8日はカラダラボ、古武術介護稽古会を行いました。
写真がとれなかったのでこのサイトの画像で勘弁してください^^;

月一の稽古会と雰囲気が違うのは、女性の参加者が多い事。今回初めて半数を超えてきました。やっぱり武術と介護の響きの違いですかねぇ。それでも同じ『カラダ』を使う以上は別々のものとして捉えてしまうとなかなか難しいかもしれない。自分なりの『身体運用法』を作り上げれるかどうかだと思う。

特にうちの稽古はそうです。
決められたカリキュラムは無いし、基本的に何をしても自由。私にとっては回り道に見える稽古も当人にとっては何かに気づくための必要なものかもしれません。私がこの稽古で持っていってもらいたいものは、なにより自分のカラダ、ココロに対しての興味です。その興味を持ち帰ってもらって、自分の生活の中で試してもらえれば良いなぁと思っています。

さて稽古会ですが、実は色々驚きと発見があり非常に楽しかったです。今回も女性の看護士のグループの方が参加してくれましたし、介護の仕事をされている女性の方が久しぶりに参加してくれました。やはり本職でされている方からの質問は勉強になります。私自身は武術から入っていますから、どうしても細かいところまでは目がいかないですから。

初めての方もいましたから、一通りの技を体験してもらって、その感覚を知ってもらうところからはじめました。単なる身体操法としての『コツ』ではなく、自分の感覚を自覚した上でその感覚をいかに再現していくかがポイントです。ついつい普段の使い慣れた動き方に振り回されてしまいますが、その普通の動き方にどれだけ縛られているかを楽しみながら感じてもらいました。

今回女性の参加者が多かった事もあり、『ココロを動かして相手を崩す』という稽古を試してもらいました。この『ココロ』ですが、抵抗があれば『意識』でも『重心』とでも言い換えてもらえば結構です。女性は『ココロ』と言ってもスッと伝わるので、そうしました。

じゃあ『ココロ』って?
動こうとする時、まず気持ちが動いてきます。相手を上げよう、崩そうと『ココロ』が動き始めます。そして間を空けずにその気持ちに対して、カラダが『普通』の動きをはじめてしまうわけです。そうすれば自分が上げようと言う気持ちが動きを通して相手に伝わってしまうんですね。だからこそ上げようとした手を抑えられてしまったり、相手の重さに自分の腕が反応してしまうわけです。

この時カラダには少し休んでいてもらいます。身体操法なのに?と疑問をもちながらでもOKですよ。とにかくカラダはお休みです。ただお休みといってもどう休んでいれば分からないですから、これは腕が動かないように緊張させます。柾目返しで見てみると、相手の腕と自分の腕が一つのカベのようになります。

このカベを『ココロ』が通り抜けるように使っていきます。
まず最初は横から。例えば右手を左手でつかまれたとします。この手を動かさないように自分の『ココロ』(重心でもOKですから^^)を横にずらしていきます。壁に当たると、その『ココロ』の動きが止まってしまいますが、それはカラダの方が強すぎるんですね。力を抜いたりゴソゴソしたりして、何とかカベを通り抜ける感覚をつかんでください。

カベが通れないなら、まずは後ろから回り込んでも大丈夫です。どちらも壁となっている腕を動かさないのが大切です。それ以外ならいくら動かしても構いませんから。横方向から稽古するのは、単純に壁の厚さが薄いから。抜ける感覚が分かってくれば、カベを縦方向に抜ける事もできますし、カベを物理的に作らなくても気持ちの中で作る事もできます。

こうしてカラダではないところを動かす事ができるんだと言う感覚が育ってくればいろいろな事に試してみたくなるはずです。例えば抱き起こしの技に応用してみれば、肩にまわした腕がカベです。これをそのまま上げようとしてしまうと、腕を自分に引き寄せてしまいます。つまり自分(ココロですね)は、寝ている相手よりも前にいるわけですから引き上げてしまうわけです。

そこで腕のカベを意識して、相手の背中に自分が移動したように使うと、引き上げるのではなく、押し上げる感じになると思います。見た目同じようでも中身として、引くのか押すのかは大きな違いですから。言葉では難しいところも実際に体験された方には分かってもらえるかな。

今回の稽古、専門の方がいてくれたおかげで自分では想像もつかなかった動きが出てきました。なるほど~仕事していればこういう状況はあるかもしれない、当たり前ですが、頭の中だけで考えていてはダメなようです。思えば武術から稽古をはじめた時もそうでした。型をやればいいんだ、と思うよりも自分の中で出来ないことをしっかりと受け止めて、できない技を一つずつ潰していったわけです。結果として頭からではなく、身体から動くことを学んだみたいですね。

その新しい動きとは、ベッドから落ちてしまった人を一人で抱えて戻すというもの。
どうしたらいいですか?と聞かれて、どうしようかなぁと思いながら、身体をあわせてみました。まず最初に肩に手をそえて抱き起こします。次に膝を軽く曲げさせながら、相手の背中の後ろに自分の膝を入れていきます。

膝が入ったところで、後ろへ倒れるようにしながら相手の身体を膝の上に滑らせてきます。この時ゆらゆらと左右に振れながら行なうとやわらかく上げていけるようです。膝にのせた時にその体重の重さが気になりますが、これは乗っている脚だけ、支えている腕だけで感じるのではなく、カラダ全体で『着る』事ができれば大丈夫です。

そこから立ち上がるわけですが、普段柾目返しで稽古しているような前進の仕方、頭を押さえつけられても立ち上がれるような立ち方で練ってきた使い方が自然と出たのか、なにも意識せずに、人を抱えていてもそのまま立ち上がれました。その何気なさがよかったのか、その動きに対して驚きすぎっ!とも思えるような感想をたくさんもらって、勘違いしてしまいそうでした(笑)。

仕事という現場の中では直接使えるとは思いませんが、これが例えば自宅の中で起こった時に、重いから上げれない、と手を上げることは出来るはずがありません。その瞬間に自分が出来る最善の事をするはずですよね。その時よく動く身体があればいいじゃないですか。あとは現場に合せて、先輩が後輩に伝えていくようにする中で『技』としての完成度が上がっていくんだと思います。

よく稽古会では言っていますが、技ができるようになってきて術理が分かってくるとは、単純に力持ちになってしまうようなものなのです。今まで苦労していたことが少しでも楽に出来れば、やっぱり違いますよね。技だけをマスターしようと考えてしまうと、きれいな技、力強い技は出来てもなかなか日常生活には応用できませんから。

久しぶりに稽古にこられたTさん。私よりも全然小柄なのに添え立ち、浮き取りともに上げられてしまいました。何を教えたと言うわけではないので、ご自分でいろいろと工夫をされてきたのだと思いますが、驚きました。つくづく技を習うのが大切なのではなく、自分のカラダの強さを体感することが大事だと言うことを教えてくれました。

添え立ちに関していうと、稽古会の中で『できない・・・』という雰囲気がなくなってきたのも大きいのかもしれません。先生以外できないんだ、と思い込んでしまえば無意識にどうしても身体が動かなくなってしまいますし、自分が出来るという事を他の人が咎めるというちょっと嫌な雰囲気にもなりかねません。自由に気楽に稽古できる場を作っていければと思っています。

同時にいろいろな話を聞きました。どうしても古武術介護というと、『?』が付きまといます。なんだそれ、と。甲野先生がNHKにでられたり、岡田さんがそこからしっかりと活動されてきてだんだんとその実用性が理解されてきているとは思いますが、まだまだ話を聞くだけ、見るだけでは分かりづらいでしょうね。

同じ武道・武術というジャンルにいても『井桁?』でしたから^^。
新しいものを始めるのが大変なのはよく分かりますが、自分の中の問題が分かっていればそれを改善するための方法を模索することは絶対に必要です。そこにプライドやら肩書きで出会うことをやめるというのはもったいないですね。

今朝(7/9)新聞をみていたら、今日古武術介護があのテレビ朝日の『報道ステーション』で特集があるそうです。要チェックですね!先週(7/5)は『ナンだ!?』という番組で特集されたそうです。あいにく名古屋では放送ありませんでしたが・・・今週(7/12)も続けてあるそうなのでうらやましいです。

知名度が上がるということは、逆に言葉が一人歩きをしてしまうというデメリットも付きまといます。古武術介護で言えば、甲野先生が武術の動きを応用する中で、岡田さんという研究熱心なパートナーと出会われ育ててきたわけです。今後言葉だけが一人歩きすることなく、浸透していってほしいと思います。

感覚を味わうのが何よりの稽古です。

そして試して、やってみる。

落ちてしまった人を・・・

抱き起こして、この時左ひざを背中に入れていきます。

後ろへ倒れるように揺らしながら膝の上にのせます。

後は姿勢よく、カラダ全体で着るように立ち上がります。

膝まででいいので(高さが無いから)、難しくないみたいです。

力自慢の男の人には柾目返しで楽しんでもらいます。

曲がらない腕、指導中。

痛くなくても崩れていく、押されていないようで押されるような・・・

カラダが感覚を知る事で、きっと動きが変わりますから。