7月8日はカラダラボ、古武術介護稽古会を行いました。
写真がとれなかったのでこのサイトの画像で勘弁してください^^;
月一の稽古会と雰囲気が違うのは、女性の参加者が多い事。今回初めて半数を超えてきました。やっぱり武術と介護の響きの違いですかねぇ。それでも同じ『カラダ』を使う以上は別々のものとして捉えてしまうとなかなか難しいかもしれない。自分なりの『身体運用法』を作り上げれるかどうかだと思う。
特にうちの稽古はそうです。
決められたカリキュラムは無いし、基本的に何をしても自由。私にとっては回り道に見える稽古も当人にとっては何かに気づくための必要なものかもしれません。私がこの稽古で持っていってもらいたいものは、なにより自分のカラダ、ココロに対しての興味です。その興味を持ち帰ってもらって、自分の生活の中で試してもらえれば良いなぁと思っています。
さて稽古会ですが、実は色々驚きと発見があり非常に楽しかったです。今回も女性の看護士のグループの方が参加してくれましたし、介護の仕事をされている女性の方が久しぶりに参加してくれました。やはり本職でされている方からの質問は勉強になります。私自身は武術から入っていますから、どうしても細かいところまでは目がいかないですから。
初めての方もいましたから、一通りの技を体験してもらって、その感覚を知ってもらうところからはじめました。単なる身体操法としての『コツ』ではなく、自分の感覚を自覚した上でその感覚をいかに再現していくかがポイントです。ついつい普段の使い慣れた動き方に振り回されてしまいますが、その普通の動き方にどれだけ縛られているかを楽しみながら感じてもらいました。
今回女性の参加者が多かった事もあり、『ココロを動かして相手を崩す』という稽古を試してもらいました。この『ココロ』ですが、抵抗があれば『意識』でも『重心』とでも言い換えてもらえば結構です。女性は『ココロ』と言ってもスッと伝わるので、そうしました。
じゃあ『ココロ』って?
動こうとする時、まず気持ちが動いてきます。相手を上げよう、崩そうと『ココロ』が動き始めます。そして間を空けずにその気持ちに対して、カラダが『普通』の動きをはじめてしまうわけです。そうすれば自分が上げようと言う気持ちが動きを通して相手に伝わってしまうんですね。だからこそ上げようとした手を抑えられてしまったり、相手の重さに自分の腕が反応してしまうわけです。
この時カラダには少し休んでいてもらいます。身体操法なのに?と疑問をもちながらでもOKですよ。とにかくカラダはお休みです。ただお休みといってもどう休んでいれば分からないですから、これは腕が動かないように緊張させます。柾目返しで見てみると、相手の腕と自分の腕が一つのカベのようになります。
このカベを『ココロ』が通り抜けるように使っていきます。
まず最初は横から。例えば右手を左手でつかまれたとします。この手を動かさないように自分の『ココロ』(重心でもOKですから^^)を横にずらしていきます。壁に当たると、その『ココロ』の動きが止まってしまいますが、それはカラダの方が強すぎるんですね。力を抜いたりゴソゴソしたりして、何とかカベを通り抜ける感覚をつかんでください。
カベが通れないなら、まずは後ろから回り込んでも大丈夫です。どちらも壁となっている腕を動かさないのが大切です。それ以外ならいくら動かしても構いませんから。横方向から稽古するのは、単純に壁の厚さが薄いから。抜ける感覚が分かってくれば、カベを縦方向に抜ける事もできますし、カベを物理的に作らなくても気持ちの中で作る事もできます。
こうしてカラダではないところを動かす事ができるんだと言う感覚が育ってくればいろいろな事に試してみたくなるはずです。例えば抱き起こしの技に応用してみれば、肩にまわした腕がカベです。これをそのまま上げようとしてしまうと、腕を自分に引き寄せてしまいます。つまり自分(ココロですね)は、寝ている相手よりも前にいるわけですから引き上げてしまうわけです。
そこで腕のカベを意識して、相手の背中に自分が移動したように使うと、引き上げるのではなく、押し上げる感じになると思います。見た目同じようでも中身として、引くのか押すのかは大きな違いですから。言葉では難しいところも実際に体験された方には分かってもらえるかな。
今回の稽古、専門の方がいてくれたおかげで自分では想像もつかなかった動きが出てきました。なるほど~仕事していればこういう状況はあるかもしれない、当たり前ですが、頭の中だけで考えていてはダメなようです。思えば武術から稽古をはじめた時もそうでした。型をやればいいんだ、と思うよりも自分の中で出来ないことをしっかりと受け止めて、できない技を一つずつ潰していったわけです。結果として頭からではなく、身体から動くことを学んだみたいですね。
その新しい動きとは、ベッドから落ちてしまった人を一人で抱えて戻すというもの。
どうしたらいいですか?と聞かれて、どうしようかなぁと思いながら、身体をあわせてみました。まず最初に肩に手をそえて抱き起こします。次に膝を軽く曲げさせながら、相手の背中の後ろに自分の膝を入れていきます。
膝が入ったところで、後ろへ倒れるようにしながら相手の身体を膝の上に滑らせてきます。この時ゆらゆらと左右に振れながら行なうとやわらかく上げていけるようです。膝にのせた時にその体重の重さが気になりますが、これは乗っている脚だけ、支えている腕だけで感じるのではなく、カラダ全体で『着る』事ができれば大丈夫です。
そこから立ち上がるわけですが、普段柾目返しで稽古しているような前進の仕方、頭を押さえつけられても立ち上がれるような立ち方で練ってきた使い方が自然と出たのか、なにも意識せずに、人を抱えていてもそのまま立ち上がれました。その何気なさがよかったのか、その動きに対して驚きすぎっ!とも思えるような感想をたくさんもらって、勘違いしてしまいそうでした(笑)。
仕事という現場の中では直接使えるとは思いませんが、これが例えば自宅の中で起こった時に、重いから上げれない、と手を上げることは出来るはずがありません。その瞬間に自分が出来る最善の事をするはずですよね。その時よく動く身体があればいいじゃないですか。あとは現場に合せて、先輩が後輩に伝えていくようにする中で『技』としての完成度が上がっていくんだと思います。
よく稽古会では言っていますが、技ができるようになってきて術理が分かってくるとは、単純に力持ちになってしまうようなものなのです。今まで苦労していたことが少しでも楽に出来れば、やっぱり違いますよね。技だけをマスターしようと考えてしまうと、きれいな技、力強い技は出来てもなかなか日常生活には応用できませんから。
久しぶりに稽古にこられたTさん。私よりも全然小柄なのに添え立ち、浮き取りともに上げられてしまいました。何を教えたと言うわけではないので、ご自分でいろいろと工夫をされてきたのだと思いますが、驚きました。つくづく技を習うのが大切なのではなく、自分のカラダの強さを体感することが大事だと言うことを教えてくれました。
添え立ちに関していうと、稽古会の中で『できない・・・』という雰囲気がなくなってきたのも大きいのかもしれません。先生以外できないんだ、と思い込んでしまえば無意識にどうしても身体が動かなくなってしまいますし、自分が出来るという事を他の人が咎めるというちょっと嫌な雰囲気にもなりかねません。自由に気楽に稽古できる場を作っていければと思っています。
同時にいろいろな話を聞きました。どうしても古武術介護というと、『?』が付きまといます。なんだそれ、と。甲野先生がNHKにでられたり、岡田さんがそこからしっかりと活動されてきてだんだんとその実用性が理解されてきているとは思いますが、まだまだ話を聞くだけ、見るだけでは分かりづらいでしょうね。
同じ武道・武術というジャンルにいても『井桁?』でしたから^^。
新しいものを始めるのが大変なのはよく分かりますが、自分の中の問題が分かっていればそれを改善するための方法を模索することは絶対に必要です。そこにプライドやら肩書きで出会うことをやめるというのはもったいないですね。
今朝(7/9)新聞をみていたら、今日古武術介護があのテレビ朝日の『報道ステーション』で特集があるそうです。要チェックですね!先週(7/5)は『ナンだ!?』という番組で特集されたそうです。あいにく名古屋では放送ありませんでしたが・・・今週(7/12)も続けてあるそうなのでうらやましいです。
知名度が上がるということは、逆に言葉が一人歩きをしてしまうというデメリットも付きまといます。古武術介護で言えば、甲野先生が武術の動きを応用する中で、岡田さんという研究熱心なパートナーと出会われ育ててきたわけです。今後言葉だけが一人歩きすることなく、浸透していってほしいと思います。
感覚を味わうのが何よりの稽古です。
そして試して、やってみる。
落ちてしまった人を・・・
抱き起こして、この時左ひざを背中に入れていきます。
後ろへ倒れるように揺らしながら膝の上にのせます。
後は姿勢よく、カラダ全体で着るように立ち上がります。
膝まででいいので(高さが無いから)、難しくないみたいです。
力自慢の男の人には柾目返しで楽しんでもらいます。
曲がらない腕、指導中。
痛くなくても崩れていく、押されていないようで押されるような・・・
カラダが感覚を知る事で、きっと動きが変わりますから。