大人の武道塾

やっぱり少林寺拳法は楽しい

少林寺拳法も夏休みが終わり、今日から稽古が始まった。

子供たちも目標としていた大会を終え、それぞれ新しい目標を作り稽古をしていかなくてはいけない。しばらく担当するのが中学生、2段を目指す子達だ。受検も控えてなかなか複雑な時期に入っていくけれども、楽しんで稽古できるように指導していこうとおもう。

久しぶりの稽古になったけれども、やっぱり稽古は楽しい。特に武術・武道・少林寺拳法は。改めて二段技を見てみると、これまで気づかなかった事がいくつもあり、それを子供たちに伝えていると、自分が一番生き生きしているのがわかる。

今日特に気づいたのが、技そのもの違いに気をつけるのではなく、体捌きの重要さ。言葉としてはあたりまえ、基本中の基本の体捌き。でもそれを意識して、漠然と行なう体捌きとの違いを感じて欲しい。相手がついてくるのを手で受ける。これ間違い。いや、間違いではないんだが、2段でそれを行なうと技として成立しない。自分のレベルに合った動きが必ず在るということ。

相手が突いて来た時、自分のドコで対応するか、そこでレベルの違いが分かるはずだ。手で受けていれば、当然身体は動かない、傍観者となってしまう。じゃあ腰か?腰をどう動かすかも重要。廻してしまえば弱い部分が生まれてしまう。つまりスキができると言う事。そんな事を意識しながら、実際に動いて、タイミングを見せる。子供たちがすごいのは、なんとなくでもやってしまう事。大人はそうは行かない・・・。

ただ彼らのもったいないのは、我々大人が見れば羨ましいほどの頭の柔らかさも、それをありがたがっていないと言う事。あぁもったいない・・・。

いや、これは指導者の問題だな、私が悪い。

自然の中で考え、感じた事

先週末の道場の子供たちとの遠征から、怒涛の一週間が過ぎました。帰省ラッシュに巻き込まれながらの大会参加は大変でしたが、引率してくれた先生、父兄の力に改めて感謝したい気持ちでいっぱいです。

帰省ラッシュも大変でしたが、何より気になるのが連日の猛暑。先日岐阜では「40.9℃」の信じられない気温が観測されたそうです。このお盆休みに妻の実家へと帰省したのですが、いつもは夏でもクーラーのいらない気持ちのいい山の中なのに、名古屋に負けず劣らずの暑さが・・・。名古屋よりもまし、と言い聞かせつつ山の中で充電してかえってきました。

久しぶりに自分を見つめる時間を、すごす事が出来て、今までの事、これからの事、自分の事、世の中の事、色々と考える時間となりました。

特に木々に囲まれた冷たい川の中で空を見上げながら、プカプカと流されていると町の中にいたときよりも大きな事を考えてしまいます。師匠の甲野先生が言われていた人間にとっての自然とはなにか、ずっと考えていたつもりでも今回ほど切実にそれを意識した事はありませんでした。

とにかく矛盾をはらんでいる世の中でどう生きていけば良いのか。見方によってその考えはコインの表裏のように立場が変わってきます。自分以外の情報が氾濫をして、その周りによって自分が形作られているような生き方はしたくないなぁと・・・。

大きい事、小さい事、色々な決断を日々しているけれどもその一つ一つに自信が持てたら、生きるという意味も見えてくるのではないかと考えてきた。おそらくこれは先週のアクテノンでの気づきからきているのだと思う。あれからずっと自分の中の無意識の大きさに気づき、それを意識の中でどうにか活かすことができないかと考えている。例えば足を一歩出すのにも無意識ではそれを上手にこなしていたとしても、いざそれを意識するととたんに動きが小さくなってしまう。

この時自分がドコに足をだせば一番納得がいくのか、考えるのではなく、感じるように頭の中で検索をかけると見えてくる線があります。そこに足を置いてみると、なるほど、ここしかないなという気持ちになる。ぼんやりとしか手がかりがつかめないし、一人稽古でそれを確認するにはまだまだ力不足でなんともいえないけれども、今までのように「頭」で考えて工夫するだけでは見えてこないものが見そうな気がします。

もう少し頭を整理してまとめて行きたいと思いますので、次回、26日の定例稽古会にはまとめれるように急ぎます。

それにしても川から上がった後、改めて日差しを浴びると地球という親から叱られているような気持ちにさせれました。自分に何が出来るのか、一人一人が真剣に向き合う事が必要なんでしょうね、たぶん。

Cimg9953 Cimg9961

アクテノンマンガ教室

今週のアクテノンは変則で木曜日に開催。夏休みという事もあり、わざわざ遠くからGさん親子が参加してくれました。

Gさん自身、もともと自分一人で稽古を続けてきたつわものです。小学生の息子さんも一本下駄で走り回れるほどの実力^^

カラダラボの稽古にもなれてきたので、そろそろエンジン全開で研究モードで稽古を開始です。

自分の身体の内側に目を向けて、その気持ちよさに導かれるように姿勢をとっていきます。身体の外を繋げていく稽古から、内側を広げていくように・・・。

ついつい肩甲骨の操作が気になるようで、力が入ります。

これが今のGさんの強さの源のようですが、これにこだわってしまうと次が見えなくなってしまうのでは・・・と言葉をかけると、すっと抜いてくれるのはさすがでした。何とか内側の強さも見え出したところで、お子さんの方へ目を向けると・・・。

世話人の伊藤君が絵の書き方を指導。カラダラボ・アクテノンマンガ教室が開かれていました。伊藤君は身体の稽古で得た感覚を「絵」にどう生かしているかを常に考えている人間です。彼が小学生を捕まえて教えているのは、ぐじゃぐじゃな線の中から絵を「探し出して」書く方法です。

小学生の彼が最初に書いたのは、オリジナル恐竜「ギドラン」。

Photo

上手にかけていますが、やっぱり子供っぽい絵に見えます。

伊藤君に言わせると、これは頭の中で作っちゃったものを絵にしているそうで、目を書こうとして目を書いたり、口を書こうとして口を書いているので、動きがないそうです。

僕には以前、コップを書こうとしてしまうと絶対にうまくかけないから・・・と教えてくれました。頭が勝手に作っちゃうそうです。

 

 

 

そして指導をはじめて書いていった絵がこれ。

Photo_2 Photo_3 Photo_4

 

 

 

 

 

これの元になったのは恐竜ではなく、キャンバスにランダムに描いたぐじゃぐじゃな線から出てきているんですね。素人目に見ても生き生きとしている感じがします。

これを書いた本人も自分で書いたのが信じられないといっていました。

意識的に書いたのではなく、ランダムな線の中から「見えてきた」絵は無意識なんでしょうね。

 

 

 

・・・じつはこの後この無意識の線を見つける事を技に戻してみたときに、面白い変化がありました。

明日からは東京なので、返ってきたらカラダラボのホームページにアップします。

8月の介護技法の研究稽古会

日曜日は介護技法の研究稽古会。今回初めて公の施設を借りて行なう事になりました。
まぁ「カラダラボ」で借りていくわけですが、なにするの?ときかれ「古武術介護です・・・」と言った自分がなんだかなぁと思ったりして・・・(分かる人にはわかります?「古」の問題^^:)
とにかく名前がないのはやりづらいと改めて認識しました。

まぁ外の人がどう判断しようが、稽古が始まれば自分の内側に目を向ける事になります。
稽古している技法は「介護」でもカラダを使う事、意識する事、感じる事は変わりないわけです。コツとしての「やり方」だけを伝えるのは僕の仕事ではないだろう。

自分のカラダを通して、自分の可能性を見つけ、そこに楽しさを見つけていってもらえたらうれしい。実際に稽古に参加された方の驚きの笑顔を見るとすごくチカラを頂けます。

介護の稽古会は具体的な質問があがって来ることが多い。真剣さはどの稽古会でも変わらないけれども、具体的になって来れば来るほど、こちらの応用力が試されてくるので、すごく勉強になります。なんとかヒントの一つでもお返ししたいところです。

今回の稽古でも寝ている人を無理なく動かすには、という質問を頂いた。チカラ的には抱き起こしや添え立ちよりもいらないと思う。実際に移動量が少ないので。ただその分微妙なチカラ具合は必要なのかなと感じました。

普段のやり方を聞きながら、自分の身内がそういう立場ならどうする?と自分に問いかけながら、頭と身体をフル回転させて、思いついたのは「1mm浮かすという事」。

これは物理的な接触がある以上そこには摩擦が生じます。その摩擦のせいで、相手の体重が重くなったり、軽くなったり・・・同じ重さでも変わってくるわけです。抱き起こしにしても添え立ちにしても、実際に起こしたり立たせたりしなくてはいけないので、どうしても持ち上げる感覚が消えにくいです。腕を意識しないようにと思っても動いてしまうのが人間ですから。

でも寝ている人をそのままの形でちょっと違う場所へ・・・と考えると寝ている人の形を変える必要はありません。というわけで寝ている人の背中と腰にそっと手のひらを差し入れてみます。そしてここからが「1mm」、手のひらから体にかけてのアソビをとるようにして、「1mm」浮かせます。5cm上げるのは大変ですが、1mmなら何とかなるんですね、ただし手ではダメです。少なくとも指を意識するぐらいではないと。

腕のアソビをとることで浮いてきたら、その他の場所をつかって移動してあげるとすこし楽な気がします。割り切って説明すると、手で浮かす力が一つ、体重で移動させる力が一つです。その二つを混ぜることなく、別々に存在するようにすれば良いのではと思いました。

実際に現場にフィットするようにするには感覚を自分のものにする必要があるとは思いますが、武術の技として今日応用してみたところ、意外といい感じです。自分が思っていた以上に腕には仕事をさせていたようで、その負担を軽くしてあげるだけでも効果がありましたから、抱き起こしが分かるぐらいの感覚があれば軽くいけそうな気がします。

稽古当日は岐阜でも37度を記録したとか・・・暑い中ご苦労様でした。

感想文の中で施設へ指導に来てくれたらうれしい、と言って頂きました。うれしいですねぇ♪
私で出来る事があればお手伝いしますので気軽に声をかけてください。

Cimg9869_2

Cimg9816

Cimg9930 Cimg9801

Cimg9841

稽古で救われるって、あるな・・・

 実は先週の1週間は人間にとっての「自然」とはなんだろう・・・と大きな問題を抱えてしまって少々つらい時間を過ごすことになりました。

 この「自然」という大きな問題ですが、自分が甲野先生の技を稽古する中で、考えているように思い込んでいただけで、高いレベルでそれを体現している人の動き、言葉を実際に見て聞いて肌で感じると、自分のこれまでの稽古の姿勢、これからの稽古の方向性がなんと甘い事だったか~、と痛感させられてしまいました。
 
 悩み、問題が生まれてくると、すぐに答えを求めていきたくなってしまうのは人間の悪い癖なのか、ついつい自分の稽古に甘く言い訳を考えてしまいます。答えが見つかりそうになった時、自分はこれで行こうと考えても、それは自然を不自然に繕っているような感じで袋小路に迷い込んでしまいます。
 
 そんな中で助けてくれたのがやはり稽古です。頭で考えても分からない事をカラダを見つめる事で、自分なりの行き先を決める事ができるから。決めた以上はその道を歩いていくしかないな、と思っています。後で後悔だけはしたくないなぁ・・・と。自分で決めた道ならその後悔も減ってくれると思いますから。
 
 大きな出来事は稽古に来てくれている仲間の変化です。今まで出来なかった事が、自分のカラダの見方一つで出来るようになった時に見せてくれる笑顔は、自分の行動を力強く後押ししてくれます。もちろん単なる技のコツを伝えただけでは、逆にその人の伸びしろを奪ってしまう事にもなりかねませんが、自分という存在を見直すきっかけを与えれたかなぁと思えたときの喜びはもうカクベツです!
 
 金曜日の深夜の稽古から土曜、月曜日にかけて珍しく個人稽古が続きまして、いろいろな事を感じさせてくれました。それでも時代の流れが変わってきたなぁと思うのは、稽古に来られた方が、多種多様であるという点。テニスを20年やってきた人、ビオラのプロとして活動して見える音楽家、家族で参加してくれている人、もちろん介護、武道に問題意識を持っている人もそうですが、とにかく「種目」という枠がなくなってきて本当に刺激を受けています、私自身が。
 
 私が稽古をはじめたのは「技」がきっかけですので、想像力は必要なかったのですが、武術的動き・思想を見て、感じて、自分にも、自分の抱えている問題にも取り入れれるのではないかと思われる点で、すでにすごいです。自分の想像力が高まっている時点で新しいものを受け入れれる下地が出来ているわけですから。
 
 稽古で私がいくつかのアドバイスをして「ハッ」としたとしても、それはもう稽古する側に気づくための準備が出来ていたからだと思います。だからこそ自分ができるようになっていったことをしっかりと見つめて、認めてあげてほしいなぁと思います。