少し前のニュースで高所平気症について出ていた。
僕も3人の子供の親なので、子供の動きに関しては驚かされる事があるけれど、さすがに目も眩むようなところでは、大丈夫だろう・・・と思い込んでいたが、そうではないらしい。
記事によれば、その高所で事故の多い年齢は2~3歳までの幼児と小学高学年~中学生までとの事。幼児は分かる・・・何といっても親の責任になってくるだろう。問題は高学年だ。
大人の感覚からすれば、危ない事ぐらいは分かるだろうと思っている。・・・でも違う。彼らは怖くないということだろう。
これを聞いて思い浮かぶのは、宮本武蔵の話と、肥田式強健術の話。
宮本武蔵は武道の極意はと聞かれ、このお城からあの山まで細い板をかけ、そこを平気で歩いていけるかどうか(原文不明^^。多分こんな話。)と答えたそうな。
肥田式強健術の肥田春充師は晩年、その鍛錬の結果、恐怖を感じる事ができなくなったという・・・(横隔膜が下に下がる事によって・・・との事)。
つまり自分を高めていく事によって、その恐怖を抑えていくのと、その恐怖をもともと感じないのとでは天と地との差があるということだ。
実は今この境が見えない人がいる事も事実。
何年か前に道場に通っていた高校生には技がかからなくてとても苦労したし、すごく勉強になった。というのも、彼には危険を感じるという感覚があまり無かったから。
例えば、技をかけるときに「ふっ」と相手に入り込む。敏感な人であれば、その瞬間に崩れていくし、そうでなくても、何かしらの反応があるものだ。それがない。目の前に拳を気配無く出したとしても一緒。瞳孔にもなにも変化が無いから、自分の技がまだまだ未熟なんだろうと最初は考えていた。
でもそれは違ったようで、彼はそれが「怖い」とカラダが反応しなかったんだと思う。だから実際に当てれば・・・当たる。拳ならまだ良いが、ナイフならどうしようもない。
聞いてはいないが、その感覚で高いところに行けば、落ちてしまうだろう。怖いということを意識しないあいだに。自動車がびゅんびゅん通っているところも危険を感じることなく動いてしまうかもしれない。
事故が無ければ、腹の据わった男だ・・・と言われるかもしれない。でも絶対に違うはず。
とにかく表面的には「安全」が確保されて、それが第一に考えられている世の中だから、自分のカラダからの信号に気が付かない子供たちが増えていってしまうのも分からないでもないが、それに対して、より「安全」を用意するのは問題の本質的解決を生まない。
この「怖さ」というカラダの感覚が、相手を思いやる「やさしさ」だったり、生きていく上での「倫理観」にも繋がってきていくと思うと、なんともいえない気持ちになってくる。やさしさでは死なないから問題には上がってこないし、ここに繋がりを持って取り組んでいる人も多くは無いだろう。
今、古武術、カラダ、感覚がひとつのブームになってきているのは人間の持っていた感覚という可能性に対して望みを持っている人が増えてきているということを信じたい。
お知らせ
7月8日は定期稽古を開催します。古武術的介護法を中心に稽古しましょうね。